ことばの芽生え -新生児から3歳児まで-  

新生児の視聴覚は生後から、機能しています。
さらに言うと胎児からも、聴覚は機能していると言えます。
しかし、騒音下(駅の雑踏、交差点の車の騒音etc)において不快な状況を示さない。また体などの刺激に対して反応しても、繰り返すと反応しなくなる。これらは、選択的に音を聞き分けたり、慣れの現象をすでに備えているということです。この現象は、嗅覚疲労と同じく、神経性疲労がただ単に、単純な反射的反応や神経の疲れというよりも、高度の脳皮質が行動に係わり合いを持つ2ヶ月以降、特に6ヶ月児になると顕著になります。高度の学習機能です。

赤ちゃんは生まれたときから、環境の刺激を積極的にかつ、選択的に取り入れ同化して行こうとします。刺激を無差別に探索するのでなく、刺激が弱いと注意が向かない、強すぎると泣いてしまう。慣れを起した刺激には反応しなくなります。

共同運動はお母さんの口の開閉に合わせて、赤ちゃんが同じ運動を始める模倣動作と言うより共鳴動作と言われます。生後1~5が月頃まで続き、手を差し出し始めるとはっきりしなくなります

ことばの獲得は胎児がお母さんの周囲で話されることばをきいていることから始まります。生後のクーイング(クー)から、(アー)と言う過渡期の喃語から、(バーバー)の基準喃語に至ります。このクーイングや喃語を発声するために赤ちゃんはそれ以前から大変な努力をしています。喃語は子音と母音からなります。

笑いはlaughter、哄笑で、微笑みはsmile。呼気の断続を伴うのは、前者です。微笑みは生まれてすぐに認められます。声を立てて笑うのには、約4ヶ月の期間が必要です。この間は咽喉頭の発育が未熟で嚥下、嘔吐しやすく、喉頭腔もまだ充分でなく舌の付け根には喉頭蓋が観察されます。そのため、3ヶ月児をこそばしても、笑いは声になりません。笑い声が出始めると、それにつられて、赤ちゃんは足を歩くように動かします。5~6ヶ月を過ぎると、脚の動きは止み、今度は手を用いて反復運動が6~7ヶ月に出てきます。喃語は生後7ヶ月頃で、手と笑いの連携が成立したときです

子音に母音を持つ音を作り出すために、声帯振動音を咽喉頭と口腔・舌の動きと共鳴で作り出します。長音と言われます。生後8~9ヶ月経った頃、喃語が出せる頃に語彙記憶も持ち始めます。新たに獲得した音声産出運動能力と感覚情報としてのことばに関する記憶をもとに駆動しだすとき、大人にも意味のとれる音韻の組み合わせを自ら口に出し始めます。

内耳性高度難聴児で、それ以外に他の健聴児との能力に差が無い場合、生後6~8週以降クーイングは発声されます。6ヶ月頃になると、過渡期の喃語がでてきます。リズミックな身体運動と同期します。しかし、規準喃語は出てきません。調音の技術が発達するには、聴覚経験が不可欠なのです。調音を必要としない音声なら多少の困難であっても、他者の口を追うことで模倣できると思われます。口腔内と舌の微妙な動きを使って作り出す音は、自然に放置していては発声しません。難聴児では、手が微妙に動く、手による喃語が9ヶ月以降盛んに出現します。健聴な赤ちゃんは特定の身体運動によって、調音を獲得しますが、次第に身体運動がなくても獲得できるようになります。難聴児は耳と発声器官の代わりに目と手が主な役割を果たします。手話と音声言語の違いは、身体感覚が変換され行きつく先が手か発声器官かのずれで、そこに到達する過程で起こる内容は、本質的に何ら変わりません。



赤ちゃんは物に触れたら反射的に握ると言う把握反射があります。指しゃぶりは手が赤ちゃんの頬に当たると、首が動き、手全体を吸うような格好から、次第に、1~2本の指だけ吸って遊ぶようになります。最後は親指のみになります。さらに、自分の手の注視です。2、3ヶ月の赤ちゃんが自分の手をかざすように見ている注視行動は、始めはこぶしで次第に指を少し動かし見つめ遊んでいるように思われます。これは、赤ちゃんが指の分化の準備と目と手の供応の準備のようです。この時の口腔空間で物を確かめる時期は口や舌、唇で物を確かめるように思われます。

この頃、おしゃぶりを近づけると、つかもうとします。3、4ヶ月になると、手に取ったものは何でも口に持って行きます。手を調整する目の役目はまだ低く、それを準備しつつある段階といえましょう。物は両手に持ち、片手に持たせると、他方の手に持つものは落としてしまいます。

生後5、6ヶ月になると、手のばし行動はさらに盛んになります。目の前のものは指全体と手のひらとでつかむ状態です。

発達の遅れのある子は、なるべく起して、手の世界を広げて、物やヒトへの係わりを増やしてあげる事が大切です。

8、9ヶ月頃になると、お座りが上手になり、手の動きが目によってコントロールされ、正しくつかみにいけるようになります。目と手が供応し始めます

指先の分化は親指と人差し指の腹でつかむようになり、小さな豆でもつかめるようになります。11、12ヶ月になると、音のするものを鳴らしたり、穴に指先を突っ込んだり、異なった次元の探索が始まります。「つかむ」「握る」「はなす」で一組の行動になります。はなすと引くは難しく、つかむ、おすは早くできます。

さらに、進むと「バチで叩く」「ヒモでおもちゃを引っ張る」「コップを持って自分で水を飲む」「なぐりがきをする」などが1歳前後からでき始めます。手の巧みさは、物を介してそれとは別のものと交わると言う感覚運動のなかで理解し、その関係を実際に展開することができます。間接的な係わりで、多様な方法で多様なやり方で手が物と接することが、手の使い方の多様性をものにします。

手で相手に物を渡したり、相手から受け取ったりして、人との係わりの媒介になります。5、6ヶ月頃になると、物の受け渡し・・・やりもらいの遊びが大人との働きかけがあればでき、1歳を過ぎると、自分から進んで差し出すという動作になります。1歳半頃になると、手渡したあと手が上手くそのものから離れることによって「やりもらい動作」がさらにスムーズになり、人との係わりも手を媒介にして広がります

1歳半前後の一語文の時期と重なって現れてくる指差し行動は何か意味する手段としての性質があります。絵本などで、手全体でさす事から、人差し指でさし、離すようになるには、1歳を過ぎないと無理です。

1歳代後半でお父さん、お母さんの尋ねると、指差しできます。1歳前半では明確に指差しはできる子は少ない。1歳半は「お鼻どれ」「お口は」と聞くと、そこを手で押さえます。その頃から、指は次第に対象から離れて「ワンワンがいる」「マンマとって」と言うような要求の指差しになってきます。こうった発達の道筋の中で、模倣や記号として、意味を表す指が使われ出す。手で切るまねではさみを意味し、チョキではさみを意味したりすると、2,3歳以降の発達となります。直接の物の係わりでなく、人との係わりの中で、離れたものや自分の目の前に無いものを代表したり表現したりする役割を手が担ってきますことばの発達や、手話で「ことば」として、そこに正しい意味をのせて使えるようになる

赤ちゃんは生後すぐに、アルカイック・スマイル(又はモナリザの微笑み)のような不思議な微笑があります。口の端がちょっとつり上がります。日本の育児環境は、家族と一緒に添い寝して育てる伝統があります。欧米では赤ちゃんといえども個室にて寝かされます。この育児の差が新生児期の発達の色々な現象のとらえ方に違いを見ます。アメリカでは添い寝のよさが見直されてきています。(夜泣きに良いということですが?)

誘発的微笑は人の声やベル・笛の音によって誘発されます。今までは、普通微笑みは6週頃に現れる顔一杯の広がった微笑を指していました。先の微笑みは「偽の微笑み」と言われていましたが、最近は「真の微笑」と認められています。3週から1ヵ月半の間に現れます。特定の人を選んで微笑むのは5,6ヶ月以降になります。これらの微笑みは社会的なものです

7、8ヶ月頃から人見知りが始まると、誰でも愛想よく微笑んでいたのが、見知らぬ人には不安と警戒を示し、近づき、抱っこしてあげようとすると、かえって恐れて泣き出します。

笑いの発生は生得的ですが、個々の笑いが起こる動機はかなり知的で複雑です。そのため、赤ちゃんの笑いは生理的な快だけでなく、社会的な快や知的な快が笑いの引き金になっているようである。絵本「イナイイナイバー」は永遠のヒット本ですが、この時期声を立てて笑う事には生理的だけでは無いようです。

この時期より少し後で、自閉的傾向が強く現れる子がいます。その子の乳幼児期、3ヶ月の微笑みの段階では、微笑が正常であった子がほとんどです。おんぶや抱っこに対して、自分にしがみついてこなかったと答えられるお母さんがいますが、これはこの時期より後だと思います。人見知りが無かった、一人笑い、一人笑いと言った偏った傾向が出始めるのも6ヶ月以降、特に1年前後からのようです。この3ヶ月頃の微笑みは、他の発達に偏りがないし、もちろん微笑みも出てくるわけです。もし自閉傾向がこの頃出て、人との係わりが難しくなっているとしても、それより先に生得的な笑いがあり、それが人との間で交換する事が難しいため、後に、一人遊びの中での一人笑いと言った、人との係わりの薄笑いとなって固定化していくという事が考えられます。人との係わりをつけていく力が弱いために、生得的に発生してくるこの笑いを、社会的道具として上手く自力で発達させることにつまずいている子どもたちですから、その根源の力を支えてあげることが必要だと思います。

情動、動作、情況の共有は、赤ちゃんにとっては自然なかたちで発生します。共鳴動作、微笑反応は、始めて赤ちゃんが人や物にかかわろうとする動作や感情を生まれつき持っている。周囲の世界と融合している。この融合状態から、動作や情況を共有する状態へと移っていく。その頃、喃語が次第にはっきりとしてきます。赤ちゃんの最初の発声は、誰かに何かを伝達すると言うより、何かを共有するものです。3、4ヶ月になると、指差しのような動作で喃語を発します。6ヶ月過ぎた赤ちゃんは、走るおもちゃに向かって「ブー」と言いながら人の顔をみます。笑って「ブーブー」と言うと、また赤ちゃんは「ブー」と言います。走る車がもたらす情況を共有しています。音声と意味の共有は赤ちゃんと周囲の条件が整うと、ごく自然に現れます。

赤ちゃんの人に対する働きかけは、ある働きかけをすると、それと全く同じ働きかけが返ってくる。舌を出すと相手も舌を出す。こちらが笑うと向こうも笑ってくる。大人と子どもの上に同型のパターンが現れます。ならびあう関係です。人と人の関係は共感・共鳴という並びあう世界にて成立しています。さらに、2人の間で同じパターンが交換され、同調的交互活動になります。

3,4ヶ月の赤ちゃんは、お母さんと笑いあったり、喃語のようなことばを交換し合います。「イナイイナイバー」の遊びもします。この遊びは、交互に同調する親子の遊びで、これから共感・共鳴、模倣につながり、模倣モデルより時間がずれて生じる遅延模倣と発展します。1歳半頃の子が、少し前に遊んでいた子の身振りやお母さんの発した声の真似を再現する、ならびあう関係はこの遅延模倣が始まると、ことばの獲得がもうそこまで来ています

乳児期初期のちょっとした動機づけの情況が学習されると、物に対する学習だけでは、物的な世界とのかかわりは、一方的なはたらきかけ、一方的にはたらきかけられる受身の対応になりやすく、そうでなく、主体的に並びあう関係をのばしていく人との係わりが大切です。特に情緒的なつまずきのある子どもたちには、むしろ人との関係の安定の方がたいせつです。一方的な物との対応のみの学習だけでは思考全体の発達につまずき、逆効果になりがちです。

生まれもって、人は社会的な存在ですので、環境さえあれば、大人が無理に意図的にはたらきかけて教えなくても、ことばは開けていくのです。ただ、この様な物や人へのはたらきかけの力が弱く生まれ育つ子が少しですがいます。この様な場合に、発達の遅れ、障害を持つ子ととらえるかは別にして、大人の手厚い、その子に合った適切な援助が必要・不可欠です

乳幼児は共感と共鳴の世界の中で、いとも簡単に自国語、外国語を獲得します。その世界が薄れてくる年頃に、外国語の学習は、あらためて外国語を知的に理解し、時間をかけて発音も勉強しなくてはならなくなるのです。

ことばが遅れているが、誰とでも愛想よくかかわりを持てる子がいます。この様な場合、物とのかかわり方が乏しい子が多いようです。ことばの発達には物と関係していく力も必要と思います。もちろん人とのかかわりは基盤として大切な事はすでに述べた如くです。物を介して人と交わる事、人を介して物と関る事。自分と人と物の三項関係こそ、ことばのよりどころと思います。

赤ちゃんは6ヶ月を過ぎると、お母さんが出した物と、置いてある物とのかかわり方に注視時間などで微妙な違いがでます。そしてお母さんの差し出した物に手が行きます。7,8ヶ月になると、受け手としての役割や選り好みがはっきりし、声を出して、ちょうだい、と催促します。10ヶ月を過ぎると三項関係は、ますますはっきりと、やりもらい関係、を作り上げます。ちょうだいのもらう側に立ってばかりでなく、どうぞ、と与える側にもなります。役割交代が盛んになり、楽しむようになります。1歳頃にはことばはなくても、ありがとう、どうぞ、の動作も情況に上手く合わせられます。

1歳半から2歳頃には、お母さんとのやり、もらいの行動関係が見られます。
この、やりもらい関係、は人と人のコミュニケーション、ことばのやりとりと共有する関係の基礎となります。また、1歳から1歳半の頃の指差し行動も、子どもの中に作られるやりもらいの基礎の上に物を指示するはたらきが加えられています。この、人と人の関係に指差しと言う指示機能が入り込んで来た時、犬に向かって指差しし、何か言いながら大人の顔を見て笑う、さらに大人の指差しに応じても同じ情景が展開されることがあります。この様な時、ことばは出ていなくても、物を何かで代表する能力はできているのです。

しかし、指差しは、実際にその事物や人が目の前にあるときに限って生じます。ことばは、その指し示す相手の物や人がいなくても使う事ができます。乳幼児がことばに必要な条件を備えるためには、さらに、何かに見立てる、と言う遊びや、何かの振りをする、と言う行動的な発達が必要となります。

寝んねと言って、手ぬぐいを敷いて寝た振り、2歳頃には、葉っぱをお皿に見立てて、砂をご飯に見立て、食べる振りをします。この、つもり、が象徴遊びで、ことばに必要な象徴機能がそなわってくると、実質的にことばは身についてきているのです

これら、共感・共鳴の関係、三項関係はことば以前のことばで、ことばが獲得されても、なお真のことばを支えている基礎です。この基礎が子ども達にある限り、重度の自閉症児でも、ことばの芽は持っているのです。この様な基礎ができ上がらないといくらことばを教えても効果はありません。

誕生から3週間までの第一段階では、親はまず泣き声に反応し、赤ちゃんの要求を満たすことを覚えます。8週間までの第二段階では、赤ちゃんは微笑んだり、声を上げたりするようになり、親はそれにこたえてあげたりします。さらに、16週間の第三段階で、そうしたやりとりは、イナイイナイバー、などの遊びに発展しる。このような遊びを通じて、掛け合い、を学びます。4ヶ月ごろの赤ちゃんは、遊びを通じ、自主性が芽生え始めます。こうして、子どもは、自分の行動や感情をコントロールしたり、調整したりすることを学んでいきます。自分の行動を律することができるかどうかは、気持ちをいかに早く伝えたり、感じ取ったりできるかどうかにかかっている。臨機応変のやり取りができれば、自分の感情を上手く処理できる。例えば、何かを不快に感じて、それを表情に出せば、親か保護者が察知してくれることを子どもは知る。そこから感情を抑制することを覚える。

2歳か2歳半でことばを覚え始めるまでには、子どもはさまざまな感情や行為の絡む長いやり取りができるようになっているはずである。それができない子どもは、はしゃぎすぎて抑えが利かなくなり、怒りや悲しみ、抑うつといった感情に圧倒され、手が付けられないような騒ぎを起こしたりする。(キレル)

多くの場合、こうした極端な感情は、客観的に見ていて取るに足りないことで爆発する。そうした子どもは、成長過程のどこかで、双方的なやり取りを通じて自分の感情がなだめられる体験をしそこなったのだ。

愛情に満ちた関係を始め、最低限必要な育児条件をかなえるようにするには、子どもの置かれた状況や家族のあり方を根底から見直さなければ成らない。色々な子どもに関わる関係機関の見直しはもちろんであるが、乳幼児期にはまず、家庭内の親が決定的な役割を果たす。お互いの気持ちが深く響きあう親子関係こそ、子どもがこれから送る自立した幸福な人生の始まりとなる。

遺伝的につながりのある子どもは別々の家庭に養子に行っても、一緒に育った兄弟と変わらないくらい、よく似た子どもに育つことがわかっている。同じ遺伝子を持つ、性格も似ている子どもは、親の側にも接し方がおのずと同じような傾向があるからである。遺伝子が手のかかる子どもを作り出し、それが親にストレスを与え、親が神経質で短気な接し方をすると、子どもはますます親を困らせる性格になっていく。キレやすい子どもを持つ親に、子どもがキレたときに、怒ったり罰を与えるのでなく、話を聞いてあげることを勧めている。

子どもは、自己を制御する、コツを学ぶ。困難を乗り越える能力を身に付ける。食事前の空腹を我慢するなどの、対応可能な試練を与えることは、子どもがストレスの対応能力を身につけるうえで役立つこともある。ただし、常に対応不可能な虐待などの試練が子どもに与えられると、深刻な影響を生じかねない。

未知の環境におかれたときに、親が特別に愛情を注いで、導いてあげれば、ほとんどの子どもは4歳ごろまでに、生まれつきの引っ込み思案を克服できる。

サルの実験で、脳内のセロトニンという衝動を抑制するやようの神経伝達物質の代謝レベルが低いと、攻撃的になる。細胞に届くセロトニンの量の抑制に関する遺伝子の型に違いがある。しかし、子育てに熱心な母ザルに育てさせると、子ザルはストレスを上手く避けたり、対処する方法を覚え、セロトニンの代謝レベルも平均化する。完全に遺伝子だけでも、環境だけの影響することで決まる性格は極少ないようである。

赤ちゃんのバブバブなどの意味の無い音を出す事でさえ、大変な努力を要します。
一つの語彙を伝えるには、当のことばの指示対象が眼前に無くて、大人とこどもの対面のみでは伝わりません。指し示すものを前にして、大人とこどもがそれに注意を向けて、指示することばを伝えて初めて、ことばの意味が伝わる下地ができ上がります。周囲の大人の指示行為を理解できるようになるとき、子どもは「三項関係が形成されるようになった」と呼ばれます。

モデルの単語とその指示対象の対応関係の把握は、そんなにたやすいことではありません。子どもが身体的動作による指示行動を行なえるかは、即ち、指差しは、ことばの習得に重要な意味をもつことになるのです。指たて(指を縮めた状態で手の中の人差し指を一瞬立てるしぐさ)は生後3ヶ月頃に出現する。この頃に、発声器官の咽頭の位置は下降し始め、鼻に抜ける発声とのどから口へ伝わる音の双方の混合音を発する。日本語は母音と子音が合わさることばであるが、欧米言語は子音のみの音もあるため声帯を使わずに発声することが多くある。指たては発展して指差しに変わっていく。その頃が1歳ぐらいである。育児していると、この様な動作に気づくことが無くすごしている場合が多いが、それは、児の発達を阻害するものではありません。

経験的に、自閉症児は指差しをしないと耳にします。物を人差し指でさすという動作が周囲の大人の音声による応答によって強化されるのなら、耳のきこえない幼児では、たとえ、初期に指たてが行われたとしても、フィードバックを得られないゆえに、やがて消えていくのかもしれめせん。自閉症児では、応答を得ていたとしても、それを報酬として受け止める感性が欠けていることも考えられます。



乳幼児期のこころのはたらきが、完全にからだのはたらきから分化し、こころがひとり歩きするまでには相当に長い発達過程が必要です。色々な問題を克服して、ことばが出現し、代表化機能の高まりによって乳幼児期は終了します。

幼児期では、思考が一応ひとり立ちできる6、7歳の学童期への橋渡しの時期です
この幼児期の長い期間は、こころと思考の一人歩きをめざし、様々な経験を積み重ね、発達していきます。
精神機能が完全に身体機能を支配できるようになるかどうか、幼児期の後半には、かなり、こころによるからだのコントロール、が可能になります。

心の働きとは、見たり聞いたり考えたりする、認知、思考、知能の働きと、喜んだり悲しんだり楽しんだりする、感情、情動の働きがあります。この、こころの成長で、少しずつ、その場に応じた対応のコントロールが自分でできてきます。こころのはたらきの認知・思考は成長過程で著しく変化を遂げます。教育ではその変化が目立つため、発達を見るためにはその成長を見がちです。社会が知恵の発達、遅れを注目しているためです

子どもが具体的な情況で自分の感覚運動能力で問題を解決する場合、場面の知能、と言われます。これは大人の、概念で考える、何か介在させた知能、ステップをおいた思考とは異なります。

2歳児にお父さんが新聞ちょうだい、と言うと渡してくれます。子どもは新聞と言うことばの概念がわかって行動しているのではなく、お父さんの毎日の行動をみて習慣の中で、ごく自然に取ってくれたのでしょう。これは習慣化した行動を思考の働きとして、場面に依存した知能、といえます。お母さんが、庭で落葉を拾い、それを新聞に包むので、新聞を取ってきてと、言っても何のことか分からないでしょう。指差しもできないでしょう。

大人は、なれた階段は無意識に最低の運動能力で行動しています。概念の知能、で普段は間に合います。しかし、普段と違った様式の階段があれば、身体運動レベルを意識に上らせ、穴が開いているか、どうすると上手く上れるかを物の概念を通して考えます。これはあれと同じ(同定)、こうすればこうなるだろう(仮説)、といった、概念の知能、の働きが必要になる。幼児はこの獲得に向かいます。

1歳児ははいはい、立ち上がり、歩き始めどんどんと活動範囲が広がり目を離せなくなります。あくなき好奇心は、手当たりしだいそこいらをいじくり回し、引き出しを開けてひっくり返します。5、6ヶ月頃のように、手を触れた物を口に持っていく、叩くといった物と行動が即座に結びつくことは1歳では少なくなります。行動に、その意図がはっきりと分かるようになってきます。赤ちゃんが行なおうとする目的と、そのためにどのようにするかの手段が分化してくるからです。

2歳に近づくにつれ、分化はもっとはっきりとしてきます。鉛筆、クレヨンを持つと当たりかまわずに書きなぐります。クレヨンは口に入れたりしないで、書くものと分かっていて、何か書こうと言う目的を持っています。高いものを取るには台がいる、何か目的のために、他のものを手段として使うのみならず、新しい工夫もできる様になります。大変育児にエネルギーを費やす事になる時期です。幼児に取っては、探索行動は自ら行なう創造的行為です。この時期、おとなしく、手のかからない子は見過ごされてしまう事態を経験します。でも、活発であっても、目的と手段の分化が少なく、いつまでも感覚的な運動の楽しみのみ追っている行動が繰り返される場合も問題がある場合があります。

色々と発達月令を書いていますが、どこまでが正常な発達とかの目安は個人差があり、あまり厳密ではありませんのでかなりの幅を考慮して読んでください。

物静かな子でも、色々と試みをしてみたり、一人遊びでも遊びの方法が多様です。次第に、変化進歩しているなどが認められれば、内なる探索心を燃やしています。しかし、一般に乳幼児はこころの動きが行動であり、行動が直、こころであると言った場合が特徴です。探索心の活発さは行動・動作に現れます。

この時期、いけない、と言われるとかえってわざとふざけてやるように、人を意識した行動が多くみられます。無視していると、わざと人の介入を誘います。サルと違い、人間の子はお母さんに問題の解決を頼みます。これが高じるとクレーンと言って、自閉症傾向の子どもには、特にだれかれかまわず、相手の手を物と同じかのように使います。普通、子どもは多かれ少なかれこの様な傾向を持っていますが、いつかは減少していきます。後まで残り固定してしまうと問題があります。しかし、人との関係で課題を解決しようとする点は変わりなく、新しい発見、発明も人との文脈の中で生まれ、人びとの中で育ち、守られていくものです。

探索心の溢れる子どもの芽をつぶさずに安全を確保する配慮はお母さん達に求められます。そして、予測される危険を察知して予防措置を取る配慮も大切な事です子ども達は自ら、発達の助けになるように相手をしてくれる、関係を持ってくれる大人を必要とします。閉鎖的情況より、開放された広い空間で集団での保育が意味のあることです

生まれたての赤ちゃんは見えていたものが消えても何の反応もありません。消えたものは存在しなかったかのようです。4ヶ月頃までこのような状態です。お母さんがそこに見えていなくてもいるのだということを知るのは、イナイイナイバーなどの遊びを通じて学習します。顔にハンカチを載せると自分で払いのけます。自分に関わることは能動的にその能力を見せます。対象の永続性は自分と関わりのある人の永続性から始まります

物の永続性は、4~5ヶ月の子は物が隠されていても、一部が見えているとその物を見つけることができます。が、完全に布などで隠されていると見つけることができません。8~10ヶ月になると見つられます。次に、子どもの見ている前でその物を別の場所に隠すと、その場所を見ていても、以前にあった場所を探します。12~15ヶ月になっても、見えない所で物を置き換えると、それに対応した探し方ができない。物がどのように隠されていても、完全に見つけるのに成功するには1歳半頃過ぎになります。2歳には大体の、この物の永続性は成立します。さらに物の永続性を獲得するために、さらに、そこにあった物が先ほどあった物と同じ物であり、本当は変わっていないことを知る必要があります。さらに、その位置が変わっても、こちらを見る角度が変わっても、物そのものは同じものであり、変わらない存在であることを知っていることが必要です。

赤ちゃんは、今目の前に微笑んでいるお母さんが、先ほどお乳をくれたお母さんが同一で、昨日とお母さんと、今日のお母さんが同一であることを知ることが大切です。人との関係が、変わらぬ存在があること、色々と気まぐれに働きかけが変わることがあっても、変わらぬ一人の存在が自分と関係していることを知ることが大切です。物の同一性は、鏡を利用して同時に三人の母親を見せると、5ヶ月以下の赤ちゃんは全然驚きません。それ以上の月齢になると、部屋の中で同時に自分を見つめる3人の母親に当惑します。ショックで泣き出す子もいます。いつも見ているお母さんが1人しかいないことがわかっているのでしょう。ある物がある物と同じ物であるという、物の同一性、が確立されています。対象世界の確立には、この様な物の永続性や同一性がまず必要です。何時も変わる不安定な外界は、確かな自分を成立させる事ができません。

何時も、自宅で見ているお父さんが、お母さんとデパ地下で、よそ行きの服を着たお父さんに出会うと、始めはお父さんに見えません。2歳児には、物も人も自分も、そして関係も、場面の文脈の中でしか捕らえる事ができないのです。このときお父さんが、抱き上げてくれると、アッお父さんだと分かります。人との関係づけで文脈への依存が崩れ、場面の違和感を克服すると、概念を駆使する思考へと向かいます。この克服に失敗すると、文脈の依存の知能から脱却できません。場面に埋没した状態をつき破り、そこから抜け出そうとして、自己を周囲からわき立たせるのが3歳児です。
物の永続性、同一性の発達線上に、概念の獲得がなされます

物が消えてもなくならず、どこかに存在すること(永続性)を知り、おかれた時や場所が異なっても、物そのものが変わる事が無い一つの物であること(同一性)がわかったならは、次にその物の形が変形したりしても、その物の量が不変であることを学び取る必要があります。これが物の保存性の認知と言われるもので、この成立によって、認識は正しい科学の概念を学習するにふさわしいものになります。科学の基本である量概念の土台に、量の不変、概念があり、一種の基準という出発点になります。ここがゆれ動くようでは確固たる真の量も確立できません。

3~4歳までは、絵でも本でも自由自在に斜めにして見たり、さかさまにして見たりします。大人は空間に色々枠をかぶせて見ます。そのため正しい位置でしか読めない。しかし、幼児には自分を中心とした枠で捕らえようとする枠があります。お母さんに、今日見た事を話す場合、自分が見た光景は、お母さんも見ていたように感じます。自分の枠組みや座標にかたよる事を自分に中心化していると言います。自己への中心化は視覚への中心化を伴い、視覚への中心化は、その根底に自己への中心化があります。保存性の成立は自己の形成に深く関る。自分に中心化している思考から脱け出るためには、見えない部分で何かが進行しているかを見抜く力が必要です。

見える部分と見えない部分の関係を知る力が必要です。自分と現象との関係を知る力が必要です。見えている世界にとらわれている自分を解放させる事が必要です。とらわれないこころこそ物事を客観的存在であることを知る。この事が、本当の知能と思考が確立し、概念の知能、が真にひとり立ちできるようになる。ここにいたるには、長い自己の発達過程をたどる必要があります。

3歳児というのは、大体、2歳半から4歳半ぐらいの幅があると思ってください

3歳児は、昨日の自分と今日の自分、そして明日の自分が一つの同じ自分であり、自らが一貫した行動の主体である事を知り始めています。他者であるお母さんの同一性が分かる事は、また、自分の同一性が分かることを示しています。周囲の人々の中に融合して、その時、その場で、自己が消えたり浮かんだりする事がなくなります。この頃、外界の一つ一つの事実や、ばらばらの経験が、自分と強く関る事で一貫した自己と結び付けられ、自分の歴史の一貫性の上に位置づけ、保持されるようになるのです。これが記憶で、それ以前の自己が分化していない乳幼児では、記憶として残るべき場所がない。

3歳児は、人と融合したうすもやの社会から「自己」が分化し、スタートを始めたのです。

「はず」の世界は、今までの経験、つまり「こうしたときは・・・こいうだった」という過去の経験がもとにあるのです。「もしこうなら、こうなるだろう」という予想が立つのです。「こうなるはずだ」と考え、「こうなら、こうなるだろう」という仮説が立つと、その一つ一つを確かめなければ気がすまないのが3歳児です。概念のでき上がった大人のように2~3確かめればあとは同じだろうというわけには行かなく妥協は無いのです。こういう経験主義は、個人差もありますが、過去の経験を生かして探索行動を生み出す引き金になる、3歳児の共通した特徴です。

4,5歳になると「はず」の世界にもう固執しません。
「あったはずだが、ない」ということがわかり、次の探索場所に行動を移せるようになります。

「つもり」の世界は、いいつけを守って自分から「・・・しよう」とします。できるかできないかは別として、「・・・するつもり」の自分が現れます。この自分に訴えてやれば、不安なく自分から進んで物事をやろうとするのです。3歳以前ですと無理です。自分が出始めた3歳児は、主体的に「自らが行く」ので、抑圧したり、やろうとしていることを禁止したり、手伝っている行為を傷つける様な事をされると、かえってマイナスです。よく納得させて、やる気になっていると、自分の意思が出來、辛抱することが可能です。

遊びについては、3歳児は各自が勝手に遊んでいます。お互いに話しかけることも無く、しかし、お友達と遊んでいる「つもり」です。後で聞くと、・・・ちゃんと遊んだといいます。「平行遊び」の段階です。しかし、お互いが関連無くても、どこか共通したところがあり、友達とその場を楽しんでいます。一人でいるときより活発ですし、相手にも気にしているように思えます。「つもり」どうしが衝突すると、自分のつもりを実現するために相手から奪い取ることも起こります。相手も取り返します。けんかになり、この衝突を重ねることにより、お互いを認め合うことを前提とした役割遊びの段階に進んでいきます。

3歳児は、自分と物、自分と人との関係がはっきり意識され、自分中心に星状に広がる要の位置にいます。お母さんは、隣の子にはおばさんだし、お父さんにとっては妻だし、弟ができれば、母と自分との関係がつぶれそうになる、というような自分中心のために、各役割を持つ母の事が理解することができない。5,6歳児になるとこのあたりの理解はできます。

3歳児は冷蔵庫を開けてはいけないという言いつけを守れます。さらに、お母さんが帰ってくれば飲めるはずだという、過去の経験からわかるのです。

1,2歳児はほしいものがあれば、泣けば開けてもらえる。という段階にいます。
「自分でする」というよりも自分のやり方で、自分の論理ですることで、大人の決まり、社会のルールといったものをすぐに受け入れるのでなく、「こういうはず」「こういうつもり」という自分の見方や論理のふるいにかけて納得しないと承知しないのです。このような原理主義、公式主義は、大人のとって困ることになり、駄々っ子の強情な3歳児現象が出てきます。

こういった自分の論理と現実との衝突の中で、自分をコントロールしていくことになります。
この自己ができていくことは、自分の体のコントロールのも強く反映していきます。すなわち、自分をかえりみてまとめる自己ができていくことは、自分の身体のコントロールの面にも強く反映してきます。つまり、右手に積み木を持ちながら、左手でとんかちを打つというように、自分の運動を同時にまとめていくことで、「ながら」の世界と呼びます。

3歳は「・・・しながら、・・・する」という2つのことを同時にすることが可能になっていくことで、2つの動作、2つの課題を自分の動作としてひとつにまとめ上げていくようになりますが、大人のような「ながら族」にはまだなりきれません。(ラジオを聞きながら勉強)光がつくと、ボタンを押し、光が消えたらボタンを離す。(音が鳴ったらボタンを押し、音が消えたらボタンを離す。遊戯聴力検査ができ始める頃です。)

2歳児は刺激にあわすことができないので、自分勝手に押したり離したりバラバラの行動になります。3歳児は刺激に対して少し遅れて反応します。4歳児は刺激に正しく、即座に反応します。3歳児は刺激・情況に主体的に自分をあらわそうとひたむきな努力の時期です。この、ながら、の世界の成立はことば、記号が大きな役割をします。

「ようい、ドン」「スットプ」の掛け声は、大人との一対一の関係か、少人数の場合に、身体行動のコントロールできます。大勢では、ことばや合図より状況に引っ張られてしまいます。このスタートの合図の前の溜め込みは大変難しいのです。3歳児は、体をコントロールして、未来を溜め込み、自分の心をコントロールすることができるように成ってきます。

3歳児は反抗期といわれます。3歳児は誰に反抗しているわけでもなく、自分の主体に忠実になろうとしているのです。この主体性が輝きだす時期で、大人が同じく、経験主義、公式主義では社会に通用しません。原理を振り回してもらうと他人に迷惑を掛けるばかりです。しかし、この時期は、誰でも子どもは通らねばならない、理論を貫き、自己の芽を伸ばし、自我のあふれる発達の時期なのです。

この時期の、急いだ教育で表面的な学習能力で結果を急いでも、正しい発達とは思えません。3歳児の能力を発揮して、「はず」の世界、「つもり」の世界、「ながら」の世界を広げていくことが、後の発達の基盤を確かなものにしてくれます。3歳児は、よく次の子ができる時期でもあります。退行したり、甘えん坊、思いやりのある子、自制心の無い子(かまいすぎ)、飽きっぽく、甘えの強く、根気の無い子(何でも親が拒否する)、ゆずり合い、がまんをして順番を知る、主体性を持っていくことを阻害しない、ほっとくようで、ほっとかない。ほっとかないようで、ほっておく。一歩退いて見守ると、将来の開かれた存在として成長していきます。

全米言語聴力協会以下のような症状が見られると、聴力や脳の機能に問題があるかもしれないといっています。

0~3ヶ月 おしゃべりに耳を傾けず、のどや鼻を鳴らして連続した音をたてない。

4~6ヶ月 音の出るおもちゃに気がつかない。掃除機などの音のするほうに視線を向けない。
親が「ダメ」と言っても反応がない。

7~12ヶ月 「タタ、ウブウブ、ビビビ」と言った音のかたまりー長くても短くてもいいーを出さない。不明様なことばさえ話さない。名前を呼んでも反応しない。

1~2歳 1,2語で質問したり(猫、どこ?)。2つの単語を結びつける(ママ、本)ことができず、簡単な物語や歌、詩にも耳を傾けない。

2~3歳 物の名前を言わず、2,3語の単語を使って短文で意思表示することが無い。「行く」「止まる」などの意味の違いがわからず、「本を取って机の上に置いて」などの簡単な命令に従わない。玄関のチャイムなど、周囲の音に気づかない。

赤ちゃんへの話しかけ方は、難聴児にも通じる話しかけ方でもあります。
新生児には、大きく抑揚のついた話声、高い声で、ゆっくりと、音楽のように抑揚をつけて話しかけることは、「音素」と呼ばれることばの最小単位の音を認識する脳の神経回路の形成に役立つと考えられています。子どもが他人の話すことばを理解し、自分でも話せるようになるためには、欠かせません。さらに、ことばの音と意味とを結びつける脳の回路も、やはり話しかけることで発達するようです。

緩やかなリズムではっきりと話かける。子どもにとってはこれが、自分がことばを発するときの手本となる。さらに、脳のニューロンが特定の音素を識別する能力をつけるための訓練にもなる。―これは読むことにも欠かせない能力である。-文の中で特定の単語を強調する(あの鳥を見た?)ことは、子どもの注意を引き付けることに役立つ。

繰り返しは、言語能力の土台となる神経の回路を強化する。親が「ベッド」と言うことばを発し、同時にベッドを指すような刺激を繰り返すと、子どもは両者の関係を早く理解する。ただし、退屈な反復練習にしてはいけない。子どもがことばを覚えるのは、親がことばを覚えるのは、親がことばを口にしながら物を指すのを黙ってみているときでなく、親と交互に会話するときである。

生後4ヶ月頃になると、赤ちゃんは親の発音と口の形の関係を観察している。だから、必ず子どもと向き合って話をすること。赤ちゃんの発することばをまねてのせるのもいい。

子ども相手だからと、ことばを単純にしすぎてはいけない。「どうしてかというと」「つまり」などで、複数の文をつなげて話すことが多い親の子は、そうでない親の子より単文のレベルを早く卒業する。

親と対話する機会が多いほど子どもの語彙は豊富になる。テレビの音や人の会話をただ聞かせるだけでは、言語能力を育てる効果はほとんど無いようだ。

子どもの成長に必要な7つの条件
永続的な温かい関係
乳幼児は、保育者との親密な関係を必要としている。こうした関係は、早期の英才教育などよりもはるかに子どもの情緒的・知的発達にとって重要である。それが欠けると、考える力や意欲、他者との関わりなどで、子どもが問題を抱えることになりかねない。

安全な環境を保証する
胎児の頃から、物理的にも生理的のも安全な環境で育てること。有害な化学物質や暴力から子どもを守ろう。

ひとりひとりに合った保育
子どもは1人ひとり皆違う。その子に合った育て方をすれば、学習の遅れを防ぎ、潜在能力を大きく伸ばすことができる。

成長段階に応じた体験
子どもは成長段階に応じた保育を必要としている。非現実的な期待を押し付けると、子どもの発達を妨げる。

愛と理解に支えられたしつけ
子どもには決まりと躾が必要である。ただし、頭から抑え付けるのではなく、子どもの気持ちを理解すること。レッテルを張らずに、子どもの可能性を信じよう。

地域の支えと文化的土壌
人格を形成するには、地域社会の安定が不可多様な文化に触れさせつつ、一貫した価値体系の中で育てよう。

子どもの未来を守る
全ての子ども達に必要な保育を与えよう。それができなければ、未来は危うい。

* 最後に
育児書に書かれているような、赤ちゃんの入浴後の耳、鼻の入り口を綿棒で拭くことは、皮膚の弱い赤ちゃんにはよくありません。痒くなり、湿疹を起こして耳から耳介にかけて汁が出てきます。鼻の入り口の綿棒のこすりすぎで、鼻毛が無くなり、鼻が乾燥して、鼻の入り口に鼻汁が乾き鼻くそとなり、加疲が付着して、鼻がつまり、ミルクを飲むのに支障が出ます。耳、鼻は絶対に触らないことです。入浴中水が入っても自然乾燥してください。耳垢は取らないことです。耳垢は取らなくても支障はありません。自然に排出できる作用があります。かえって触ることのほうが影響は大きいです。鼻水の出る子は、鼻の外だけを拭き、鼻水止めをもらいましょう。詰まっていてはミルクが飲めません。

オリーブ油で乾燥を防ぎましょう。新生児には、羊水が耳から出る場合があります。この場合は外を拭き、耳鼻咽喉科に行きましょう。新生児聴力検査がこのようなことも考慮しないと余計な心配を増やします。

誤嚥は、鼻の中、耳の中の異物に次いで多く、丸い円筒形のようなものが多くボタンやコインなどが多く、ビー球などは気管に入り重大なことになります。

冬の暖房器具、熱湯、コーヒーなどをこぼす等々は赤ちゃんに一生消えないケロイドを残します。特に女の子には一生恨まれます。

ベビーベッドの柵に頭を挟まれ窒息、柔らかいクッション、掛け布団重みや口元にかかってしまう等々で、首の据わっていない赤ちゃんの呼吸をふさぎます。

トイレや浴槽の水に落ちておぼれることもあります。

マンション等のベランダにものを置き、柵の乗り越えで落下はよくニュースで報道されています。

車内の置き去りでの死亡もよく報道されます。

これらは全て親が注意しなければならないことです。危険を予知して、回避する心構えが、事故を防ぎます。

参考図書
ニューズウイーク新・0歳からの教育
子どもはことばをからだで覚える 中央新書 正高信男著
乳幼児の世界 岩波新書 野村庄吾著
 
























Since 1999.5- Copyright(C)「きこえとことばの発達情報室」 by Dr.Toshihiro Kuroishi
Powered by Central Station