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(2008年 1、2月)

グレイトジャーニー(アフリカより世界に)
         ミトコンドリアDNAの旅とY染色体の旅

『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』

「パラサイトイブ」瀬名秀明から始まり、ブライアン・サイクスの『イブの七人の娘たち』、『アダムの呪い』(ソニー・マガジンズ)、分子生物学講義中継 井出利憲 羊土社、NHK高校生物学と進んでいき、『出アフリカ記:人類の起源』クリストファー・ストリンガー、ロビン・マッキー(岩波書店)で2005年1月に記載して以来、ミトコンドリアDNAは絶えず気になる存在でした。

http://www21.big.or.jp/~pcs/ent/omoukoto/2005_1/zakkan.htm

埴原和郎 http://www.ywad.com/books/296.html 日本人の誕生(人類のはるかなる旅)埴原和郎 吉川弘文館 歴史文化ライブラリー1 二重構造論提唱

DNAが解き明かす日本人の系譜崎谷 満 勉誠出版http://www.ne.jp/asahi/wtnb/2000/recommend/genre1/sakitani.htm

ミトコンドリア・イヴ  - ホモ・サピエンスの母 -

「アダムの旅:Y染色体がたどった大いなる旅路」スペンサー・ウェルズ(basilico)、『人類進化の700万年:書き換えられる「ヒトの起源』三井誠(講談社現在新書)、『ミトコンドリア・ミステリー』林純一(講談社)、『DNA人類進化学』宝来聰 (岩波科学ライブラリー52:岩波書店)と読み進み、この11月にNHK「サイエンスZERO」で再放送を含めて3回放映されました。http://www.nhk.or.jp/zero/

これを見て、早速NHK「サイエンスZERO」にメールを出しましたところ、電話で『日本人になった祖先たち』DNAから解明するその多元的構造:篠田謙一 NHKブックス を紹介されました。読むとここには放映されていなかった多くの情報が書かれていました。篠田謙一氏はサイエンZEROに出演した国立科学博物館人類第一研究室長で分子人類学者です。この内容に心が躍り、取り上げて、私なりに整理したいと考えました。

● DNA研究結果得られた結果の配列はDNAデータベースに登録して、世界中の研究者が利用できるようにすることがなかば義務付けられている。現在ではヒトを含めたあらゆる生物の膨大な数のDNAデータが蓄積されつつありあす。日本では国立遺伝学研究所がDDBJ(DNA Data Bank of Japan)と呼ばれるDNAデータベースを運営している。登録されているDNAデータベースはインターネット経由で誰でも利用できるようになっている。現時点で登録されているミトコンドリアDNAデータを収集して、色々な地域の系統図ができます。

http://www.ddbj.nig.ac.jp/index-j.html
http://www.ddbj.nig.ac.jp/intro-j.html
http://lifesciencedb.jp/ddbj/help.cgi?group=all#WHAT_INSD
http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp184.html
http://www.ikeda-h.oku.ed.jp/education/bulletin/00sougou/12-f-1/aboutmt.html
http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf111-6/p832-839L.pdf
http://www3.kmu.ac.jp/legalmed/DNA/romanov.html

● 研究紹介
人類第一研究室では、人類の形態と遺伝子に関する進化学的研究を行っています。遂行してい る研究は、人骨資料の調査と発掘に基づいており、国内外でフィールド調査をおこなっています。研究室では、人骨資料そのものを解析するとともに、霊長類 の各種やその他の哺乳動物との比較を通じ、ヒトの形態進化の機能的な意味を明らかにしようと努めています。

『日本人になった祖先たち』DNAから解明するその多元的構造、ミトコンドリアDNAの分析による現生人類の各集団の系統関係・移動経路について、現時点での研究には限界があるということを強調し、考古学や形質人類学など他分野との学際的研究が望まれる。日本人の成立については、大枠ではいわゆる二重構造論、縄文時代の日本列島の人々も、多様な地域から流入してきたことが指摘されていています。

http://www.kahaku.go.jp/my_reserch/06/shinoda/index.html

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070808/131986/

『ゲノムとは何だろう』 http://www.lif.kyoto-u.ac.jp/genomemap/

各染色体の末端には、テロメアという小さなキャップのような構造があり、染色体をダメージから保護しています。細胞分裂の前には、細胞に含まれるすべてのDNAを複製する必要があります。しかし、細胞がテロメア(これもDNAからできています)を完全に複製することは難しく、複製のたびにテロメアはわずかずつ短くなります。ついには、テロメアは染色体から完全になくなってしまいます。テロメアの消失は、細胞死の原因となっていると考えられます。このようにテロメアが徐々に短くなることが、老化の1つの原因となっていると考えられています。奇妙なことに、癌細胞にはテロメアの長さを維持する能力、またはテロメアが消失しても生き残る能力をもつものがあります

「遺伝子」が、個々の表現形質に対応する原因となる因子を表わすのに対して、「ゲノム」という概念は、ある生物種の個体全体を完全な状態に保つために必要な遺伝的情報の1セットとして考えられたものです。したがって、ヒトならヒト、ネコならネコといったように、生物種ごとに固有のゲノムが存在します。ウイルスや細菌についてもファージゲノムや細菌ゲノムとよび、細胞小器官でも自分自身のDNAをもつミトコンドリアや葉緑体については、ミトコンドリアゲノム、葉緑体ゲノムという呼び方をすることがあります。遺伝情報そのものはDNAの塩基配列として保存されています。ゲノムの実体は細胞核のDNAであるといってもいいでしょう。ゲノムDNAの大きさは生物種ごとにずいぶん違います。仮に大腸菌ゲノムの大きさをJR山手線一周の長さとすると、ヒトゲノムの全長はほぼ地球の半周に相当するほどになります。藤山 秋佐夫氏

『遺伝子』

遺伝子は2本鎖のDNAで構成され、遺伝情報を受け継ぐ過程を制御している。個々の化学的な塩基、アデニン(A),グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)がつながったDNAの細い糸を小さな断片に分割して、これらの断片を数千倍も複製することで、1人1人を容易に鑑別するやり方でDNAは研究されている。

ヒトの体には、DNAは2つの場所に存在している。核DNAとミトコンドリアDNAである。核DNAは、発生期の胚の発達を制御し、姿かたちの、皮膚、瞳の色などを決定する遺伝子をのせている。ヒトの体内のどこの細胞内にも核という形であり、染色体の中に束ねられている。1番から12番までの染色体のほかに、2本のX染色体か、Y染色体1本とX染色体1本のどちらかの組み合わせで、合計23組の染色体を持っている。

染色体と言うのは、遺伝子をまとめて収納する入れ物です。体の設計図である遺伝子は、総数2万~3万個あるといわれている。バラバラになって核内にあるのではなく、染色体の中にグループになって収納されている。大きい染色体は3000個、小さいものでも数百個の遺伝子をまとめて収納している。

2本のX染色体の組み合わせは女性、1本のY染色体の存在は男性になる。

細胞が分裂すると、その中のDNAも分裂する。A,C,G,T塩基が補足的に連鎖する2重螺旋状の細かい糸も別れ、男女一対づつ、それどれは新しい第二の鎖を合成する。その結果、もとのDNA正確な遺伝情報の複製が作られる。この複製DNAは、23組の染色体の新しいセットという形で、新しく作られた細胞に移る。そこでこのDNAは、体を作る蛋白質の合成を指令する仕事を再開する。たった1兆分の6グラムのDNAが、膨大な情報を包括している。1個の細胞、つまり卵子が精子と合体して出来た受精卵が、独自の個体を発生させる能力を与えられる。人体のすべての臓器の全細胞にはDNA遺伝情報を含んでる。

男性はX染色体とY染色体を持ち、女性はX染色体の2個、持っている。

Y染色体は男性のみに受け継がれるが、この染色体に存在する遺伝子は70個あまりで、遺伝子全体の0.2%に過ぎない。1000塩基しかなく、男性を形作る以外に重要な働きをしている遺伝子はないようである。

第2の遺伝物質が、核の外の細胞内に無数にあるミトコンドリアと呼ばれる小顆粒中にある。この小器官は、細胞にとって微小エネルギー・パックの役割を果たしている。そうして自身の遺伝子、ミトコンドリアDNAを持っている。核DNAは両親から半分ずつ受け継がれる。将来の胚を養うために、受精していない卵子にエネルギーを供給するミトコンドリア小器官を持っておく必要がある。精子の尻尾の方にだけミトコンドリアDNAを持ち、卵子との受精が終わると、精子のミトコンドリアDNAは消失する。そのため、精子のミトコンドリアDNAは子孫に何も影響を与えない。母の卵子のミトコンドリアDNAのみが受け継がれる。

細胞の呼吸をつかさどるミトコンドリアに含まれるDNAは、塩基総数が約16500、測定されるのはその一部(Dループ: 1100個の遺伝に関わらない塩基列部分(”がらくたDNA”)、変化が激しいので個人差がよく現れ系統樹が作成できる)のさらに一部(482個、190個などの塩基列)で、それぞれミトコンドリアDNA全体の1~3%程度。

父親の精子によって100個程度のミトコンドリアが受精卵に持ち込まれるが(精子の尻尾の方にだけミトコンドリアDNAを持ち)、それにはユビキチンというたんぱく質がついていて、その目印のついたミトコンドリアを選択的に破壊するメカニズムが知られている。(時々破壊されないで残る場合がある) したがって、ミトコンドリアのDNAは卵子の母親からのものである。

『ミトコンドリアとは?』

ミトコンドリア(細胞内に数千個がいる)が細胞内共生由来であるとする立場から、ミトコンドリアゲノムと呼ぶ場合もある。ミトコンドリア DNA は、ミトコンドリアの持つたんぱく質などに関する情報が主に含まれており、ミトコンドリアが分裂する際に複製が行われる。ミトコンドリアに必要な情報の一部は核DNAに含まれており、ミトコンドリアは細胞の外で単体では存在できない。また逆に細胞が必要とするエネルギーを酸素から作り出せるのはミトコンドリアの働きによっており、細胞それ自体もミトコンドリアなしには生存できない。これらのことはミトコンドリアが細胞内共生由来であるという仮説の傍証となっている。ミトコンドリアDNAのB4c、D4nが長距離ランナーに特に多いと言う結果が出ている。運動能力はエネルギーを生み出すのがミトコンドリアであるので相関関係があるようだ。

一般にミトコンドリア病と呼ばれるミトコンドリアの異常によって起こる疾病も、ミトコンドリアDNAの異常に起因するものと、核DNAの異常に起因するものとがある。 ミトコンドリアDNAの遺伝子多型は、肥満しやすさの個体差に関係していると考えられている。

『伝達様式』

ミトコンドリアは卵子の細胞質に約25万存在する。精子鞭毛基部にもわずかに存在するが、精子が卵子の中に核DNAを渡したあと鞭毛ごと切り捨てられるなど、一般的に精子由来の物は受精前後に何らかの形で排除される。そのためもともとの卵子の中にあったミトコンドリアのみが細胞分裂後も引き継がれることになり、ミトコンドリアDNAは常に母性遺伝すると考えられる。父親から受け継いだという例も一例報告されている(Schwartz and Vissing, 2002)が、その患者はミトコンドリア酵素複合体の不足と重い運動機能障害を抱えている。

哺乳類の精子に含まれるミトコンドリアDNAは一般に受精後卵細胞の中で死滅してしまうとされる。精子由来のミトコンドリア(ミトコンドリアDNAを含む)は、後で胚の中で破壊されるようにユビキチンによる印が付けられることが1999年に報告されている。

有名なものには「イヴの七人の娘たちブライアン・サイクス(「THE SEVEN DAUGHTERS OF EVE」BRYAN SYKES)がある。現代ヨーロッパ人はほぼ7つのクラスター(群)に分けることができ(HV,H,V,J,T,I,W)、理論的にそのクラスターの元となる配列をもたらしたのは、旧石器時代の7人の女性だと考えられ、更にアジアやアフリカ人の遺伝子も検証したところ、現代に生きる世界中の人々の母系先祖はアフリカの一人の女性であると推定することができるという。

また、犯罪の現場で毛髪が見つかったがDNA鑑定が行なえないような場合に(自然に落ちた毛髪などは、毛根部分にDNA鑑定の対象にする組織が残っていない事がある)、ある人物を容疑者として捜査の対象に含めておくべきか、外してもよいかを決定する判断材料として、毛髪内のミトコンドリアDNA(毛髪内でもミトコンドリアDNAは残存している)が利用される。

○ミトコンドリア・イブとは、人類の進化に関する学説に対してマスコミが名付けた愛称で、アフリカ単一起源説を支持する有力な証拠の一つである。

カリフォルニア大学バークレー校のレベッカ・キャンとアラン・ウィルソンのグループは、できるだけ多くの民族を含む147人のミトコンドリアDNAの塩基配列を解析した。これを元に彼らは全てのサンプルを解析し系統樹を作成した。すると、人類の系図は二つの大きな枝にわかれ、ひとつはアフリカ人のみからなる枝、もう一つはアフリカ人の一部と、その他すべての人種からなる枝であることがわかった。これはすなわち全人類に共通の祖先がアフリカにいたことを示唆する。このように論理的に明らかにされた古代の女性に対してマスコミが名付けた名称が「ミトコンドリア・イブ」である。

ミトコンドリアDNAは必ず母親から子に受け継がれ、父親から受け継がれることはない。したがってミトコンドリアDNAを調べれば、母親、母親の母親、さらに母の母の母の・・・と女系をたどることができる。この場合父親を介して遡ることはない。またミトコンドリアDNAは組換えを経ることがないため、個々人のミトコンドリアDNAの違いは突然変異のみによると考えることができる。

突然変異は、中立説にもとづくなら、その発生頻度は経過した年月と相関すると考えられている。すると、二つの民族間でDNA配列がとてもよく似ているということは、分かれた後に起きた突然変異が少ないと言うことで、より最近にわかれた民族であるということを示す。あまり似ていない配列は、たくさんの突然変異を蓄積してきたと考えられ、古い時代分にかれた遠い民族であるという基本的原理が成り立つ。

全人類とは言っても調べたのはミトコンドリアDNAであるので、すなわち全ての人類の母親をたどると、一人のアフリカの女性にたどり着くのではないかと考えることができる。このため、ミトコンドリア・イブはより正確に言えば「全人類の最も近い共通の女系祖先」だと言える。(彼女の女系祖先はすべて「人類の共通の女系祖先」である。その中で「最も近い」のがミトコンドリア・イブである)

そのような女性がいつごろ存在したかについて、キャンらは突然変異の蓄積の速度を仮定し計算を行ったところ(分子時計の理論による)、人類の仮想上の共通の母親は、約16±4万年前、つまり最大で20万年前に存在すると結論づけた。この論文は、科学雑誌ネイチャーに1987年に発表されたものである。この論文はダーウィンも推測した「人類のアフリカ起源説」を裏付ける証拠であった。しかし、後に(このような数値には必ず±がつき、±がない場合は信憑性を疑うべきであるにも関わらず)最大値の20万年前が一人歩きし、ヒトがそれまでの説より数万年さかのぼり、20万年も前から存在したことが証明されたという誤解を生じた。(実際に対象とした塩基配列数と標本数を比較すると4万年という誤差は妥当な値である。)

この結果は、2000年にネイチャー・ジェネティクス誌において発表された、スタンフォード大学のピーター・アンダーヒルとカヴァッリ・スフォルツァらのグループによる父親から息子にのみ伝わるY染色体を用いた同様の検討により、ほぼ同じパターンが見られたことから確認された。これはY染色体アダムと呼ばれることがある。Y染色体アダムは6万年前頃に生存していたと見られ、ミトコンドリア・イブの夫である可能性はほとんどない。

これらの科学的成果は一般にも大変興味のあるところであり、たちまち広く知られることとなったが、同時に誤解をうむことともなった。特に「すべての人類はたった一人の女性からはじまった」とするものがある。正しくは、「すべての人類は母方の家系をたどると、約15-30万年前に生きていた一人の女性にたどりつく」ということである。この二つの言い方は、方向が逆であるだけでなく、本質的に異なる。以下にその誤解を解くための説明を述べる。

ミトコンドリアは女性からしか伝わらないため、男性は自分のミトコンドリアDNAを後世に残すことができない。また、女性は自分が産んだすべての子にミトコンドリアDNAを伝えるが、その子らがすべて男性だった場合、彼女のミトコンドリアDNAは孫に受け継がれずに途切れる。もし子に女性がいても、娘が産んだ孫に女性がいなければ、やはりその家系のミトコンドリアDNAは廃れる。つまりある個人のミトコンドリアDNAが子孫に伝わるためには、その間のすべての世代に少なくとも1人は女性が産まれなければならない。
http://jp.youtube.com/watch?v=JFQlIp8VvFU

核に周辺にある多数のミトコンドリア
ミトコンドリアが多数、核の周りに見られる(活発に動いている)
ミトコンドリアの電顕

この3枚の写真から、我々が教科書で習ったミトコンドリアの形は電顕所見の絵になりますが、他の2枚の写真は驚きます。

ミトコンドリアは直径一ミクロン以下の細胞小器官で、カプセル型のミトコンドリアはネットワーク状や糸状の形をしている。ミト(mito=糸)コンドリオン(chondrion=粒子)これが単数で、複数がミトコンドリア。お互いに融合したり、分裂したりして出来る集合体である。生きているミトコンドリアは神経細胞のように連続的につながり、細長く網目状になっている。

ミトコンドリアはそれどれ独立したカプセル状の構造体で細胞質に独立して散在していると勘違いしている場合が多い。

ラットのミトコンドリアDNAの電顕写真 ミトコンドリア

ミトコンドリアDNAの正確な数は16568塩基対である。(全塩基配列は四つの塩基A4の紙8ページ、16568塩基から成る)。

Ⅰ、『核のDNAとミトコンドリアDNA』

動物細胞では核のDNAとミトコンドリアDNAとがあり、この2つはまったく別物である。
40億年前の生命の誕生から、バクテリアなどの原核生物真核生物という2つのグループに分類される。地球上に最初に現れた原核生物はまだ核などの細胞小器官を持っておらず、生物の遺伝情報をになうDNAはまだ細胞質の中にあった。その後、一部の原核生物は、細胞を覆っている細胞膜を変化させ、2層の膜からなる核膜を細胞質内に作り上げた。原始真核生物である。そうしてこの核膜の中にDNAを保管することで核という細胞小器官を構築し、真核生物に進化していった。
原核生物は核、ミトコンドリアのような細胞小器官を持たず、細胞内の分業体制が構築されない。それ以外の真核生物のほとんどが核とミトコンドリアを持っている。


2重膜で出来ていて、細胞内で分裂・増殖し、独自のDNAを持っていて、これは細胞核と違い輪ゴムのような形をしている。そして一部のタンパク質を自前で合成しまるで細胞内で細菌であるかのように振る舞っている。

酸素をつかうことの出来ない真核細胞生物が細胞質の中にミトコンドリアを取り込み、共生をはじめたのである。その細菌を取り込んだ真核細胞生物、つまり宿主細胞はその共生を始めた初期にそのミトコンドリアの先祖から、DNAの大部分を奪い、自らの核内DNAへと情報をうつしかえたようだ。そしてミトコンドリアがふたたび外へと出て生きてゆくことの出来ないようにした。

今ではミトコンドリアは細菌だった時代の1割ていどのDNAしかもっていないようだ。

このようにミトコンドリアを持った生物は、その効率の良いエネルギー供給のおかげであろう。
様々な進化をとげ、地球上にあらゆる形で広がっていった。動物、植物はもちろん、菌類まで、現在地球上で見かけられる生物のほとんどすべてがミトコンドリアを持っている。

見方を変えれば、地球上でもっとも繁栄しているのはミトコンドリアともいえる。

ヒトは60兆個の細胞で形作られている。それらの各細胞に約2000個のミトコンドリアがふくまれている。つまり、ヒトひとりは12京個(1.2×10の17乗個)のミトコンドリアをもっていることになる。まず、宿主細胞は、ミトコンドリアの分裂をコントロールできるようにしている。核内の遺伝子から作られるタンパク質で、ミトコンドリアを強制的に分裂させているようだ。また、有性生殖を行う生物のほとんどでは、母親由来のミトコンドリアだけが子供へ伝わるようになっている。これをミトコンドリアの母性遺伝という。このことで、違う種類のミトコンドリアDNAが混ざり合い、多様性を持って、進化をとげることを妨げているのではないか。このようにミトコンドリアは細胞核に大きく支配されているようだ。

Japanese Genetic Roots: Ainu and Native South Americans以下のサイトを必ず見てください。大変分かりやすい。
http://jp.youtube.com/watch?v=JFQlIp8VvFU
http://jp.youtube.com/watch?v=CguNE9vcd-8
http://jp.youtube.com/watch?v=wSPmpK5OR3M


『ボストン大学のリン・マーギュリスの仮説』

原始真核生物は、細胞膜を取り囲み、新たに2重膜で覆われたと言う細胞小器官を発達させ、その中に自らの遺伝情報を担っているDNAを確保することで真核生物へと進化して言った。

葉緑体の祖先となった第2の原核生物は光合成をする能力を進化させ、原始の地球に多くあった二酸化炭素と水と太陽を利用してブドウ糖と酸素を合成した。酸素は生物にとって極めて危険な物質である。酸素は元素中、フッ素に次いで電子を引き付ける力が強く、周囲の物質と結合するという性質を持っている。そのため、酸素が体内に入ると、生命活動に必要なDNAやタンパク質と酸化反応を起こしてボロボロにしてしまう。原始真核生物は、核膜によりDNAを保護するように進化していたが、酸素に対する防御は不十分で、他の原核生物同様、死に絶えるか、酸素の少ない地下の限られた空間に逃げ込む。葉緑体の祖先は、酸素を発生させる事で多くの生物を絶滅の危機に追い込む。

第3の原核生物は、光合成により地球上に蓄積し始めた酸素を利用してブドウ糖を二酸化炭素と水とに分解し、そのときブドウ糖に蓄えられた化学エネルギーをATPのエネルギーに変換できる。すなわち酸素呼吸を行う能力を獲得した。これがミトコンドリアの祖先である。

そこで原始真核生物の一部はこの原核生物を自らの細胞に取り込み、有害な酸素の処理できる上に生命エネルギー生産できるミトコンドリアの祖先を取り込んだ原始真核生物は、酸素を逃れて地下に逃げ込んだ原核生物は取り残され、有害な酸素に覆われ始めた地球の表舞台に出て激しい生存競争に勝ち抜いていった。

最初、ミトコンドリアと共生し始めた真核生物は、現在のアメーバーやゾウリムシのような単細胞生物であったが、ミトコンドリアというエネルギー生産力を持ったことにより、より高等で複雑な生命機能を営む生物への進化が約束された。

ミトコンドリアDNAは核DNAと異なり、バクテリアなどの原核生物のそれに似ている。
ミトコンドリアの酸素呼吸の結果、大量に発生する活性酸素は酸素より強力な酸化作用を持つ。酸素呼吸によって酸素の一部は活性酸素になり、遺伝情報の担い手であるDNAを破壊したり突然変異を起こす原因となった。その結果、ミトコンドリアの祖先は自らの存在すら脅かされる危険も同時に獲得してしまった。

ミトコンドリアの祖先はこの活性酸素によるダメージを避けるために、原始真核生物の中に共生(パラサイト)として潜り込み、自ら遺伝情報の大部分を、活性酸素の害が及ばない、より安全なところ、寄生した真核生物の核の中に避難し、酸素呼吸で生命エネルギーを供給できるように進化したと推測される。

ミトコンドリアDNAを発見したのは、スウェーデン・ストックホルム大学の生物学者マーギット・ナス1963年です。

Ⅱ、『核DNAとミトコンドリアDNA』


細胞内の数と遺伝様式:ミトコンドリアDNAは塩基配列がほとんど同じ分子が1つの細胞あたり数千コピーもの集団として存在する。ミトコンドリアDNAは例外なく母親由来である。『精子が卵子に受精するとき、精子のミトコンドリアはエネルギーを使い果たし?精子のミトコンドリアDNAは消滅してしまう。従いミトコンドリアDNAはすべて卵子のミトコンドリアDNAとなる』核DNAは両親からそれぞれ1コピーずつ受け継ぐ。したがい細胞内に計2コピーしか存在しない。

遺伝情報が翻訳(蛋白質に変換)される場所:核DNAの遺伝子は核の内部で転写されてRNAになった後、核の外に出て、細胞質で蛋白質に翻訳される。ミトコンドリアDNA遺伝子のRNAへの転写と蛋白質への翻訳はすべてミトコンドリア内でおこなわれる。

細胞が分裂する際の遺伝情報の複製と分配:核DNAはDNA合成期にすべての複製作行がおこなわれる。その後、細胞分裂のための染色体の構築が行われ、しばらくしてから分裂期になると特殊な分裂装置が出現する。この装置は、親細胞が持っていたすべての遺伝情報(ゲノム)を、分裂して生じた2つの娘細胞が同等に持つように厳格に分配する役目がある。この分裂装置があるおかげで、南海も細胞分裂を繰り返した後でも、1つ1つの細胞は受精卵の核DNAとほとんど変わらない遺伝情報を持つことが出来る。是に対して、ミトコンドリアDNAを複製したり娘細胞に方法は異なる。数千コピーもあるミトコンドリアDNAの複製はランダムに起きることに加え、ミトコンドリアDNAは核DNAのような分裂装置はない。基本的には確立の法則に従い、ランダムに娘細胞に分配される。その結果、親細胞が正常型(野生)ミトコンドリアDNAと突然変異型ミトコンドリアDNAの両方を持っていても、細胞分裂して出来る娘細胞の中には、どちらか一方の型しかないことが生じる。

DNAの遺伝情報を遺伝子として利用する頻度と暗号の使い方:生物の設計図としてDNAに刻まれているすべての遺伝情報をゲノムと呼んでいる。ヒトの核ゲノムは片親からもらうすべての遺伝情報、すなわち23種類の染色体DNAの遺伝情報のことを指す。ただし、この遺伝情報として働いているわけではない。遺伝子は主に以下の3種類に分類される。A)蛋白質に変換(翻訳)されるメセンジャRNAをコード(指令)する遺伝子(構造遺伝子)、B)アミノ酸を運搬するトランスファRNAをコードする遺伝子(トランスファ遺伝子)、C)リボゾームを構成し、蛋白質への翻訳を助けるリボゾームRNAをコードするリボゾームRNA遺伝子

真核生物の核DNAは遺伝子として利用している領域、つまりRNAに転写される領域はゲノム全体のわずか5%以下であるのに対し、ミトコンドリアDNAは、無駄な遺伝情報を排除し、逆にゲノム全体の95%を遺伝子として利用している。

このようにして出来上がってきた、真核生物は、自らの古くなった細胞を死なせて、数日から数ヶ月の周期で新しい細胞に幹細胞から再生してくる。神経細胞や心筋細胞のように置き換えのきかない細胞もある。各細胞にはある時期が来ると死滅する遺伝子が組み込まれていて、長い生物の進化の上には、各細胞に時計遺伝子も組み込まれている。再生系細胞の死をアポトーシスといい、非再生系細胞の死をアポビオーシスといわれている。

そうして自らの遺伝子を子孫に残す役割を担ったDNAを持つ生物は、生存に適さないDNAは淘汰され、残った遺伝子が次をにない、老化遺伝子が各細胞に、寿命を知らせ、非再生系細胞の死の伝令にて生物の寿命はヒトなら約100年、犬なら約20年と言うように決められている。永遠の生命は遺伝子には組み込まれてはいない。

人類の始まりは約700万年前にさかのぼります。「哺乳網霊長目ヒト科」は猿人化石の多くはアフリカの東部ヴィクトリア湖の東、紅海よりに多かった。しかし人類最古の化石はサヘラントロプスが大地溝帯の西アフリカ中部のチャドであった。

800万年前頃に大地溝帯が大きく隆起して人類の祖先種がアフリカ東部に隔離された。乾燥化が進んだのは300~250万年前以降と考えられているので、人類が進化しはじめたのは、草原でなく、森林のような環境だった可能性がわかってきている。(サヘラントロプス・チャデンシスの化石の地層から、森林のサルであるコロブス、魚、ワニ、ゾウ、ウシ、カワウソ、カバ、ヘビなどの多彩な動物化石が見つかっている。これは湖や草原、林など異なる環境が混在するモザイク状の土地に初期人類が生きていたことを示す)。

人類が誕生して約400万年の間、脳の大きさが500ccを大きく超えることはなかった。現生人類の約三分の一である。この人類進化の約半分の間、脳の大きさや体格に劇的な変化が無かった。この停滞を打開したのは気候の変化だといわれている。人類を“人間らしく”したのは、アフリカの乾燥化らしい。300~250万年前以降、アフリカでサバンナが広がった。草原で生きる人類は、それまでと違う自然選択の力が働いたのだろう。その結果、体格が変り、行動にも変化が出た。250~180万年前の化石から、当時の変化が読み取れる。

人間の脳が大きくなり始めるのは、240万年前頃である。しかし、現生人類のまだ半分ほどである。

ホモ属の誕生から、大きな転機を迎え、180万年前になると、脳の大きさは際ほどの約600ccから800ccを超えてくる。これがホモ・エレクトスの誕生である。原人と言う呼び名は「ホモ・エレクトス」をさす場合が多い。「猿人」-「原人」-「旧人」-「新人」と言う分類は20世紀後半からは使われなくなり、複数の人類種がいた事が分かった。

1967年、ヴィンセント・サリッチとアラン・ウィルソンらは、分子時計の拡張を考える。彼らはヒト、ゴリラ、チンパンジー、オランウータン、テナガザルの抗原タンパク質などからその変異を調べた。彼らは、比較する二種類の生物のDNA鎖を混ぜたハイブリッドDNAを作り、このハイブリッドDNAの熱的安定性を調べることで、DNAの塩基配列の差を調べるという手法を採った。

彼らは、この実験により得られたデータから年代との相関関係を求め、分子時計を作った。これによると、類人猿系列からテナガザルが分岐したのが1100万年前から1300万年前、オランウータンが分岐したのが900万年前から1100万年前、ヒトとチンパンジーやゴリラと分岐したのが400万年前から500万年前ということになった。

このデータは大きな議論を起こした。それまでは、類人猿とヒトとの分岐は、1400万年前くらいに生息していたと考えられていたラマピテクスであったというのが主流の考えであったからである。

この後、遺伝子の研究が進み、また、遺伝子解析方法も高度化していくにつれ、分子時計も更新されていった。新しい分子時計が示す結果もサリッチらの研究を裏付けていくデータとなった。

1981年、イギリスのフレデリック・サンガーらが初めてヒトのミトコンドリアDNA(mt-DNA)の全配列の解読を終え、これから求められたヒトとチンパンジーの分岐年代も400万年前程度であった。

一方で、ラマピテクスはオランウータンの祖先に近いことがこのころ判明し、ヒトの分岐が400万年前から500万年前に起きたという説が有力となった。

『なぜアフリカなのか』

ダーウィンは人類誕生の地としてアフリカを候補にあげました。

第一には樹上生活から地上生活への比重を強めて、直立二足歩行を採用した唯一の動物が人類の祖先であった。これには地球環境の森林の縮小があった。長期的な環境変化があった。

第二は、なぜアフリカなのかに関しては、今のところ明確な説明はありません。新人のアフリカ起源説のバックボーンはDNA分析の結果である。しかしDNAはいつ人類が誕生したかを教えてくれるが、そのきっかけは何かは今は分かりません。考古学、化石の発見を積み重ねるしか今は解決する手段はない。

1987年、アメリカのアラン・ウィルソンは更にヨーロッパ、アフリカ、アジア、オーストラリア、アメリカの147人のミトコンドリアDNAを使って調査を行った結果を公表した。それは、すべて14万年前から29万年前のアフリカにいた女性の子孫であるという衝撃的なものであった。これはアフリカ人同士の配列が一番遠く、アフリカから離れるにつれて配列が近くなっていくことから分かったものである。これにより、ヒトはアフリカで発生し、世界各地に進出していったという仮説が提唱された。

従来、ヒトの発生に関して、ある場所で発生し世界中に進出していったとする人類拡散説(アフリカサバンナ起源説)と世界各地で同時期に発生したとする多地域発生説(多地域人類進化説)との論争があった。この分子時計を利用したミトコンドリアDNAに関する仮説により人類拡散説を有力とする向きが増えた。これにより、ダーウィン以降すでに提唱されていた、人類のアフリカ起源を裏付けるものとなった。

また、人類の共通の祖先である女性のことをミトコンドリア・イブ(イヴ:細胞内のミトコンドリアは母方からしか受け継がれない。そこで、ミトコンドリア(の突然変異を解析する手法)を使うと、どの系統とどの系統が近いか、またいつころ分岐したか、そしてさらに母方の祖先を追うことができる。それによると、現生人類の祖先は、約16万年前(14万年~29万年前)にアフリカに住んでいたらいいことがわかった(イヴ仮説)。この人類共通の祖先はイヴ(ミトコンドリア・イヴ)と名付けられた。もちろん、当時たった一人のイヴという女性だけがいたのではない。)と呼ぶようになった。(人類から遡れる共通の祖先であるが、この女性から今の人類が皆生まれた、ということではないことに注意されたい。)この女性はアフリカにいたと考えられている。

1991年、ウルフ・ギレンステインらは、ミトコンドリアDNAに父系由来のものがあることを発見した。これによると、分子時計はさらに速く進むことになる。

1997年、スバンテ・ペーボらが世界ではじめてネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの解析に成功。これによると、ヒト(ホモ・サピエンス)とネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)との分岐は60万年前と推定された。

『アフリカを出る アフリカ単一 紀元説
約180万年前にアフリカを出たと言う事らしい。ここからはミトコンドリアDNAがたどった、人類の拡散の旅を追っていこう。


(アフリカ単一起源説)

現代人の祖先は、10万年前ころにアフリカで誕生した新人であって、この新人が世界各地へ拡散し、原人たちの子孫である旧人とおきかわって、各地の現代人になったという仮説です。現在では基本的に正しいと考えられている。それでも多くの研究者は、各地に先に住みついていた旧人との間で、ある程度の混血があった可能性は高いと考えている。

かつて、人類はそれぞれの地域で進化してきたと思われていた。例えば北京原人が中国人に、ネアンデルタール人がヨーロッパ人にという具合である。これを他地域起源説という。しかし、イブのところで書いたように、現在では現在の人類はすべてアフリカ起源で、アフリカを脱出したホモ・サピエンスが世界各地に散って、今日の様々な人種になったと考えられるようになった。これをアフリカ単一起源説という。見かけ上かなり異なるように見える現在の「人種」も、生物的には単一のホモ・サピエンスというものになる。他の化石人類は絶滅したという考えでもある。

分子生物学者アラン・ウィルソンのグループは現在人のすべてはアフリカの祖先集団に由来すると主張した。約20万年前とされる。

(多地域並行起源説)

ミルフォード・ウォルポフ、アラン・ソーンらの形態人類学者の提唱する「多地域並行紀元説」はホモ・サピエンスの祖先が約100万年前にアフリカを出て地球上の各地に移住した後、現代人は地球上の何ヶ所かで独立に祖先種から進化したとする。

『ミトコンドリアDNAで解明する』

元々、様々な生物は進化によって分かれてきたものと考えられてきたが、その分岐がいつ頃起こったものかを推定する方法はなかった。

化石による推定は行われたが、発掘された化石がどの程度古いかの判断は、その化石の地層から判断される。地層による年代判定は誤差が大きく、炭素14を用いた年代測定(放射性炭素年代測定)も6万年前程度が限界である。このため、発見された場所が遠く離れたところにある化石同士がどちらが古いかを判断することは、常に古生物学上の論争の種となっていた。また、そもそも化石からのみで生物の進化系譜を構築することは、非常に困難であった。

『分子時計』

1955年頃から、アメリカのライナス・ポーリングとエミール・ズッカーカンドルは、ヘモグロビンのα鎖を構成するアミノ酸に注目した。ヘモグロビンα鎖は141個のアミノ酸からなることが知られていた。また、動物により配列が異なることから、ポーリングらはいろいろな動物間でこのアミノ酸の配列の異なる個数を調べたところ、以下の結果を得た。

· ヒト - ゴリラ:1個
· ヒト - イヌ :23個
· ヒト - イモリ :62個
· ヒト - 鯉 :68個

生物の類縁度が高いほどアミノ酸の配列が異なる個数は少なくなることが分かった。これ以外にも色々な動物間のアミノ酸の配列の違いを測定。さらに、化石上ですでに分岐時期が判明しているものとの相関関係を取ると、アミノ酸α鎖の配列の差と分岐時期に直線関係があることが分かった。

これらのことからアミノ酸配列の突然変異が常に一定速度で発生すると仮定すると、生物間の分子構造の違いと分子構造の時間あたりの変化量から進化系譜が構築できるのではないかという考えが生まれた。1962年、ポーリングらはこれを分子時計と名付けた。

一方で、生物によって、ミトコンドリアDNAの塩基置換速度が異なることがすでに分かっている。また、どの時代においても塩基置換速度が一定に推移したのかも大きな疑問として残っている。これらを踏まえ、分子時計の正確さに疑問を持つ声もある。

DNAなどの配列置換(変異)が、環境とは無関係にある時間で一定の割合で起こるとすれば、その置換数によって生物種の近縁関係、つまり分岐がいつころ起きたのかを推定することができる。これがDNAの分子時計である。

例えば動物のミトコンドリアDNAは1000万年で2%の置換率、またRNAの一種16SrRNAは5000万年で1%の置換率を示す。またヒトのミトコンドリアDNAの一部(Dループと呼ばれる領域の一部で500の塩基からなる部分)では、2万年で1つという置換(変異)が起こる。こうした進み方の違う分子時計をうまく組み合わせることによって、より幅広く、そして正確な時計となる。

もちろん、化石上の証拠(年代測定)を使った方法との相互比較が大切である。

分子時計を使ったヒトとサルの分岐年代。オランウータンとの分岐が1300万年前として、他の分岐年代を求めている。
すると、ゴリラとの分岐が656万年前±26万年、チンパンジーとの分岐が467万年前±23万年前となる。
人類の起源と進化(1)も参照。国立遺伝学研究所
http://www.nig.ac.jp/museum/evolution/evolution.html
http://www.s-yamaga.jp/nanimono/seimei/shinkaron-01.htm
http://ksgeo.kj.yamagata-u.ac.jp/~kazsan/class/chronology/biomolecular_clock.html
http://www.s-yamaga.jp/nanimono/seimei/shinkaron-01.htm

PCR法

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%A1%E3%83%A9%
E3%83%BC%E3%82%BC%E9%80%A3%E9%8E%96%E5%8F%8D%E5%BF%9C


1993年にキャリー・マリスがノーベル化学賞を受賞している。車でガールフレンドと夜道をドライブ中に、当時すでに知られていたオリゴヌクレオチドとDNAポリメラーゼを用いたDNA合成反応を繰り返すことにより核酸の一定領域を増幅することを思いつく。この方法がミトコンドリアDNAの解明に画期的な効果があった。

わずかな唾液内の細胞からで検査が出来る。2000年にミトコンドリアDNAの全塩基配列を用いた人類の系統に関する研究が発表されました。この研究は世界中の集団から選び出した53名のミトコンドリアDNA全塩基配列を用いて系統関係を解析しました。これまでのD-ループの塩基配列と制限酵素による多型という、配列の部分的な解析に頼っていた研究と異なり、全塩基配列による画期的なものであった。


ハプログループ:ミトコンドリアDNAの多様性に関して、最初に研究が行われたのがアメリカ先住民の集団でした。その結果、彼らがミトコンドリアDNAの制限酵素切断パターンとregion Ⅴの9塩基欠損とのよって大きく4つのグループに分かれる。それどれのグループにA~Dの記号が付けられたこのグループのことをハプログループといいます。「単一」と言う意味で、両親のどちらか一方から受け取るDNAについて用いられる学術用語です。


図のD-ルプと呼ばれる部分は、ミトコンドリアDNAのなかでは例外的に何の遺伝子もコードしていない部分です。およそ1000対の塩基を持つこの領域は、ミトコンドリアDNAの複製の開始点です。遺伝子をコードしていないために、塩基配列の置換が起こってもミトコンドリア自体に影響を与えないらしく、この部位には同一の生物種内であっても変異が多数蓄積されています。核に含まれるDNAに比べて、ミトコンドリアDNAは5~10倍の速度で突然変異が蓄積されているといわれている。その中でもD-ループは特に変化の速度が速く、同一種であっても多数の変異を持っています。

D-ループの変異は時計の長針に、制限酵素切断パターンは短針にあたる。短針がハプログループにあたる。D-ループの突然変異は頻繁に起こるので、この短い塩基配列をもとに系統分析は慎重を期す必要がある。

形態を支配している遺伝子は、核のDNAの配列の中にあり、核の遺伝子は生殖をかいして、両親のそれどれから子どもに半分ずつ受け継がれていく。ミトコンドリアDNAは母親から、娘に受け継がれていくので男性ばかり生まれると、母親のミトコンドリアDNAは途絶えます。異なるミトコンドリアDNA集団になります。形態学に基盤を置く多様な集団の系統を知ることは、集団に男性が入り込み核DNAにより半分、顔かたちも半分、更に半分といくと4世代には16分の1となり、最初の形態、遺伝的形質はほとんどなくなります。ヒトの正確な拡散の過程を追求するためには、ミトコンドリアDNAとY染色体の遺伝子双方の解析が必要です。

ハプロタイプ(Haplotype)とは、"haploid genotype"(半数体の遺伝子型)の略で、生物がもっている単一の染色体上の遺伝的な構成(具体的にはDNA配列)のことである。二倍体生物の場合、ハプロタイプは各遺伝子座位にある対立遺伝子のいずれか一方の組合せをいう。

またゲノム全体に対して(複数の染色体にまたがって)いうこともあるが、この場合には特にいずれかの片親に由来する遺伝子の組合せを指す。

さらに現在は限定的な意味として、同一染色体上で統計学的に見て関連のある、つまり遺伝的に連鎖している多型(一塩基多型[SNP]など)の組合せをいうことが多い。このような組合せがわかれば、ある範囲内について、少数の対立遺伝子を同定することで他の多型座位も決めることができる。このような情報は疾病の遺伝的な要因を 調べるのに特に有用であり、現在これらを収集し解析する国際的なプロジェクト、International HapMap Projectが進められている。

遺伝子型とハプロタイプは別の概念であり、個体の遺伝子型からその個体のハプロタイプを一意的に決めることはできない。

ハプロタイプは親から子へ引き継がれるものであるから家系調査にも応用できる。特に男性のY染色体のハプロタイプは父系の調査に用いられる。Y染色体のハプロタイプは他のハプロタイプと違ってペアをなさないから、他の染色体との乗換えが起こらずに父から息子へと伝えられる。同じ姓をもつ様々な子孫を調べた場合、その姓に対する標準的なY染色体ハプロタイプが見られることもある。これはその姓を名乗った最も古い共通祖先のハプロタイプである可能性が高い。

逆にミトコンドリアDNAのハプロタイプは母系を推定するのに用いられている。

ハプロタイプは人類などの集団の比較にも用いられる。ハプロタイプには多様性があり、近い集団では似ているが遠い集団では大きく異なる。ハプロタイプを大きくまとめたものをハプログループといい、これは遺伝的集団を示す指標として用いられ、また地理的なまとまりを見せる場合が多いので、人類の移住の歴史を推定するのにも用いられる。

Y染色体(わいせんしょくたい)は性染色体の一つ。一般的に動物の性にはオスとメスがあり、オスの性染色体がヘテロ接合である場合、オス特有の性染色体をY染色体と呼ぶ。Y染色体はX染色体から多数の組替えを経て派生したものであると考えられている。Y染色体は核に遺伝子であるから、現在の技術水準では古人骨から抽出して解析することが出来ない。Y染色体からハプログループがどの時代から入ってきたかを直接検証することが出来ない。ミトコンドリアDNAは数が大変多いので、古い骨の歯や骨髄から検出できる利点がある。

ヒトのY染色体

ヒトのY染色体は男性のみが持つ染色体である。そのサイズはおよそ25メガbpであり、うち、チミンが30.35%、アデニンが29.92%、グアニンが19.91%、シトシンが19.82%と、かなり偏っている。これをATリッチである、という。アンプリコン配列と呼ばれる繰り返し配列が非常に多いため、Y染色体の配列を決定するのは困難を極めた。この配列を含む領域のことは、キナクリンという蛍光染色料でよく染まるのでキナクリン染色領域といったり、有効な遺伝子が存在しないので遺伝子砂漠と呼ばれている。Y遺伝子は比較的頻繁に変異している。常染色体とは違い普段は減数分裂時の相互転座に参加しないとされ、Y染色体は変異しづらい不活性なものと考えられていた。現在、減数分裂時にX染色体との間で相互転座が起こすこともあると考えられており、Y染色体自身の中に、他の場所にあるDNAと入れ替えをしていることが明らかになっている。ここから、、Y染色体は比較的突然変異を起こしやすい染色体であるといえる。この特徴はY遺伝子の突然変異が世代を重ねるうちに修復できる働きと見られるが、逆に男性赴任などの先天異常を起こす。

SHOX(身長伸長蛋白質)xp:低身長

SRY(性決定遺伝子)xp

DAZ(精子産生蛋白質)xq

人間のX染色体及びY染色体は、他の動物と同様、2億4000万年から3億2000万年前に通常の一対の常染色体から発展しました。この差異は哺乳類及び鳥類の血統分岐後に起こったと正確に指摘されています。X及びY染色体の再結合しない領域は、その後数年にわたって高度に差別化されるようになりました。

Y染色体は長い年月を過ぎても その性質が変化しない特徴があります。そのためY染色体上の変異はその進化の過去の時点の記録を表し、系図学者及び考古学者の研究を補助するもとして利用されています。ある変異が個人の再生能力に影響を与えない限り、その変異は保存され、子々孫々に受け継がれます。DNAの積み木のようなヌクレオチドのブロック間の交換は一塩基多型(SNP)、または、点突然変異と呼ばれています。Y染色体上の、多型の異なる連なりはハプロタイプとして知られています。これらのハプロタイプの変化を見ることにより、2名以上の個人の生物学的関係を構築することができます。

スタンフォード大学ピーター・アンダーヒル博士は、現代人がアフリカから移住したことが判明している古代のヒトの移住からの子孫であるとの遺伝的証拠を発見するためにY染色体SNPマーカーを利用しました。右側の図は、研究者がY染色体進化の研究から発見したものを要約したものです。Y染色体は、またヨーロッパ、Y-DNA Haplogroup Migration Patterns
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_R1a1_(Y-DNA)
http://www.dnatesting.com/PDF/Y-MAP.pdf

http://www.dnatesting.com/ancestral/y-haplotypes.php
ちなみにY染色体上の遺伝子数は78、X染色体上の遺伝子数は1,098である。

染色体の交差

ヒトY染色体は他の染色体に比べて遺伝子の密度が極端に低い。もっとも高い19番染色体が1メガbpあたり23遺伝子なのに対しY染色体と13番染色体は5遺伝子である。X染色体およびY染色体は他の常染色体と異なり2つで対になっていないため、組換えが起こりにくい。しかしY染色体は回文配列を多く含むため、同一染色体内部で高い頻度の組み換えを起こすことが可能である。1人の男性につき約600塩基がY染色体内部で組みかえられている。

短腕末端部にX染色体の短腕末端部と99%以上相同性のある部分があり、精子形成時に頻繁に交差が起きる。この部分を偽常染色体領域 (PAR) と呼ぶ。このPARのすぐそばにある遺伝子SRY (sex-determining region Y) が、性の決定をつかさどる遺伝子である。そのため、時に交差によってX染色体にこの遺伝子が移ってしまい、XYなのに女性であったりXXなのに男性である現象が起きる。この場合、性機能は損なわれていないことが多い。SRYはHMGボックスと呼ばれるDNA結合ドメインを持っているので、おそらくDNAに結合することで他の遺伝子の発現を制御しているものと思われる。

MSY (male specific regions of Y chromosome) は両脇を頻繁にX染色体と交差する偽常染色体領域に挟まれている。Y染色体全体の95%を占める領域で、X染色体と交差しない。Y染色体上の既知のすべての転写単位はMSYの中にある。

性決定

Y染色体にはSRY遺伝子と言う性決定遺伝子が含まれており、これが男性の精巣形成および精巣で作られた男性ホルモンによる男性器形成に関わっている。このように、Y染色体が男性の性決定に重要な役割を果たしていること(正確にはY染色体ではなくSRY遺伝子(SRY(Sex determining region Y)遺伝子はY染色体上に存在する精巣を作る遺伝子で(雄性を決定する遺伝子)、HMG群のDNA結合タンパクであるTDF(testis-determining factor、睾丸決定因子)を指令しており、雄性の発現に必要な遺伝子群の誘導発現に関与しています。)が性決定に重要な役割を果たす)は「Y染色体は男性だけが持つ染色体」ということからも分かる。
http://www.brh.co.jp/seimeishi/1993-2002/24/ss_4.html

これらのことは、もともと女性を形成しようとする受精卵(←女性の性決定遺伝子は無いことから分かる)にSRY遺伝子が作用することで、精巣を作ろうとすることによるもの。とはいえ、卵巣が精巣に姿を変えるのではなく、卵巣や精巣になる前の段階のものが精巣になる。

男女差

女性がX染色体を2本持つことによって男女差が発生するのと同じように、男性がY染色体を持つことによる男女差も発生する。その代表的な例が身長差である。X染色体とY染色体にはどちらにもSHOX遺伝子と呼ばれる身長伸長タンパク質が含まれているが、そのほかにY染色体にはY成長遺伝子という物を持っている。これによって平均身長の男女差約13cmのうち9cmは論理的に説明できる。

また、伴性遺伝による疾患は女性よりも男性に表れやすいが、これも染色体の交叉によって説明できる。 つまり、性染色体以外の染色体は、1セットが父親由来でもう1セットが母親由来の染色体となり、両者が交叉することによって子には新しい染色体が伝えられる。子供には父親の遺伝子XとYのうち片方と母親の遺伝子XとXのうち片方が遺伝し、その組み合わせがXYなら男性、XXなら女性が生まれる。男性にはX染色体が1本しかないため、親から受け継いだX染色体による疾患が現れやすくなっているのである。なお、伴性遺伝による疾患として有名な血友病や色覚異常などには軽重の度合いがあり、これらの患者であっても健常者と変わらぬ生活を送っている人も多い。

参考文献
諸橋憲一郎 他「性を決めるカラクリ,『X・Y染色体』」、『Newton』2006年2月号、2006年http://ja.wikipedia.org/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93

『ミトコンドリアDNAが描く人類拡散のシナリオ』



DNAの配列を近隣結合法と呼ばれるアルゴリズムを使って、コンピュータに計算させます。(国立遺伝学研究所、斉藤成也氏開発)一般に近縁な関係を持つ配列では多重置換は起こりにくいが、ミトコンドリアDNAのように塩基置換の速度が非常に速いDNAでは、しばしがこの現象が起こる。多重置換を補正して系統樹を推定するための数学的方法が工夫されている。統計的に見て妥当な系統関係を示しているにすぎないので系統図を鵜呑みにすることは危険である。
http://tamory.g.hatena.ne.jp/keyword/%E5%88%86%E5%AD%90%E9%80%B2%E5%8C%96%E5%AD%A6

アルゴリズム (algorithm) は、なんらかの問題を解くための手順のことである。算法(さんぽう)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%97%E6%B3%95と訳されることもある。コンピュータにアルゴリズムを指示するための(電子)文書をプログラムという。人間より早く大量に正しい結果を導くことができるのがコンピュータの強みであるが、そのためには正しいアルゴリズムにもとづくプログラムが必要である。アルゴリズムをプロトコルとも呼ぶことがある。「プロトコル」には「複数台のマシン間で通信を行う際に使用する取り決め」という意味が込められることが多いが、「アルゴリズム」と「プロトコル」の間に明確な境目はない。



6,7万年前にN,MからR、B,F,D
RからUgaできてヨーロッパ、Rから北周りでAが広がった。
アフリカからL0~L7に属するハプログループが当時、氷河期で地区続きだったと思われる紅海を渡り、中東にてL3がN,Mのハプオグループに別れた。このN、Mの2つがアフリカ以外の世界に住む人々を産む事になる。

現在アフリカに見られるハプログループは、それを直接産んだハプログループが消滅して、相互の関係が近くない。それに対してアジア・ヨーロッパに見られるハプログループは直接N、Mから派生している。


アフリカでは、現在あるハプログループの形成に時間がかかり、直接の祖先が消滅している。

『ヨーロッパ人の祖先』

ヨーロッパでのUハプログループからさまざまなハプログループが生まれている。

UはN、Mのハプログループから中東よりヨーロッパよりで派生した。ヨーロッパでは4万年前に祖先が到着したと考えられている。そこにはネアンデルタール人が住んでいた。私達の祖先と彼らとが約1万年間共存していたと考えられている。この時期は氷河期で、気候は乾燥していたと考えられる。ヴェルム氷河期という最後の氷河期を区分して、約4万5千年前~2万8千年前をオーリナシアン文化、2万8千年~2万1千年前をグラベティアン文化、2万1千年~1万6500年前がソリュートレ文化です。氷河期でも温暖な時期には北上し、寒くなると温暖な地域を求め南下する。グラベティアン文化期に氷河期は最盛期を迎えた。約5千年間続いたこの時代に、北方から南下した人々が南西フランスのペリゴール地方で、1万8千年~1万1千年前まで、マグダレニアン文化が栄えた。ラスコーやアルタミラ洞窟の壁画はこの文化である。彼らは狩猟民族であった。

現在、ヨーロッパ人が持つっているハプログループ(ミトコンドリアDNA)はすべてから派生したものである。J,H,V,T,K,Uである。アジアにも出現するXを加えて、7つのハプログループがヨーロッパにはあります。オックスフォード大学遺伝学者、ブライアン・サイクスの著書{イブの7人の娘たち}はベストセラーになりました。ヨーロッパ集団図UからはU1~U6というサブハプログループが派生しています。KはUから派生していますので、Kを一つのハプログループとするなら、U1~U6も同とに扱い、U6という北アフリカに戻った子孫と考えられますので、これを除くとヨーロッパのイブは12人になります。この本の7人のイブには恣意的な事情が感じられ、あまり数にこだわらなくてもよいようです。



ピレネー山脈の近くVERDAヴェルダ、今のフランスのHELENAヘレナKATRINEカトリンはアルプスとカルパチア山脈の間にいた。今のギリシャにはURSULAアースラ、イタリア北部のTARAタラ、ユーフラテス川の近くJASMINEジャスミン、黒海とカスピ海の間にはXRNIAジェニアの7人のヨーロッパの娘達が暮らしていた地域。ヨーロッパは1~2万年前には氷河期にあり、多くは陸地であった。(イヴの7人の娘たち)

ヨーロッパは中東からヒトが入ってきた。U5に属する固体同士がもっとも異なる突然変異を蓄積していた。これはU5が最初に中東からヨーロッパに移住したと予測されます。5万5000年~4万5000年前と結果が出ている。オーリナシアン文化の開始時期と一致している。現在ヨーロッパにはU5のヒトは人口の7%です。U5以外のハプログループのヨーロッパ到着時期を推定すると、ほぼ3万5000年前から1万5000年前の間に入る。ハプログループJはヨーロッパ到着時期が約1万年前という新しい時期が得られ、このころに農耕が持ち込まれた時期に一致する。

1つは中東の農耕民によりヨーロッパ人口が置換された。他方は在来の狩猟採取民が農耕文化を受け入れたと仮定して、農耕民の遺伝的な影響はごくわずかと考える。

現在のハプログループはヨーロッパの人口の約13%程度で、残りの87%はU5をはじめとする1万5000年以上前にヨーロッパに到達したハプログループの属している。





L3からNよりRさらにF,B4,B5と広がり、NからはA,N9a,N9bと出来る、L3からMよりD、G,C,Zとハプログループが出来る。

● 一番多い日本人のDグループは二番目に多いBグループとはMからL3,RからNと戻りL3で共通する。かなりかけ離れた分布が共存している。(下の図)
 
 本土日本
 
 沖縄
 
 北海道アイヌ
 
 関東縄文人
 
 北海道縄文人
 
 

『アジアへの2つの道筋』

アフリカから出た人たちは、海岸線を伝わり、南アジアからオーストラリアまで到達したと考えられる。

1つのルートは南アジアを経由

もう一つは、ヒマラヤ山脈の北を通過する経路

南ルートの場合、インドのミトコンドリアDNAのデータが参考にある。他民族国家で、それどれの集団と宗教を持つ10億の人口とカースト制度の国ですが、カーストに属さない集団も7.8%存在する。人口の80%ヒンディー語のインド・アーリア語族に属する。次多いのは18%をしめる、ドラビダ語族(南インド)。ヒマラヤ山麓のシノ・チベット語族、ビハール、ベンガル湾東のオーストロアジア語族、それぞれ1.3%、0.7%とわずかである。

最大の言語集団がヨーロッパと同系の言語であり、肌の色は違うが容姿がヨーロッパに似ている。しかし、彼らのミトコンドリアDNAは、60%はアジアに特有なMハプログループに属している。次に多いのは、ヨーロッパに属するUハプログループで、人口15%を占める。インドはこれよりアジアの仲間が多く、Uの系統は6万7000年~6万1000年前と非常に古い、アフリカから出た直後の分岐と考えられている。

インドのハプログループはアフリカのL3から分かれた、Mから直接分岐する7つのM2,M3、M4,M5,M6,M18,M25はいずれもインドしかいない特殊なものである。人口に占めるのは10%。最大のハプログループM2は、5万±2万年前に分岐したとされる古い系統である。ドラビダ語族集団に多い。この語族はインドで唯一他の地域に見ることの出来ない言語グループである。


図にはMグループは綺麗な星型をしている。これはアジアだけに展開したのに対して、Nは少し複雑な分岐をしている。NはアジアとW,Iというヨーロッパグループを持っている。拡散の歴史の違いがこのような結果になっている。

M1というハプログループは基本的にはアジアに分布しているが、アフリカにも見られる。一旦アフリカを出て、またアフリカに戻ったと考えられる。これはエチオピアで見出されている。

Nの場合もアジア、ヨーロッパ、一部アフリカに見られ、ヨーロッパに進出した集団が一部アフリカに戻った事を示します。ハプログループNの集団は大部分が子どものRのハプログループに分岐している。この系統はM 同様、分岐年代が古く、新しくとも3~2万年前に誕生している。R7がインド東部、オーストロアジア語族集団と重なる。R7は分岐年代が6万3000年とふるい。

M ハプログループはインドがユーラシア大陸の西端の境界になっている。しかし、インドより東の地域のMとは系統を異にしているのも重要である。

ヨーロッパを中心とした西ユーラシアに特徴的なハプログループU,Wの系統はインドより東には存在せず、逆にインドが西ユーラシアの東の端になっている。インドでは初期に南アジアに到達した人類集団が、他からの遺伝的な影響を受けてはいなく独自の集団を形成したと考えられる。

ミトコンドリアDNAから見ると、中東とヨーロッパは起源を同じくする集団、その東にインド系の集団、更に東から新大陸を含めた東南アジア系集団があり、インドはその東西の分岐点になっている。

『北の回廊、シルクロードと同じ道を通り広がった集団』

中央アジアのカスピ海の東、ウズベキスタン、タジキスタン、トゥルクメニスタン、キルギスタン、カザフスタンという地域から、中国西域、モンゴル、チベットを含む広大な地域はネアンデルタール人の遺跡としては最も東に位置する。テシュク・タッシュ遺跡もあり、アフリカを出る前から、先行人類が居住していた事が知られている。ヨーロッパのオーリナシアン文化の源流をこの地に求める考えがある。

『南北に分かれる東南アジア』

オーストラリアの先住民、パプアニューギニア、東南アジアの先住民は、直接アフリカに結びつく分岐の深いミトコンドリアDNAの系統が点在する。スンダランドと呼ばれる広大な陸地が氷河期に広がっていた。パプアニューギニア、オーストラリアを含む地域もサフールランドと呼ばれる大陸を形成していた。この2つの大陸は海で隔てられていた。

およそ6万年前にアフリカを出発し東南アジアにやってきた新人(ホモ・サピエンス)たちは、海水面の低下によって生じた広大なスンダランド(インドネシアとその周辺を含む亜大陸)を発見した。彼らは、気候がよく豊かな食物資源に恵まれていたスンダランドで人口をふやし、次への発展に備えた。

ある人々は、海を越え、東隣のサフールランド(オーストラリアとニューギニアを含む大陸)へと旅立っていきました。また、陸を踏破し海を越え、何世代もかかって、中国や日本列島にやってきた人々もいた。

 スンダランド:国立科学博物館

オーストラリアにはハプログループしか存在しない。パプアニューギニアにはPとQ双方が存在する。ハプログループPはハプログループNから、QはハプログループMから派生している。



図のように南のグループB,F,M7,R9,M9とそのサブグループE.ハプログループMからM7,M9が別れる。ハプログループNから。

北のグループはA,D,G,Y,M8(M8a,C,Z)のサブグループが挙げられる。Nの系統からはA,Yです。

南北どちらのハプログループM、Nのグループが混在している。ハプログループMの系統は、インドに分布したグループ同様中心から星状に分布している。Nの系統は直接分岐するものと、ハプログループRから分岐するものの2系統がある。

Mは南回りで東アジアに進出したと考えられる。星状がそれを裏付けます。NはRというアジアでの拡散の中心がインドにあった系統から分岐したB,Fが南アジアを経由して東南アジアに進出したと予想される。北回りの経由で東アジアに入ったとすると、候補はハプログループA,N9で、これはNからRを経由せずに直接分岐している。B,Fとは異なる経路をとった可能性がある。南に分布するB,F,M7は成立がおよそ4万年前以上、北の主要グループのA,G,CZなどは3万年より新しい時代に成立している。2万年前の最終氷河期以降、北に進出したグループに人口の再拡大が起こり、北のグループが新たなハプログループとして誕生したことを予測させる。


L3はアフリカ由来





 ハプログループA2型のナスカの子どものミイラ

ナスカノミイラーが、アメリカ先住民を教えてくれる。アメリカ先住民は1万3500万年ほど前に、シベリアとアラスカをつなぐベーリング陸橋を渡り、北米に渡り、コルディエラ氷床とローレンタイド氷床の間の「無氷回廊」を渡り南下して、一千年で南北アメリカ大陸を渡りきった。この年代には諸説あり一定しません。中南米の文明を作り上げたハプログループはAからB4で、B4が古代インカ、マヤ、アステカを作り上げたグループといえます。

現在のアメリカ先住民のミトコンドリアDNAのハプログループは、A,B,C,D,Xのいずれかと分かっています。コロンブス以来混血がありXは北米に数パーセント現れる、コーカソイドには高頻度に見られるので、ヨーロッパとコンタクトがあり持ち込まれていると思われる。Xは中南米には存在しないので、北米にのみもたらされている。Dのグループはヨーロッパのタイプと異なるので、コロンブス以前のシベリアからもたらされたと考えられます。A~Dのハプロタイプはアジア独特の、特に中国北部、シベリア南東部、モンゴールに同じである。A,C,D,Xが北アジア、Bが東南アジアから中国南部にあり、2つのルートが新大陸に入り、ベーリング陸橋、東アジアの大陸沿岸を北上して、海岸沿いにアメリカ大陸に入ったと考えられる。これらの時期は2~4万年前の間(最終氷河期2万年前)前に新大陸に入ったと考えられます。

『日本人のハプログループ』

A、B4、B5、C、D4、D5、F、G、M7a、M7b、M7c、M8a、M10、N9b、Z :日本人の16の母。

http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-26.html

 



1980年代の国立遺伝学研究所の宝来氏は20年以上、この研究をリードしていた。東京都老人総合研究所の田中雅嗣氏は日本人700人のミトコンドリアDNAの全塩基配列を決定した。
日本人1000人以上のデータで日本人の全てが含まれていると思われる。

Ⅰ:『日本人に一番多い、D』 (アメリカ先住民D1,アジアはD4,D5,D6)。D4,D5で日本人の4割弱を占める。このD4,D5は中央アジアから東アジアに最も多く、朝鮮半島、中国東北部も3~4割を占める。これらを全てをあわせると世界最大のハプログループになる。

このグループは北アジアに展開したA,G,Cグループより古く、3万5千年以上前と計算される。これは南回りで東アジアに入った、ハプログループは最終氷河期以前に入ったと考えられる。D4は日本では32.6%、D5が4.8%と極端に違っている。ハプログループB4は13のハプログループを生んでいる。


Ⅱ:『ハプログループB:環太平洋』

日本人の7人に1人が該当するのがハプログループBである。アメリカ先住民から見つかったもので、ミトコンドリアDNAの特定の部位の9つのDNAが欠損している。ミトコンドリアDNAの正確な数は16568塩基対である。ハプログループBに属する人たちは、16559塩基対しかない。

ハプログループBはおよそ4万年前ほど、中国南部に誕生したと推定される。このグループはRから分岐しています。おそらくインドから東南アジアに拡散したハプログループR集団の1つから分かれたと生まれたと予想されます。誕生の地、中国南部から東南アジアにかけて人口のしめる割合が大きい。あと、南米山岳地帯、南太平洋の多い。これらは異なる時期に別ルートで進出した。日本にはアメリカ大陸の通り道なので、比較的古い時代に来たと思われます。南太平洋は約6000年前の出来事なので、ごく最近ということになります。(アメリカ縦断後、東南アジアの人びとがメラネシアの海に乗り出し、最後に南太平洋の島々に到着したと考えられている。このときP、やQも一緒だった)。島々に1つ1つ到達しては先に進むので、先にたどり着くほどに多様性が減少している。この先には南米がり、アンデス原産の植物にはヨーロッパ人が入る前にポリネシアに人たちに伝わっているものがある。アンデスとポリネシアの交通をうかがわせる。アンデスもハプログループBが主体です。中国南部に共通の祖先を持つものたちだった。





日本人の親はL3、N、R、Mが日本人の主要なルーツになっている。

Ⅲ:『ハプログループM7―日本の基礎集団』

ハプログループM7には3つのサブグループがある。M7a,M7B,M7cである。M7aは日本にM7bは大陸沿岸部から中国南部地域M7cは東南アジア島々に中心がある。M7は4万年前に生まれた。

各3つのサブグループが生まれたのが2万5千年前と計算されます。当時地球寒冷化で海水面は低下して、黄海から東シナ海は広大な陸地だった。そこで生まれたM7は今は海底であるが、そこのM7aが琉球列島、沖縄、九州と日本に入ったと考えられます。本土には7%に過ぎないが、沖縄には4人に1人が持っている。M7はM7a,M7b,M7cの分布は海にある。この頃は氷河期で陸地であった。ここから北上して沖縄、九州へとひろがっていった。

さいたま市で発掘された5900年前の縄文人はM7cであった。


M7aという日本人独特のハプログループが出来上がったのは、この3つの重なる部分が、当時氷河期で陸だったので、そこから北上して南の沖縄から北海道に広がったと思われる。
A,B4,B5,C,D4,D5,F,G,M7a,M7b,M7c,M8a,M10,N9b,Z日本人16人の母。
塩基配列から遠い近いがわかる。


● Ⅳ:『ハプルグループA-マンモスハンターの系譜』

日本人の7%を占める。中央アジアから北アジアに限られている。起源はバイカル湖周辺と推定され、3万年前に分岐したと計算される。旧石器時代、マンモスハンターと呼ばれる、狩猟民がいて、多くがハプログループAが占めていた。やがてアメリカ大陸に渡ったAはA2というサブグループを産んだ。ナスカの少年のミイラーはA2だった。

Aグループには、アジアに分布するA4とA5のサブグループがあり、A4は東アジアに、A5は朝鮮半島と日本に限られている。A5は7千年±2千800年前と比較的新しい。

 Ⅴ:『ハプログループG-北方に特化する地域集団』

人口の約7%を占める。G1~G4まで別れている。カムチャッカ半島や北シベリアに多い。

 Ⅵ:『ハプログループF-東南アジアの最大集団』

日本人の5.34%を占める。中心は東南アジアにある。

 Ⅶ:『ハプログループN9-北方ルートの末裔』

N9aが4.6%、N9bが2.1%、Yが0.4%とサブグループに別れ、人口に占める割合も多くない。ハプログループN9はハプログループA同様、ハプログループNから分岐している。NからRを経由して派生するハプログループB,Fとは異なっています。

北方ルートを通り東アジアに到着した集団がN9とAの祖先と思われる。

ハプログループRを経由しないで、ヨーロッパに入ったハプログループW,I、アジアとヨーロッパに広がったハプログループXと供に中東から北方に進み、そこから分かれてヒマラヤの北を通り東アジアに拡散した。

ハプログループAは、その後新大陸に向かうがN9の子孫達は東アジアにとどまった。ハプログループのN9aの分布は広い。中国南部、台湾の先住民に比較的多いので、このあたりが中心と考えられる。

N9bは朝鮮半島、沿海州の先住民にもわずかに存在するが、基本的には日本独自のハプログループです。

M7aが縄文人の南方ルートとすると、N9bは北方ルートの可能性があります。M7aは沖縄が一番多く、本土に入り、東京~東北が一番少なく、北海道アイヌになるとまた増える。これに反しN9bは沖縄のみ多く、宮崎、北九州が一番少なく、本土東北~北海道アイヌにかけて多くなる。

稲作が伝わらなかった北海道では縄文時代に続いて、弥生時代から古墳時代に相当する続縄文時代を経て、飛鳥時代から平安時代に相当する擦文時代へと変遷していきます。その後、13世紀以降はアイヌ文化の時代を迎える。5世紀末から10世紀まで北海道のオホーツク沿岸には「オホーツク文化」と呼ばれる独特の文化が栄えた。アムルー川流域の漁民をルーツとしていると考えられている。この文化は忽然と消えたがハプログループYに属すし、アイヌに受け継がれている。

 Ⅷ:『ハプログループM8a-北方漢民族との結びつき』

M8a 1.2%,C 0.5%,Z 1.3%というサブグループがあります。

M8aは中国各地の漢民族集団に一定の割合で出現している。中国北部で誕生したと予測される。ハプログループDに比べると割合は低いが、北の集団では常に一定以上の比率で出現します。中国の集団を特徴づけるのはM8aです。

 Ⅸ:『ハプログループC-中央アジア平原に分布』

日本にはほとんど見られないが、中央アジアから新大陸に分布している。

● Ⅹ:『ハプログループZ-アジアとヨーロッパを結ぶ人々』

このハプログループは極東アジアとヨーロッパにも見られる。ロシア極北地域、東アジア、中央アジアにも存在する。「極北ルート」でヨーロッパとつながっていた。

● ⅩⅠ:『ハプログループM10-北アジアにつながる系譜』

日本人の1.3%。チベットでは8%これが人口比で最大の地域。中国の北部で生まれたと想定される。ブリアートやモンゴルの集団にも見られる。チベット、中央アジア、朝鮮半島、日本と続く北アジアの道が見られる。

DNA鑑定で日本人に最も近いDNAを持つ民族はバイカル湖の東に住むブリアート族と言う民族であった

実際にブリアート族に会って見れば、彼らが日本人にそっくりであることがわかるはずです。
このブリアート族は温暖期が終わった5000年ほど前から南下を始め、南東に向かった民族が朝鮮人、日本人の祖先、南西に向かった民族がチベット人、ブータン人の祖先となっています。

真南に向かった民族はいたかも知れませんが、中国人のDNAからその特徴をみることはできません。古い遺跡からブリアート族がいた痕跡が見つかるかも知れませんが、たとえ見つかっても正しく解釈されることは無いと思います。中国東北部で発見された日本人のルーツとされる遺跡もこの類だと思います。

南東方面に南下したブリアート族は最初から朝鮮人と日本人の先祖に別れていて、朝鮮人が日本人の先祖と言うわけではありません。

これは日本語が朝鮮語から別れてできた言語とするには違いが多過ぎて、早い時期に日本語と朝鮮語に別れ、両者が独自に発達したとしか考えられないからです。inasa99さん

NHKスペシャル番組「日本人遥かな旅」「生命 40億年はるかな旅」・「地球大進化」を見て、日本人の先祖は、23000年前にロシアのバイカル湖に存在したブリアート人であり、ベーリング海峡を渡ったネィティブアメリカン(インディアン)の祖先や、アイヌの祖先と、私達の大先祖が同じで、DNAデーターバンクに登録されている縄文人のDNA配列がブリアート人のDNAと同じだった。

● ⅩⅡ:『ハプログループHV-日本の中のヨーロッパの系統』

1%に満たないが、現在人の中にヨーロッパのハプログループの系統が存在する。


ブリアート人の居住区

『縄文人、弥生人、アイヌ人、琉球人のルーツ』

縄文人は、四角く立体的な顔で、小柄ながら筋肉質の身体つきをしていました。およそ2300年前に中国や朝鮮半島から渡来してきた弥生人は、長く平坦な顔で、大柄な身体つきをしていました。彼ら渡来系弥生人は、九州北部から日本列島各地に広がり、縄文人と混血しつつ、本土人の主体を形成しました。彼らと共に渡来した文化は、在来の縄文文化と融合して、弥生文化を生み出しました。水田稲作技術は、食生活だけでなく、日本人の意識をも変えていくことになります。

渡来系弥生人の影響が少なかった北海道と沖縄では、それぞれアイヌと琉球人が縄文人の姿形を色濃く残しながら、独自の文化を築いていきます。その結果、いま、日本列島には、アイヌ・本土人・琉球人という三つの民族集団が住んでいるのです。


縄文時代から稲作をもたらした弥生人で、彫が深い縄文人、のっぺりした長い顔の弥生人。歯のミトコンドリアDNAから採取して判定できる。

渡来系弥生人と縄文時の顔の比較:国立科学博物館
http://www.s-yamaga.jp/nanimono/nanimono-hyoushi.htm


縄文人の祖先

7万年前ほどから地球は氷期に入り、大量の水が氷として陸地に固定されたために海水面が低下し、東南アジアにはスンダランドという広大な陸地が広がっていた。アフリカから世界に散っていったホモ・サピエンスの一部のここにたどり着いたと考えられる。下の黒●はこうした人類の化石が出る場所であり、その年代は3万5000年前~3万4000年前ころのものである。彼らは陸上で狩猟採集生活を送るばかりではなく、丸木船を造って海にも乗り出した。

 スンダランド:国立科学博物館

http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/3/3-02.html
日本人はるかなる旅展(国立科学博物館):
http://www.s-yamaga.jp/nanimono/seimei/jinrui-02.htm

こうして海に進出したモンゴロイド(蒙古系)の中の南方系の人たち(スンダドント)の一部は、黒潮に乗って北上し沖縄にも移り住んだと考えられる。

はっきりと確認される日本で一番古い人類の化石は、沖縄の港川人といわれている。港川人は沖縄の具志頭村港川石灰岩採石場で1970年に発見された。現在までに4体分の骨が出ている。炭素14法(14C法)で求められた年代は1万8000年前~1万6000年前を示す。同時代の東-東南アジアの人類化石と比べると、骨格は中国の山頂洞人や柳江人よりも、インドネシアから出土するワジャク人に似ている。こうしたことから、港川人、さらに縄文人は南方から黒潮に乗ってやってきた人たちの子孫だと考えられている。

さいたま市で発掘された5900年前の縄文人はM7cであった。



北海道の縄文人はハプログループN9bで占められている。D1は沿海州の先住民にわずかに存在するが、北アメリカの先住民との近縁性が唱えられている。

日本人特有のハプログループM7a,N9bで、M7aは縄文人の特徴を色濃く残す沖縄人に高頻度で存在している。関東、北海道にも縄文人にこのハプログループが見られる。

N9nは本土日本の中で東北地方に高く、南にいくほど少ない。沿海州の先住民にも存在するが、朝鮮半島からはほとんど見つかりません。北海道の縄文人に多く見られることから、北回り日本に入った可能性がります。ただ、現在、沖縄にも高率に見られる。

    

港川人(1号)の頭骨と全身骨格:東京大学総合研究博物館沖縄島の南部、具志頭村港川の石灰岩採石場で発見された。共伴資料の放射性炭素年代は、18,250年前(±650、TK-99)、及び16,600年前(±300、TK-142)となっています。

http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/hito/minatogawa.htm  http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1995collection2/tenji_honyurui2_35.html

茨城県取手市の“中妻貝塚”の墓壙からは101体もの人骨が発見された。直径約2m・深さ約1mの土壙から101体もの埋葬人骨が発見されたのは、全国でも初めてで、人骨の歯・頭の形などから成人約60体、うち男約40・女約20体で、4歳から18歳までの人骨約40体と分析されている。母系でつながる血縁集団であったことをDNAから示唆される。

  

福岡県隈・西小田遺跡群出土甕棺など弥生時代中期に甕棺墓制が人骨が保存され、DNA鑑定がやりやすくなっている。

  

縄文人の顔は、高さが低い割りに横幅が広く、いわゆる低・広顔傾向が強い。眉間や眉弓部が膨らんでいる。頬骨が強く横に横に張り出して、四角くごつい印象を与える。眼球を入れる眼窩は四画形に近い。歯並びは、整然としている個体が多く、虫歯も比較的に少ない。歯のすり減り方は激しく、中年以降になるとほとんど歯根だけしか残っていないことも珍しくない。歯のすり減り方が激しいことや、あごのエラが張り出していることからも推察されるように、縄文人は現代人などにくらべはるかに物をかむことが多かったし、その力も強かったと見られる。縄文人の歯が後世の日本人にくらべかなり小さいことが指摘された。身長は低身長で男性では160cm弱、女性では150cmに満たない人が多い。朝鮮半島には縄文人と同じ姿かたちをした、同じDNAを持った人々が住んでいた。北九州地方と朝鮮半島南部、沿海州は同一区域として考える、範囲の広い見方が必要と考えられる。

 福岡県遠賀郡芦屋町山鹿貝塚の縄文人

北部九州・山口地方弥生人(北部九州甕棺墓、山口県土井ヶ浜遺跡)の顔は、のっぺりした面長をしている。眼窩も高くなってその上縁は直線的だった縄文人とは違って丸みを帯びるようになる。鼻が低く扁平性が強い。鼻の低い扁平顔は、日本人の共通した特徴となって、近・現代まで引き継がれていく。鼻が低いのは寒冷適応した人たちの影響を受けた結果のようである。身長は高身長で、男性では163cm前後、女性も151cm~152cmの平均身長を持つ。渡来系弥生人は稲作をもたらし、異なる縄文人と混血したという、二重構造論が今、一般的である。

  
福岡県筑紫野市隈・西小田遺跡の弥生人

弥生人の渡来

300年前ころから、朝鮮半島経由で大量の北方系モンゴロイド(シノドント)が渡来してくる。彼らは水田耕作の技術を持っていた。顔は全体にのっぺりしていて、体格も縄文人よりは大きい(縄文人の男性平均身長158cm、女性平均147cmに対し、弥生人の男性平均164cm、女性150cm程度)。弥生人の渡来は7世紀頃まで続いたといわれている。

2000年前ころになると、渡来系弥生人は西日本を中心に勢力を拡大していく。一方縄文人は東日本から北海道、あるいは南西諸島(琉球)に残っていた。そしてその後、弥生人の子孫は残った縄文人との混血も進み本土人に、典型的な縄文人の子孫は北海道のアイヌ人、あるいは琉球人となることになる。

渡来系弥生人には、ハプログループD,Gに分類される個体が多い、全体の約半分である。縄文人になく弥生人にのみ見られるN9aやC、Zといったハプログループは、大陸からもたらされたと考えられる。縄文人と弥生人とは系統の異なる集団だった事を示している。N7a(日本独特)が縄文人にあり、弥生人(渡来系)には無い。現在人にあるN9aは弥生人にある。現在人のハプログループが縄文人、弥生人の丁度中間に成っている。両者が混ざり合って日本の現在人が出来上がっている。(2重構造論)はまだ確定されたものではない。

(NHKサイエンスZERO日本人の起源にせまる)の篠田謙一先生の考えが基になって出来ています。

『Y染色体から探る人類の旅』


Y染色体の遺伝子は、もっと単純なメカニズムによって父系遺伝する。約1/2の確率でXYに結合した受精卵は、Y染色体上にあるSry(スライ)遺伝子が身体が男性になるように指示する。核DNAの塩基数は約60億個で46本の染色体に収められている。(ミトコンドリアの塩基数の約40万倍) このうち、Y染色体のDNAは6000万塩基であり、しるしとなるYAPはそのうちのわずか300塩基の部分である。常、Xに比べ、Y染色体DNAは機能を持つ遺伝子が極めて少ない。 当然、Y遺伝子の調査対象は男性のみであり、男性にいわゆる”縄文系”、”弥生系”の区別があり、女性にはこの区別がない。( ミトコンドリアは男性も女性も持ち、しかも母系遺伝する。)

ただし、Y染色体遺伝子は、しばしばDNAが欠落し正確に伝わらないことがある。



http://wiredvision.jp/archives/200504/2005042101.html

● Y染色体はX染色体よりずっと小さい。さらに,この2本の間には,単なるサイズの違いだけではなくもっと本質的な違いも存在する。例えば,X染色体には2000~3000もの遺伝子が含まれているが,Y染色体にはせいぜいで数十個の遺伝子しかない。また,Y染色体上の遺伝子の中には,X染色体上に対応する遺伝子が存在しないものがある。さらに,染色体を構成するゲノムDNAには,タンパク質やRNAの設計図となるといった生理的な機能を持っていない「ジャンクDNA(がらくたDNA)」が含まれているが,Y染色体ではジャンクDNAの占める割合が異常に高いことも知られている(訳注:正確に言うと,ジャンクDNAは,まだ機能がはっきりとわかっていない部位のことで,未知の大切な機能をもっているかもしれない)。

つい最近まで,Y染色体がこのように他の染色体と大きく違っている理由を説明するのは難しく,多くの生物学者が唱えたさまざまな説を検証することは不可能に近かった。しかし,ヒトの24種類の染色体(22本の常染色体とX,Y染色体)に含まれるDNAの全塩基配列を決定しようというヒトゲノム計画とそれに関連した研究のおかげで,この状況は一変した。古生物学者が現存の動物と化石動物の骨格を比べることで種の進化の軌跡をたどるように,分子生物学者もDNAの塩基配列を比較することによって染色体や遺伝子の進化の軌跡をたどれるようになった。

世代の途中でY染色体にある変化が生じると(突然変異)それ以降の男性はすべてその変化を受け継ぐことになるが,こうしたY染色体の少しずつの違いを基にタイプ別に分類して,Y染色体の系統図というものが作られている。

ミトコンドリアDNAに比較すると突然変異を起こす確立が10分の1程度で、長さが3000倍もある、Y染色体であるが、人類の共通祖先であるY染色体のDNAは多量の突然変異が蓄積している可能性がある。Y染色体の系統関係が、最近かなり分かってきてハプログループの分類が2002年に153のハプログループに定められました。しかし、ミトコンドリアDNAは標準化されておらず、篠田氏の分け方は多くの研究者が使用しているが、細部では混乱が残っている。

Y染色体の共通祖先は、およそ9万年±2万年前に誕生した。ミトコンドリアDNAより多少新しいが、700万年前に、女性が単独でアフリカを出て行くことは、考えられないので、この程度の差であれば同じと考えてもいいと思われる。男性のほうが多くの子孫を残す可能性が大きいので、古い系統が残りにくいのであろうか。

アフリカ以外の世界のY染色体の系統は、6万8000年ほど前に誕生している。

日本人のY染色体のハプログループはC,D,Oと呼ばれる3系統が人口の90%を占めている。それ以外にはQ,Nの系統が認められる。

ハプログループOは、日本人の約半数を占める。20のサブグループに分かれるが、日本列島に分布するのはO2b,O3と呼ばれる系統です。O2bは30~40%、O3は20~30%を占めるといわれる。ハプログループOは、東南アジア、オセアニア全域に広がる。

● O2bが朝鮮半島や華北地域、O3は華北から華南にかけて広がる。

● Cは10種類程のサブグループがある。日本にはC1,C3といわれるグループで、日本本土で10%程度、北海道のアイヌ人でやや多いと報告されている。

● Cは、東アジア、オセアニア、シベリア、南北アメリカ大陸に分布する。C3は、沿岸州の先住民集団やモンゴルの集団に多く、南にいくに従い頻度が減少する。

● C3は北から、C1系統は南から日本に入ったと推定される。

ハプログループDはY染色体のDNAにYAP+(ヤップ)と呼ばれる、余分なDNA配列が挿入されたタイプで、ハプログループE(アフリカ、ユーラシア大陸の西部)も同様に異変を持っている。

● ハプログループDは6つのサブグループがある。日本人はD2大体30~40%を占める。ユーラシアの東部、北東アジアに低頻度ながらD2見出される。チベット人口の30%の人たちと日本の人たちと南北アメリカ大陸の人たちに明らかなつながりがあるということです。つながりの印の部分は「「YAP+」という特殊な塩基配列を持っているところにあります。この部分は、日本人を形成している部分ではなくて、日本列島先住民の部分です。日本列島先住民、チベタン、アメリカ先住民は多かれ少なかれ、この「YAP+」という特殊な塩基配列を持っていることがわかります。「YAP+」という特殊な塩基配列を持つ人の割合を黒で表しているのです。中国にも韓半島にも「YAP+」を持つ男性がいない。にもかかわらず日本列島に暮らす男性の42パーセントが「YAP+」の塩基配列を持っているのです。「YAP+」は男性が遺伝子を残さないとそこで途切れてしまうのです。ミトコンドリアDNAのハプログループが朝鮮半島、中国東北部に似ていたが、Y染色体では大きく違っている。

● ハプログループN,Qはいずれも、アジアの北方集団に分布。Qはアメリカ先住民(シベリアで生まれ新大陸に広がった)。N系統は北欧、ウラルの集団との関連が知られ、ミトコンドリアDNAのハプログループZに似ている。北方系で日本では1%程度で、マイナーグループです。



「YAP+」を持つ地域:日本、チベット、アメリカ先住民

Y染色体のタイプをもとに日本人を縄文系と弥生系に分けてみると、大体同じくらいの比率に分けられるらしい。

縄文系のタイプは日本以外の東アジアでは殆ど見られず,また弥生系のうちの大部分のタイプは大陸には殆どいないという。つまり大陸では他のY染色体との競争に勝てなかったものが,日本列島で生き残って栄えているのである。

なぜ大陸での競争に敗れたY染色体が日本で栄えているのか。縄文人が始めて日本列島に到着したときには先住者がいなかったとすると,周囲を海に囲まれ温暖な列島内では,とくに大きな競争もなく増えていき,その後に弥生人が入ってきても,比較的平和のうちに両者が混じりあった。

日本人とは,縄文人を主体とした山人と,弥生人と縄文人が混じった里人という状況の中で,互いに侵犯することなく,日本の自然の恵みの中で共生的に平和に版図を広げてきた人たちなのである。

現生人類は20万年前にアフリカで誕生して方々に散っていった。そのうちの東へ東へと進んで極東の島に到着して踏み止まったのが現在の日本人と考えられている。1万年以上前から到着していたのが縄文人で,二千数百年前から渡来して定着したのが弥生人である。

大陸での競争に飽きた,闘争心の少ない人類が新天地である日本列島に辿り着き,そこで広がり栄えていったと考えられる。
  

男性・女性の染色体




    Y染色体のハプログループ

A Haplogroup A is the oldest, most widespread Y-DNA haplogroup, considered the group from which arose ?Y-Chromosomal Adam.?Found throughout Africa, A?s descendants include Tanzania?s Hadza peoples and eastern Africa?s bushmen.
B This group is best represented among African Pygmy populations (particularly among Baka and Mbuti peoples), in the sub-Sahara.ʠ Like haplogroup A, B is among the oldest and most diverse of the Y-DNA haplogroups.
C With progeny spanning Asia and the South Pacific, haplogroup C is believed to have helped colonize Australia and New Guinea.ʠC?s traces are also to be found?although less commonly?among indigenous American peoples.Scientists see this haplogroup as having migrated to the Americas circa 4,000-6,000 BC, settling in the Pacific Northwest.ʠ
D D is thought to have arisen approximately 50,000 years ago in Africa, and experienced a great Southern Asian coastal migration.ʠ Its descendants populate Southeast Asia and the Pacific Rim, including Japan (especially subgroup D2).
E This haplogroup represents a major segment of early mankind, with origins some 50,000 before our time.ʠ Its progeny is most common to the Middle East and northern Africa.
E3a The E3a subgroup is thought to have migrated southward from Northern Africa circa 2,000-4,000 BC, and is notable in its frequent representation among modern day black Americans.
E3b Another E subgroup, this ancestral segment is thought to have emigrated from the Middle East into the Mediterranean region, after its appearance around 24,000 BC.ʠE3b would then migrate westward during the agricultural expansion in the Neolithic era.Today's E3b descendants are said to be found in eastern and northern Africa, as well as southeastern Europe.
F Very little is universally accepted regarding haplogroup F.ʠHowever, scientists have traced its progeny to the modern day Middle East and parts of Indonesia.ʠSmall populations of Haplogroup F have also been discovered in North America.
G This haplogroup is widely distributed in Eastern Europe and Asia, despite a low overall representation in human populations.ʠ It is thought to have its origins in circa 10,000-15,000 BC India or Pakistan, having migrated in a northwesterly direction; its descendants can be found in the eastern Mediterranean region, as well as the Middle East and western Asia.
H H is believed to have been born approximately 30,000 years ago in southern Asia, and is well represented in today?s Indian and Pakistani populations. While scientists have traced H?s roots to India itself, evidence also suggests a Middle Eastern/Iranian origin.
I This haplogroup is thought to be linked with Scandinavia?s Viking populations, ultimately spreading widely throughout modern-day Europe.ʠA branch of haplogroup F, I is believed to have migrated from the Middle East 20,000 to 25,000 years ago; it can be found in high concentrations in the Adriatic region (1/3 of modern day Croats), and is evidently also linked with Celtic populations.
I1a Despite its apparent designation as an I ?subgroup? I1a?with its I1b neighbor?has been shown to be of non-Scandinavian origin.ʠ Its roots have been traced to as recently as the past 1,000 years, and are thought to be linked to Anglo-Saxon migrations from southern into northern Europe. ʼ/span>The group?s modern-day seat is in central Europe.
I1b As with I1a, this haplogroup has recently shown to be of non-Scandinavian origin, despite its nominal link with haplogroup I, a heavily Scandinavian segment.ʠI1b?s progeny can be found in modern day Greece, and less frequently in other areas of southern Europe.
J This descendant of haplogroup F emerged roughly 10,000-15,000 years ago in western Asia, and is traceable to current European, Middle Eastern and North African peoples, with progeny also represented in India and Pakistan.
J2 J2?s descendants include modern Jewish populations, with frequent representation also in Central Asia and the Mediterranean.ʠIts 15,000-20,000 year old beginnings are said to have coincided with the spread of early agriculture, depositing additional populations in India.ʠJ2 is also said to be represented in some Arab peoples.
K From its origins in central Asia some 40,000 years ago, haplogroup K would father most of the current population of the northern hemisphere; many Indian peoples, most Europeans and almost all Asians are descendants of this group.ʠ This subgroup of F gave rise to every remaining haplogroup?namely L, M, N, O and P (which would spawn haplogroups Q and R).
L Originating some 30,000 years ago, L is said to have yielded the first significant influx of humans into India.ʠIts descendants are still represented in the Indian nation, with further progeny extending throughout southern Asia and the Middle East.
M M made its first appearance circa 10,000 BC in southeastern Asia, and spawned populations in Indonesia and much of Southeast Asia.
N This haplogroup?s origins have been traced to northern Asia, where its peoples were divided between Siberia and a strong Eurasian migration.ʠToday?s N populations are found throughout much of Europe, including Russia and Scandinavian nations.
O Virtually all Chinese, Korean and Japanese males are descendants of haplogroup O, with almost no representation among western Asian populations.ʠFirst appearing roughly 35,000 years ago, O?s membership is said to have left Siberia for the Pacific Rim region.
P This subgroup of K is ancestor to most Europeans, and has spawned nearly all Native American peoples.ʠ Scientists have traced P?s roots to northern Asia, some 30,000 to 40,000 years before the present day.ʠ Today?s P descendants are common to Asia and South America.
Q Q?s lineage is common to members of both Asian and North American populations, having originated in Siberia approximately 20,000 years ago, moving eastward across the Bering Strait into the American continent some 5,000 years later.ʠ Today's Q progeny is found in nearly all Native American peoples, having spread from northeastern America throughout the entire continent.
R This haplogroup arose in northwestern Asia some 30,000 years ago, spawning prominent subgroups R1a and R1b. The R1a haplogroup emerged from the Eurasian plains circa 10,000 BC, where scientists believe nomadic farmers were the first speakers of the proto-Indo-European language.ʠIts remnants can be found in the modern day Slavic peoples of Eastern Europe; fully half of all Polish and Russian males are descended from this haplogroup.Most common of all haplogroups among European peoples is R1b, which, like R1a, is said to have emerged around 10,000 BC.ʠ Generously exhibited in western European males, and thus within North American population groups, this haplogroup is represented most frequently in southern England, as well as among the Spanish and Portuguese.ʠIn fact, some western European regions (the Iberian peninsula and Ireland) contain R1b males at frequencies as high as 90%.Its progenitors are said to have descended from Cro-Magnon man, which immigrated into Europe some 35,000 years before our present day.





Y染色体DNAの系統図:Y染色体でもミトコンドリアDNAの系統図と同じく、アフリカに分岐の深いハプログループが存在していることがわかる。それぞれのハプログループの分布している地域を見ると、ごく少数の集団がアフリカを出て、世界に拡散したことがわかる。

最後に

以上から分子生物学の最近の目覚しい進歩で、遺伝子というミトコンドリアDNAとY染色体からみた、人類の広がりと分布が描かれたが、まだまだ不明な点が多い。更に詳しい検査結果と供に、考古学など色々な研究分野を駆使して、更に詳しい分布を描かれてくるように期待したい。

・ 共通祖先を持つ人類は長い時代を経て、それどれの土地で息づく文明と文化を形成していった。アダムとイブ、アーダムとハヴァ、イザナギとイザナミが作った神々、子孫が人類の祖先と信じていた長い歴史に、今、分子生物学DNAは新しい人類誕生のより正確な歴史を我々に提供する。我々は、神無き 時代に入ろうとしている。天国と浄土が今、科学の発展により、なくなりつつある。科学はわれわれを新たな時代にあった生き方、生死観を求めている。心のよりどころとしての宗教、今や形式化された儀式として信仰の対象から、慣習化したものへと代わっていくのではないか。しかし、長い時を経た重みに彩られた空間には、信仰の歴史が渦巻き、われわれを安らぎの世界にいざない、仏像やマリア像、イコンを前にしたときに感じる宗教的感動が人生に安らぎを与える。われわれはまだまだ科学的人間になりきれない時代にいる。

  イザナギとイザナミ     アダムとイブ

・ 汝の隣人を愛せと言われたキリストだが、人類は隣人との殺し合いの歴史である。ミトコンドリアDNAからは、より近いハプログループのほうが、世界情勢は隣人に対しては、憎しみ合う場合が多い。DNAが近い同胞だから憎しみ会うのだろうか?シーア派、スンニー派、アルバニア人が90% セルビア人は10%のコソボの悲劇、ツチ族とフッ族のルワンダの涙、軍事圧制による微笑の国だったビルマ、クメールルージュなど同族に対して、隣人に対して、最も危険な関係になる不思議な習性を持つ人間がミトコンドリアDNAで同じ母から生まれた一族である事が、さらに悲劇を感じる。DNAより育った風土、慣習、思想が大きくその集団の行動を決めている。日本では親殺し、子殺しが日常のニュースで見聞きする。これは遺伝的に子孫を残すという、動物の基本的な本能が欠如しかかっている危機である。

・ 霊長類研究所の話だったが、サルは子どもを育児するように育てられるから、どんなことがあっても育児を破棄しない。しかし、人間が生まれたばかりのサルの赤ちゃんを親サルから取り上げて、人間が育てると、オス、メスが結婚できなくなるらしいし、子サルが生まれても育児の仕方が分からず、赤ちゃんを育児できなく放置してしまうらしい。DNAは少なくとも霊長類には、自然に育てる遺伝子は無く、集団の中から学んで育児をしていくらしい。母親サルが死んだ場合は集団が母親の変わりに、集団が育児を変わって行うという。DNAは決して仲良くしてくれる遺伝子ではないようだ。


・犯罪者に対して、殺害された遺族は、犯罪者に重罰を望む。判決結果には、多くは不満の声を漏らす。罪を許すわけにいかない。しかし、全て死刑を行い、死を持って償いをさせることで遺族は心の安らぎを得られるのだろうか。何故、何も悪くない肉親が殺さなければならないのかという不条理が、行き場の無い怒りと悲しみが、犯罪者により重い刑を持って償わせることで満足感を得ようとする人間の本質的な動物としての本能が騒ぐのでしょうか。犯罪者は、どんなに罪を悔いても、過ぎ去った過去の過ちは取り戻すことは出来ない。一生が懺悔の生涯となり、生きている意味は犯罪者にとっては何になるのであろうか。  国家も懺悔の未来しかないとすると、インカ、アステカ、マヤ文明を滅ぼしたスペインは南アメリカの築き上げた文明を破壊しつくし、黄金を持ち去っていった。西部開拓史はアメリカ先住民の受難の歴史でもある。アフリカ、インド、東南アジア、中国のヨーロッパの植民地化が人間の尊厳を傷つけてきた。このヨーロッパの植民地政策を行った国内では階層社会が激しかった。ヒトはDNAを共有する他人を見下すことで自分が優位に立とうとする遺伝子があるのだろうか。今、現在でもアフリカかららのイブの子孫同士で、植民地を所有している国があることに驚きを感じる。同じイブから発展してきた人類が、それどれが独立して自国の受け継いできた文化を共有しながら生きていく国を保障してあげる時代は何時来るのだろうか。

・小さい時から憎しみを植えつける教育が、人間不信、国家間の軋轢を生み出す芽を育てている。最近南京大虐殺展が中国で開催されたそうである。これを見たヒトは必ず日本を嫌いに成るという。考えさせられる内容である。
http://blog.goo.ne.jp/marc310_001/e/d985d47dfb38535eaba98eb52ffaf7e6
http://redfox2667.blog111.fc2.com/?no=56
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/108489
http://www1.ocn.ne.jp/~knippon/mondai/nankin/nityu.html
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/note.html
事の真偽はともかく、この様な大会が今日開催されている事に、何らかの思惑を感じられる。

・ 2次大戦の日本帝国主義の侵略戦争に、当時軍国少年だった城山三郎氏は17歳で海軍に志願。そこで一部の職業軍人たちが愛国者の顔をしながらいかに醜いかを知る。理由もない体罰、ひっきりなしに振るわれる こん棒。兵士が芋の葉をかじる時、士官たちは天ぷら、トンカツを食う。演習の時、河原でのんびりしている牛を見て、牛の方がいいと思った。組織とは、個人とは、大義とは、指導者とは何だろう。「軍隊生活が僕を作家にした」と、のちに語っている海 軍での理不尽ないじめ、敗戦で一転した社会の冷たい仕打ち、「組 織の怖さ」「人の醜さ」を思い知ったからだ。と述べられている。この当時2次大戦の軍の内容を知るにつけて、南京のような事件が起こる下地があったろうと推察される。当時の行き過ぎた軍国主義が日本中をおかしくした。その状態が長く続いている国家がいまだにある。http://www.edu.city.yokohama.jp/sch/es/nishimae/image/polin/txt/n19.htm

・“青い目をしたお人形”は横浜に昭和2年に私が知っている歌のように来ました。各地域に配られ、日本からもお返しの人形を送りました。戦時中この手作りのお人形を敵国のスパイとして焼き捨てるように指示した。今思えばばかばかしいことだが、当時はこの様な考えが“まとも”に考えられていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E8%A1%9B%E5%85%B5紅衛兵とは、40~60年代の中国の映画や本に必ず出てくる。毛沢東語録という赤い本は当時、日本の書店でも売られていた。60年代中学生だった私は、ラジオで「こちらは北京放送局です。」という声が聞こえた時は、最初驚きました。なぜなら当時はまだ日中間に国交がなく、中国は文化大革命中でした。妙にはっきりとした日本語の女性の声で、毛主席語録がよく放送されていました。日本の首相やアメリカの大統領の敬称は、省略して「日本の佐藤」、「アメリカのニクソン」とか、日本軍国主義、アメリカ帝国主義という言葉が、よく使われていました。戦争後生まれの私には、その内容についていけなかったことを覚えています。当時は自由な雰囲気が社会にあり、帝国主義、軍国主義などという言葉自体が死語になっていました。近頃、日中友好という活字が躍る時代、当時の放送が思い出される。 http://page.freett.com/dittopopo/num21.htm
http://www25.big.or.jp/~yabuki/doc5/wenge108.htm
http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/kizi9.html 「ワイルド・スワン」ユン・チアン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E4%B8%BB%E5%B8%AD%E8%AA%9E%E9%8C%B2 毛沢東語録とは

・ 文革のヴァイオリンを焼き捨てるシーンを見ながら、このシーンとダブって見えました。(映画レッド・ヴァイオリン)敵国の物はすべて、排斥、スパイ行為だとして検挙され、教育現場での軍国教育が一変して、戦後、民主主義教育に切り替わる変化に戸惑った日本人も多かったと思われる。そのような時代を読み、代わり身の速さを身に付けないと中国では、刻々と方針が変わっていのに身を上手く処すことが出来ないと見聞きする。戦争は人間を狂気に陥れる。日常生活では殺人犯罪であるが、戦争では個人の殺人に罪を負わせることはない。ミャンマー国軍兵士が背後の至近距離から長井健司さんを狙い撃っているが殺人罪で訴える事が出来ない。この様な事態になるのは軍という組織の特徴であろう。遺伝子が行うのではなく、その組織の力という思想が行わせるのである。宗教戦争、民族戦争も遺伝学的には馬鹿らしいことなのであろうが、彼らの背景にはそのような分子生物学を超えた長い風土慣習がある。長い歴史の中で培われた慣習が呪縛し首にまきつく蛇のように締め上げるようにマインドコントロールされたかの如く、自爆テロに走る。銃を乱射して、ジハード・正義を貫くような錯覚を覚えている。自己の判断力は失われている。2次大戦中の日本軍がまた、ベトナムでのアメリカ軍がそうだったように。こころに柔軟さを持ち合わせることが、極端に走る事の抑止になる。理性的に対応する術を身につける事が、残忍な行動を避けることになるだろうし、軍の規律に沿うような(軍法会議回避)行動がとれるはずである。敵対するものにも慈悲のこころがあれば、虐殺行為に走らないゆとりが出てくるはずである。自己は見失い、集団ヒステリーに落ちると、悲惨な集団心理がリンチに走るようになってしまう。抑止力を持った人間が居なくなる事に戦争の恐ろしさがある。一種の集団パニック発作という現象であろうか。

* 最近、子ども達を診ると、子どもは大人の小型ではないとおそわったが、こころを病んだ子どもたちが多くなったのか、目立つようになったのか、子どもが得体の知れない不安が、不思議な訴えとなり首をかしげるような検査結果になる。時にはパニックにも陥り、取り乱して、親御さんは動転する。メリル・ストリーブの「誤診」では無いが、メリル・ストーブの狼狽ぶりが目に浮かぶ。頭の中に色々な事柄が巡る。しかし、多くは落ち着きを取り戻してくる。親は、大人自身の場合と違い判断が客観的な立場で冷静に子どもに判断を下す事が要求される。大人自身は自分で勝手に判断して、決めていくので冷静さを欠く場合がある。親は子どもには出来るだけ、穏やかな治療法を選ぶのが常である。しかし、大人も子どもも現れる症状やこころの症状はかなり酷似してきている。時代なのか?

* しかし、過ぎ去った過去に固執して、将来が開けるのだろうか。日本は無かった事には出来ないし、すべきでないし、謝罪すべきである。日中交流のための学生間ホームステイが行われている。中国の学生は“日本人をもっと怖い人たち”だと思っていたとのコメントが示しているように、日本イコール怖い・悪いとの刷り込まれているとそれを払拭することはなかなか難しい。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8E%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%A4 

・ スミソニアン博物館のエノラゲイ事件は原爆が繰り返されないように開催される趣旨が、アメリカの反対で開催できなかった。これに対して日本はほとんど何らかの抗議は聞こえなかった。これは多くの人命を救うために広島、長崎の原爆での死者が必要だった(今現在でも原爆の後遺症で悩んでいる被爆者たちがいるまた認定に関しての政府の見解と被爆者との意見が食い違っている。旧ミドリ十字による感染したC型肝炎なら超政治的決断が出来るが・・。)という理由がいまだに通用している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%AB%E7%88%86%E8%80%85%E5%81%A5%E5%BA%B7%E6%89%8B%
E5%B8%B3

被爆者健康手帳があれば、医療機関での無料で診察、医療、投薬、入院などができる。

日本も中国も民衆と政府の見解の不一致があるが、日本では即、支持率低下して、内閣は拒否されるが、1党独裁の中国では支持率は常に100%であろう。ある国の支持率が6~70%を占める事は危険な徴候です。5~60%が最高支持率ぐらいでないと、民主国家とは言えないような感じがする。憧れのチベットよ!独立してくれ。DNAが私のDNAが騒ぐ。

ロシアの捕虜になった人たちが、日本に裁判を起している。早く帰国する義務を怠ったために多くの死者がでた事にある。ロシアといい、中国といい、領土に対する執着心はかなりのものである。広大な土地を所有しているり両国であるが、広ければ広いほどもっと欲しがるものでしょうか。お金持ちの、お金に細かいことにつながることでしょうか、無いものに取っては細かなことはあまり気にしないのですが、そこが貧富の分かれ目でしょうか。しかし、この共産主義の両国家が今や格差社会の最たるもので、東京で料亭を借りきり、1千万を一日で使ったロシア人、中国の子どもたちが日本人の平均年収のお小遣いを持って買い物に来ているというとんでもない事が起こっている。国では都会以外の田舎では、食べるのがやっとという事であるが。また都市化に伴い、下町の立ち退きで、苦しい立場に追い込まれている土地の商売人も多いという。かつて毛沢東語録の言葉は何処に言ってしまったのだろうか。紅衛兵の糾弾を受けた人々は、今、現状を見るとどのように思うのだろうか。運が悪かっただけで済ませる問題なのだろうか。人間の人生をもてあそぶような思想が浸透して、切り捨てても大局を目指す中国的思想には、多くの一般人民の犠牲の上に成り立つ。天安門事件の時に、中国国民は多い、多少死んでも、まだまだ多く居る。といった政治家がいたが、この様な考えが浸透しているのが中国なのだろうか。ここで南京大虐殺には被害者としての啓蒙に世界に発信し続けている。世界の人はナチスドイツのホロコースト、アウシュビッツを思い起こさせる事件である。嫌われ者のドイツと日本、ドイツは努力してヨーロッパに謝罪し、多く犠牲を払ってきた。日本は時の政府への援助で、一般民衆には、日本の援助事業だとわからず済んでいるらしい。このあたりの差が今になってつけがまわってきているように思える。ドイツを見習うべきだったのであろうか。DNAは長年の風土と慣習、気質を支配することは出来ない。氏より育ちというが、まったくそうである。DNAより育った環境である。各地の紛争も分子生物学では歯が立たない。育ちがすべてを支配する。

同じハプログループから分かれた者同士でミトコンドリアDNAは中国北東部から朝鮮半島をくだり、日本に入ってきている。この事実が余計に悲しい。

余談

レッドバイオリン http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=5627
シルヴァア・チャン:ジャスミンの花開く http://www.jasminewomen.jp/
チャン・ツィ『活きる』 http://www.jrcl.net/web/frame0415c.html

チャン・イーモウが監督、グォ・ヨウ、コン・リーらが出演 国民党と共産党軍の戦争、台湾解放、ブルジョアの殺害、権威の自己反省、文革時代の紅衛兵の看護婦が反革命分子の教授悪態をつき、未熟な看護婦の処置にて出産の産後に母親が死亡、いままで同士だったものが、走資派として弾劾される時代、40、50、60年代の激動の中国が私の生まれ育った時代と符合して、進んでいく話に、割り切れない矛盾を感じながら、時代に迎合してしたたかに生きていく中国民の姿が、日本の軍国主義より長く続いた現在、今でもその根底には其の時代の延長線上にある中国を感じる。ミトコンドリアDNAが生んだ同胞の思想は、長年の風土、慣習、思想にて相容れないかけ離れたこころを育んだ。息子の命を奪った友人を許せない母に許しはない。苦しむ加害者。許せないこころは自分自身も安らぎが来ないことを知るべきである。これらが最近見た映画ですが、全てに文革の時代が出てきます。文革は中国にとって何だったのだろうか?

きれいなおかあさん http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=2864 コン・リー 難聴児を育てる中国映画に拍手です。コン・リーがお母さん役です。ハンニバル・ライジングのマダム紫(式部)のあでやかで妖艶な演技と、このような一面があるコン・リーは本当のすばらしい俳優でしょう。

(参考図書)
・生命の誕生 三木成夫 築地書館
・ミトコンドリア・ミステリー 林純一 講談社
・生命時計はなぜリズムを刻むか ラッセル・フォスター、レオン・クライツマン、本間徳子訳日経BP社
・世界は1つの生命からかじまったーサムシング・グレートからの贈り物 村上和雄、葉祥明 きこ書房
・遺伝子の夢 死の意味を問う生物学 田沼靖一 NHK Books
・日本人の誕生 人類はるかなる旅 植原和郎 吉川弘文館
・DNA人類進化学 宝来聡 岩波書店
・人類の進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」 三井誠 講談社現在新書
・アダムの旅 Y染色体がたどった大いなる旅路 スペンサー・ウエルズ 訳和泉裕子 basiico
・出アフリカ記 人類の起源 クリストファー・ストリンガー、ロビン・マッキー 訳河合信和 岩波書店
・アダムの呪い ブライアン・サイクス 訳大野晶子 ソニー・マガジンズ
・イブの七人の娘たち ブライアン・サイクス 訳大野晶子 ソニー・マガジンズ
・DNAが解き明かす日本人の系譜崎谷 満 勉誠出版
・分子生物学講義中継 井出利憲 羊土社
・免疫力を高める生活 健康の鍵はミトコンドリアが握っている 西原克成 サンマーク出版
・日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造 篠田謙一 NHK Books

・ミトコンドリアはどこからきたかー生命40億年を辿る 黒岩常祥 NHKBooks
・日本人は何処から来たかー血液型遺伝子から解く 松本秀雄 NHKBooks
・DNAから見た日本人 斉藤成也 ちくま新書
・ミトコンドリアの謎 河野重行 講談社現在新書



    


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