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(2008年 8月)

私のフェルメール「牛乳を注ぐ女」

1660年代のオランダはイギリス、フランスがドイツと組んでの戦争で疲弊していた。しかし、1672年代までにはオランダ経済は最盛期を迎え、中上層の人々に富は集中して、今の中国経済の様相を呈した。

油絵発祥の地という伝統と、新教が宗教画の礼拝を禁じたために(ルター、カルヴァンが偶像崇拝を禁じた)、カトリックの国に比べてプロテスタントの多かったオランダでは、宗教的な観念を神ではなく、具体的な物に暗示して絵にした。教会から市民の日常へと移行していったため、宗教画の需要が少なかったオランダでは、宗教画、歴史画以外のこうしたわかりやすい主題が市民階層には最も人気があったのです。

オランダ絵画の黄金時代を支えたのは、まさにオランダの市民たちの現実的な生活感覚そのものだったといえるのでしょう。絵画もそのような富裕層がアムステルダム、レイデンを中心に持てるものと、持たざるものの差別化に清潔な室内、趣味の良い調度、贅沢なファッション、高い教育と教養、優雅な立ち振る舞いを新興富裕層でもてはやされ、演劇絵画も当然それらの人々のニーズに応えるものを提供した。風俗画はそのような背景から発展していった。

17世紀のオランダ絵画は18~19世紀に起こった近代的・市民的芸術の先駆的な絵画が多く描かれた。イタリアではカラヴァッジョ、フランスでは絶対王政下であったが、シャルダンなどがオランダ的な市民階級の要求する絵画を描いていた。

フェルメールは最初は所有者の階級意識をくすぐるような要素を発揮しきれずにいた。「窓辺で手紙を読む女」「士官と笑う女」あたりでようやくそれが出来つつあり、「牛乳を注ぐ女」で型が出来上がってきた。60年代後半でフェルメールは評判の画家になっていった。

「士官と笑う女」はフェルメール唯一の本当に笑っている顔が描かれている、表情の豊かな絵画です。17世紀の日本絵画は狩野派、俵屋宗達、尾形光琳、菱川師宣らが活躍していた時代だった。

この絵がわずか10号程度の小さな作品である。それでいて、美術館の広い空間をオーラで満たすほどの迫力を持っている。同様の画題を扱った絵よりも、静かで、上品で、穏やかで、気持ちが良い。風俗画でありながら他のオランダの画家が同様の題材を描いても、宗教画を観るときのような印象を受けるのがフェルメールの絵の人気の秘密でしょうか。

ボデコン(厨房画)の代表画がこの「牛乳を注ぐ女」です。オランダの16,7世紀のお手伝いさんの身分は低かったらしい。しかし、多くの家庭でお手伝いさんを雇っていたらしい。多くは住み込みで働き、色々なエピソードが沸き起こっといたらしい。またTVシリーズ「家政婦は見た」の様な事件もあっただろう。主人の扱いがとてもよくて、家族同然のような場合もあったらしい。しかし、一般的には身分の低い立場で、家の主人から理不尽な扱いを受けた場合が多かったらしい。

オランダ社会が作り出したお手伝いさんのイメージから、フェルメールの絵も、多く影響を受けている。綺麗で華奢な女性を描いたフェルメールがたくましいお手伝いさんが出てくる絵はこれのみである。

「牛乳を注ぐ女」は「眠る女」とは異なり、働く女性を賛歌しているように描いています。いつものフェルメールの絵に出てくるやさしい女性ではなく、たくましい働く女性です。この絵にはX線で、後ろの壁には地図と籠の中に洗濯物?布が詰まった物が描かれていたと言う事です。

当時地図はオランダで盛んに制作されたものだったらしい。多くのフェルメールの絵には壁にかかった地図が登場する。しかし、これらを全て塗りつぶして足温器が描かれ、壁の最下層のところにはキューピットが描かれています。腕まくりをしたたくましい女性が牛乳を注いでいる。この容器の角度からは牛乳は下に流れ落ちないはずですが、自然な感じで受け取られるのがこの絵の不思議で、テーブルもよく見ると真四角になっていないが、それも感じさせない不思議の2つ目です。

この容器を持つ右手の真上にピンを止めた後があるそうです。一点透視画法(中心点を決め そこから放射状に主要な人物や重要な描きたい主題を描いていく)で描くと、とても遠近感のある絵になります。これはキリスト教の一神教支配された、宗教画以来用いられた西洋絵画には多く用いられており、フェルメールの絵画もその手法が用いられた気配があるらしのですが、フェルメールに関する本には必ず登場する小林頼子氏の説明が難しくて、よく理解できませんでした。


ポワンティエ技法(点綴法)、この手法は「デルフトの眺望」にも持ちられている技法ですが、印象派のような点描画法が認められ、その光の表現における秀逸な効果はテーブルの上に置かれるパンに示されている(同部分の絵具層は三層に重ねられていることがX線調査によって判明した)。

実際にパンが光にあたり、普通パンがこのような白い点状に見えることはないと考えられます。また左部の窓から室内に射し込んだ柔らかな光描写の絶妙な加減や、画面を包み込む穏やかで静謐な雰囲気なども、牛乳を注ぐ女やテーブル上の黄色、青色、赤色と、背後の白壁との鮮やかなコントラストは見るものをひきつけます。フェルメールはテーブル上により多くの食物を配するために、テーブルを長方形ではなく台形状に描いているが、気がつかないほどに自然です。

一心に牛乳を注ぐ女のうつむき加減の表情が、見るものにさまざまなことを語りかける。見るものによって千差万別、ありとあらゆる想像をかきたてる。

牛乳を注ぐことだけに集中している。フェルメールほど、女性が日常の一瞬にかいま見せる姿に美しさを見いだした作家はいないのではないかと思える。

画面中央、メイドらしき女性が、テーブルの上のミルクポットへ丁寧にミルクを注いでいる。メイドは、どっしりとした逞しい体つきで、黄色の上着に赤いスカートを身に付け、腰には青いエプロンを巻いている。机の上にはミルクポットの他に、パン籠、パン、水差しが置かれている。また青い布がテーブルに引っ掛かっている。台所の、向かって左側には格子状の窓があり、そこからはそれほど強くないオランダの光が差し込み、部屋全体が静かで冷たい空気によって包まれている。窓に続く壁には、籐製の四角いバスケットが掛かっており、その奥には金属製の缶のようなものも掛けられている。

画面一面、古い白壁が占めている。この壁には、打ち付けられた数本の釘や、釘が刺さっていたのが確認できます。また、メイドが立つ床には足温器も置かれている。その足温器の奥の壁には、横一線にタイルが張られており、それら一つ一つにはモチーフが描かれている。左端の一枚に描かれているのは、クピド・キューピッドだと考えられています。

画面全体にポワンティエ技法(点綴法)が認められ、その光の表現による効果は、テーブルの上のパンに良く表されている。またフェルメールはテーブルを長方形ではなく台形状に描いている。これはテーブルの上により多くのものを配置するための工夫だそうです。違和感なく見られます。X線調査によって、当初この絵の最深部の壁には画か、もしくは地図が描かれていたということがわかっています。さらに、赤外線による調査では、足元の足温器の部分には、はじめ洗濯籠が描かれていたという事実もわかっています。これらを塗りつぶしたのは、一般的には、メイドの行動、またメイドそのものに鑑賞者の意識を集中させるためだと考えられています。

壁に打ち込まれた小さな釘の影までかいていたり、窓ガラスが割れて光がもれている様を、色合いの違いで絶妙に表現していたり、ひとつひとつの細やかな描写が、オランダ人の性格の一端を現しているように感じます。 細部にまでこだわりきちっと描かなくては気がすまないような気質がこの描写力を生み出したように感じます。省略すれば出来ないことは無いのに、あえて描く、リアリズムを追求する姿勢は、性格が為せる技ではないかと感じます。普通なら途中で嫌になるはずであるから。


ボデコン(厨房画)と呼ばれ、17世紀オランダでは、人々の生活を生き生きと描いた風俗画の一つのジャンルとして、非常によく取り上げられた主題でした。「タマネギを刻む娘」 ヘーラルト・ダウ(1646年) もその代表的な絵です。
http://www.artrenewal.org/images/artists/D/Dou_Gerrit/large/Dou_46Onions.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%BF%91%E6%B3%95 透視法、錯視効果、消失点

http://www.paintweb.jp/text/icon.html
イコノグラフィーとは図像の意味を解釈するための学問です。絵に使われることから、「豊穣」や「豊富」の意味で描かれる場合がある。ミルクもまた「豊かさ」を象徴する事物です。

これらの中心に立つのが逞しい体をしたメイドであり、彼女はバスケットを管理する立場で、今まさに主人のためにパンとミルクを用意しています。つまり、食事の支度をする彼女は豊かさを運んでくる存在であると考えられます。さらにメイドが纏う衣服の赤い色は「愛」の、エプロンの青い色は「信仰」の意味をもって描かれることがある。スカートの赤とエプロンの青色ラピスラズリ。この組み合わせは、西洋絵画においては「聖母マリア」を意味する聖なるカラーアンサンブルです(ちなみに赤は愛、青は信仰を示します)。

中央のマリア、右十字架を握る幼子イエス、左十字架を支える聖ヨハネ(有名なラファエロの絵です)。

机の上のパン。パンは図像学ではキリストの肉体を意味します。そして、ミルクは豊かな糧の象徴です。

したがって、この絵は、「キリストの母なるマリアが、生きていくための糧を人々に与えているところ」と読み取ることもできます。この解釈を採用すると、メイドは聖母マリアということになります(深読みもここまで来るといき過ぎでしょうか)。

壁にかかるバスケット。バスケットは樹木の実りである果物を入れるのに使われることから、「豊穣」や「豊富」の意味で描かれる場合があります。「豊かさ」は「ミルク」も豊かさを意味する。そして、彼女はいましもミルクを家の住人のために注いでいるところです。「豊かさ」をもたらしているのは、このメイドだと考えられます。

大柄に、しかもがっしりと描かれたところからくる安心感、マリアを思わせる衣装、ミルクを注ぎ、バスケットに食べ物を盛る者、この大柄なメイドこそが、人々に「豊かさ」を施してくれる「母性」の象徴であるという解釈、その「母性」は一般市民よりもむしろ下層にわが身をおく人間によってもたらされている点です。

当時のオランダ絵画は厨房の女性を描いた作品が多く、牛乳を注ぐ姿を描いた画家も他にいることは、画集にも掲載されています。今までの神話、聖書の世界でなく、一般家庭の中に、今までのイコノロジーを当てはめて描いているのは、フェルメールだけではありません。当時はバロックの時代で、ルネッサンスの秩序から抜け出た時代でも、様式としての絵画スタイルが残っていたと思われます。

高価なラピスラズリもまた、敦煌莫高窟、第285窟壁画の青色もまたラピスラズリ(日本では瑠璃中国では青金石、紺玉)であるが青色を使うにはこれしかなかった時代だと思われます。ラピスラズリは、ヨーロッパの近くではアフガニスタンでしか産出せず、それが海路で運ばれたため、「海を越えて運ばれる青」という意味で「ウルトラマリン」と呼ばれた。ウルトラマリンブルーは通常の青い絵具の百倍の値段がついたとされる。通常の画家は限られた部分にしか使わない貴重な絵具だったが、フェルメールはこのウルトラマリンブルーをふんだんに使った(お金持ちだった)。また床に置かれた足温器は「不変」と「気づかい」を求める心を象徴し、その奥に描かれたタイルのモチーフであるクピド・キューピッドは「愛」の象徴です。

これらのことから、メイドは自らの仕事に気づかいと愛、また熱心さをもって望む存在であり、豊かさをもたらす暖かい存在として描かれていると考えられます。

しかし、単純に見れば、もしかしたら作者は何の意味もなく事物をそこに描いただけかも知れないしメイドはこのようなたくましいメイドであり(モデルについては、フェルメールの義母の元で働いていたメイドとも言われているが、定かではない)、服の色は伝統的な色を採用しただけかもしれない。

ただ単純に厨房のメイドを描き、ミルクを注ぐのにふさわしい構図をフェルメールは考え、構図を簡素にする為に、壁に引っ掛けた地図や背後の籠を消し去り、机も全体の調和にふさわしく変形させ、ミルクを注ぐメイドに意識が集中するような工夫を凝らしただけかも知れない。

メイドは聖母マリアではなく、この絵が製作された時期から考えて当時フェルメールの義母マーリア・ティンスの許で働いていたメイドのタンネケ・エフェルプールがモデルだったかもしれない。他には何の意味合いも持たせなかった可能性も十分に考えられる。

よく物書きの作家が教科書に作品を取り上げられ、色々と深読みされて、作者が意図しないことまで解釈されていることに、当の作者が驚く場合があることを何かで読みました。深層心理では、表面に出ない意識が、無意識に文章に表れたとも解釈できるが、作品は作者の手を離れると、次々と色々な解釈が出てくるというものだと思ったものでした。イコノロジー的解釈は下の絵に解釈に表されるようなものが一般的に知られるものである。

http://www.salvastyle.com/menu_baroque/caravaggio_frutta.html

この絵は、カラヴァッジョの有名な静物画です。りんごのところどころに虫が食った穴が開いている。これは退廃を意味している。

左の光が当たっている方はみずみずしい葡萄の葉が描かれている。右の方の葉は枯れ始めている。退廃しやすい快楽の寓意がこめられている。

若桑みどり、イコノロジー入門、NHKBooks引用。

17世紀のオランダは、東インド会社設立とともに、貿易による繁栄を極めている。多くの人々がお金持ちになり、中産階級となった。ヨーロッパの国々の中でも、いちはやく市民社会を形成していったのが17世紀のオランダであった。手紙を読む女性を描く画家の絵も多く、また楽器、ヴァージナル、フルート、リュート、ギター「合奏」「音楽の稽古」「中断された音楽の稽古」「天文学者「地理学者」などの題材が、厨房画と異なる、富裕層の風俗画であろうか。「リュートを調弦する女」と「少女」のモデルが一緒のような感じがします。「青衣の女」と「窓辺で手紙を読む女」「天文学者」と「地理学者」も同一人物ではないかと思われます。「手紙を書く女」と「真珠の首飾りの女」「婦人と召使いの」「天秤を持つ女」「合奏」などでも利用されている服が「白い毛皮に縁取りがついた黄色いサテンのマント」であるようです。http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/3587/zensakuhin.html

○『何故、日本人はフェルメールが好きなのだろうか?』

同時代の、レンブラントは華やかで、大画面の絵画があり、ファンが多い。バロック時代のヨーロッパを代表する画家 ルーベンス、「聖母被昇天」「キリスト昇架」「キリスト降架」は「フランダースの犬」で有名です。ネロとパトラッシュが力尽きる直前のシーンで、アントワープ大聖堂にある「キリストの降架」と「聖母被昇天」の2枚の絵画を見上げる場面に流れる、「主よ御許に近づかん」シューベルト「アベマリア」がバックグランドに静かに流れる、「フランダースの犬」の最後の感動的なシーンです。

しかし、両巨匠に比較して、小さい絵がほとんどで、30点しかないし、その中で最高の絵は数点であるフェルメールがどうして絶大な人気を誇るのかをしる一つには、数多くのフェルメールの絵画が日本に来ているがほとんどが一点もので、またほとんど一瞬しか見られない状況で、その他の絵画が添え物のような感じになっています。一点物の作品でも大勢の観客を動員できる絵なのは、作品が少ないからと、全部のフェルメール作品を見るには大変な労力と時間と距離がかかるのが、日本に来てくれるときを逃がすのはもったいない。という心理が働くのかもしれません。では何故フェルメールなのでしょうか?

これを考えるには、印象派の絵画が日本人に人気があります。私が学生時代の図画の時間は静物画か写生です。これは中学まで続く。多くは印象派の絵画スタイルです。おのずと、印象派的な絵画感覚が身についているようになるのではと思われます。

絵画史の授業などでは、多くのページが西洋の教会絵画から古典、ロマン主義、バロックとラファエル前派などの細密な写術と光の明暗、遠近法を駆使して、衣の襞などが画面の主題と共に見事に描かれています。そこに、現れたのがエコールドパリの個性的な絵画と印象派の絵画でした。

川崎造船所(現川崎重工)初代社長の松方幸次郎(1865-1950)による松方コレクション(印象派の絵画及びロダンの彫刻を中心とするフランス美術コレクション) を基礎に、西洋美術に関する作品及び資料の収集をしている。

大原孫三郎(倉敷紡績)の絵画収集、画家児島虎次郎の収集した約600点の西洋絵画が中心であるが大原美術館を建てている。ポーラ・グループオーナー故鈴木つねし常司が40年以上にわたり収集したものです。ポーラ美術館のコレクションは作品の特長や歴史、時代背景を研究し、「この作品を描いているとき、画家は何を思いながら描いたのか」ということに思いをめぐらせながら、オーナーは作品を収集したといいます。

石橋財団ブリヂストン美術館これらの美術館には、印象派、バルビゾン派、エコールドパリ、ピカソ、シャガール、ミロ、モジリアーニ、ブラック、セザンヌなどの当時としては、新進気鋭の画家たちの作品を選ぶ人の目で選んで持ち帰った。これらの絵画が日本に与えた影響は大きかったと思われます。ロマン派以前の評価の決まった絵画を購入することは不可能でしたが、当時の流行画家の作品(多くは印象派、またそれらの時代以降の絵画)には、手が出たらしいのです。

こうして戦後の日本の絵画の授業や目に触れる西洋絵画は印象派ということになったのでしょう。そうして学校での美術授業のスタイルが、その光の描き方、野外写生の習慣はこの印象派の影響が大きいと感じます。印象派の絵画は理屈はいらないし深読みしなくていいのです。イコノグラフィーなどの絵画を読み解く西洋的のキリスト教的な解釈も要らない。長く伝統的なキリスト教文化圏と異なる、日本では絵解きをするような下地が出来ていないので、見たままの印象が、気持ちよく、こころに響いてくるままに、感じたままにこの絵はいいなと感じることが出来る。何らかの解釈や過去のエピソードや時代背景がどうであれ関係がない。最も自然に絵画に入っていけるのが印象派の絵画です。

フェルメールの絵画は、初対面であっても印象派に感じるのと相通じる感じがして、すっと受け入れられる感じが似ているように思われます。印象派の風景には静かな光に満ちた世界です。そのような風景に溶け込み絵画の中で永遠に暮らしていたいと感じる穏やかで快適そうな安らぎの絵画から溢れる印象が、フェルメールの絵画にも、静かで穏やかで落ち着いた室内の空気や綺麗に整理整頓されたオランダ人気質が、綺麗好きな日本人にも相通じるのかもしれません。

すんなりと日本人が受け入れやすい絵画の特徴がフェルメールにはあります。ルネッサンスが過ぎ、バロック・ロココ期が主流だった時期のフェルメール絵画はオランダの繁栄の17世紀に生き、それまでの宗教色の濃い絵画や暗い風景画と異なり、オランダの光がフェルメールの絵画を今までの伝統的な絵画技法を、視点を、描く目を変えたのでしょう。この感覚が現在の日本人の感覚にあったのでしょう。

古典的なレンブラントで無く、宗教画のルーベンスでも無く、フェルメールは非常に現在ヨーロッパ的で宗教色が排除されて、古典的な絵画技法でもなく、東洋で西洋化が進んでいる当時の日本人には受け入れやすいのではないかと思うのです。

日本人はアメリカに憧れながら、歴史と伝統にヨーロッパ的なシックで落ち着いた雰囲気が古来の日本の伝統美に合致する感覚のように思われるのですが。歴史の浅い国より長い歴史が醸し出す雰囲気が、日本人にはアメリカ的で何か新しくてドライな感覚で無く、しっとりとした静謐で懐かしい郷愁という共通項に括られて引き合う感覚があるのではないかと思うのです。

感覚的に絵画の好みは育った環境や伝統、目にした多くの芸術品など多くの因子が関係します。キリスト教的な環境に無い日本では宗教画というより、寺院の仏像の方が親しみやすいし、神社の鳥居を入り、鎮守の森の中で長い間に培われた周囲の木々の静かな環境になれ親しんできた経緯があり、幼い時の環境がその後の物事への関心に大きく影響が出ると感じるのです。

石畳の道、堅牢な教会、厳かな教会内の雰囲気、賛美歌の良く響く教会内に掛かる十字架、宗教画、そのような環境で育ってはいないのが日本人ですから。松方コレクションを支えていた鈴木商店は最も景気がいい頃でいくらでも絵画購入に金銭面では困らなかったらしい。ここで、静謐の画家といわれるフェルメールは、実は日本の昔からの絵画(山水画、美人画など)には静謐な絵が多い。人気画家の岡鹿之助、東山魁夷、小杉小次郎、高山辰雄、森本草介などなど多くの画家が静謐な画風をあらわしている。

この伝統を受け継ぐ日本の感性がフェルメールを他の同じ題材を扱った風俗画家より好まれるのではないかと考えるもですが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%95%86%E5%BA%97
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF

· ネーデルラント(フランドル) 17世紀の画家たち。
 ルーベンス 

· ネーデルラント(オランダ)
 レンブラント 
 フェルメール

· スペイン
 ベラスケス
 1625年、ネーデルラント南部の要塞ブレダにおけるスペイン軍の戦勝を記念して制作された。
 オランダとスペインを象徴する絵画。

· フランス 
 ニコラ・プッサン(ローマで活躍) 
 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 明暗の描き方が多くの画家に影響を与えただろう。

· イタリア
 カラヴァッジオ (当時のオランダの画家はカラヴァジオの影響を受けている)

17世紀のフェルメールが活躍したオランダは、オランダ史上最盛期を迎えていた。この時代に、歴史画、宗教画ではなく、肖像画でもなく、風俗画や風景画を描くのがオランダの特徴であった。レンブラントはどの絵画分野でも活躍できたが、フェルメールは風俗画に於いてその力量を発揮できた画家とも言える。彼の初期の宗教画は、多くの画家が描きうるものだろうし、後期の絵も少し細密なこだわりの糸が切れてフェルメール本来の特徴が無いように感じる。

小さいなキャンバスにありったけの情熱を傾けて、構図に工夫を凝らして、色合いを点描で微妙な光を編み出し、静かで上品な印象を与える画面を作り上げる、一点凝視の手法で、見るものを捕らえて話さない手法、画面に比較して大きく感じる絵のスケール、遠くからではよく見えないほどの細密な描き方が特徴で、大きな展覧会で並んでみると良く観察できないので、望遠鏡が必要なほどの細部に至るまでの懲りようが特徴です。

近世ヨーロッパの三大バブルの1つチューリップ狂時代を為して、以後オランダの100年間の繁栄がイギリスに取って代わられ、絵画もフランスの影響を受けるようになりオランダ独自の絵画が衰退していった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%
     E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B5%B7%E6%B3%A1%E6%B2%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
バブル経済の語源となる。
『画家たちの中のフェルメール』
サルバドール・ダリ

テーブルとして使われるフェルメールの亡霊
「フェルメールの<レースを編む女>に関する偏執狂的=批判的習作」
ピエール・ボナール
多くの画家がフェルメールを賞賛している。またそれに関する絵画も描いている。

人肌の温もりの感じられない、俗欲を排除した、透き通るような世界、心安らかな世界が救いを感じさせ、あたかも宗教画のような救いを感じるのではないか。それがある種のそのような心に共感する画家にはひきつけられるのものがあるのではないかと感じる。

「ワイングラスを持つ娘」「中断された音楽の稽古」などは表情が硬い。「士官と笑う女」「取り持ち女」には少し表情が見られるが、「士官と笑う女」は柔らかに微笑んでいる。唯一表情を捉えたといえるのが、「恋文」の女主人と女中の表情が豊かであると感じる。これも、表情を面に出したりしない日本人の特徴に合致する。欧米では最初、日本人の表情の乏しさに戸惑ったことでしょう。日本の感情を面に出さない文化的な背景があるのでしょうか。


    


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