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自閉症スペクトラムの心の謎(広汎性発達障害) -理解しあうためのレッスン-

私たちは、特に見た目に判りやすい肢体不自由障害者を目にすると、自然と目をそらしたり、見ないような振りをしたりして、その障害者に対して、心配りをします。それは、障害に対する、相手の心を思いやる気持ちから出た、愛情と言うような心からと思われます。そうして自然と支援の手が伸びるような社会が来ることを願うばかりです。しかし、子どもたちか感情がストレートで、興味を持つと、とことん追求していきます。そうして、慣れれば普通に接するだろうし、ある子は、それをいじめの対象にする子もいるだろうが、そのどちらも心の中での表現はストレートで、大人のように影でこそこそと言ったイメージとはかけ離れた表現法を取るように感じる。映画「エレファントマン」などはその代表的なテーマであったと思う。また、脳性小児麻痺なども、知的な障害の少ない場合、悩みは大きい。思い通り動かない四肢に苦労する姿は、誰にも見せたくないように感じることと思う。しかし、何でもそうであるが見慣れると、なんてことは無い。かえって、その動きに感動を覚える。昔は、障害者は町に出なく、見る機会が無かった。しかし、最近は多くの障害者が町に出るようになる、目にする機械も増えた。多数派である非障害者も、大分、その障害の特質を知るようになったと感じる。しかし、その本質は百人障害者が居れば百通りの特徴がある。自分に絶望する時期もあるだろうし、特に思春期は多くの問題が起る時期でもある。ここにおいて、最も分かりにくい自閉症スペクトラムの心の謎を知ることは、多くの障害者の心を知る上の最も基本的な知識となるように感じる。そこには、大多数の非障害者が感じる、考える、良いと思う支援や方法論が実は大きな間違いであったことがこれを読んでいただくと分かると思う。映画「子きつねヘレン」は視覚・聴覚障害を持つきつねの物語である。この物語が感動的なのは、動物の障害に心をくだく子どもと獣医の姿勢に、ヒト意外にも障害を持つ生き物への愛情に感動するからです。ヒトが精一杯生きていた時代、ヒトの障害にも支援が行き届かず、悲惨な時代があった。動物や弱者にも色々手が行き届く時代がやっと来た感じがする。障害者に関する本も多く出て、知識が一般化してきたことが喜ばしいが、本当の障害にまで行き届くのはまだまだと感じるのは、支援の専門家が少なく、根性論的な支援がまかり通り、罰をあたえるような支援が熱心な支援と勘違いしている。

「淡路ふくろうの郷」は聴覚障害者専用の老人ホームが4月開園しました。画期的な施設で、視覚情報と手話で情報提供して、畑仕事や、施設の仕事も入居者が手伝うと言う生活共同体のようなグループホームのような施設です。色々な要望が入居者から出て、皆で考え決めていきます。根性や叱咤激励は(体罰は教育だ:戸塚ヨットスクール)などは論外で、一人一人の障害や気質的な特質を考慮していくことが、求められている。ハンセン氏病の隔離生活のような過ちを繰り返さないことが、求められている。自閉症スペクトラムの皆、傷つきやすく、心は不安と恐怖心でおどおどと生活している、肉食獣に狙われる草食獣のような日々の生活をおくっているのです。

全ての障害を持つ人、認知症の人たち全てが社会とかかわりを持ち続ける生活を送れるように祈る。

最近増えつつあるといわれる、自閉症スペクトラムの子どもたちは、律儀で群れなく正直で世俗の要領を必要としない、あくまで自分の安定した世界を守ろうとしている、弱い人たちである。5/5のこどもの日ABCテレビはアメリカの自閉症の実情をレポートした。1000人に5,6人の自閉症がアメリカではいると疾病管理センターが報告した。確実に増えていると言うことにアメリカは予算を今年度中につけると報告した。多くのアメリカ人の子ども達は就学までに気付かないでいる実情報告があった。有効な治療法は無いが早期に発見すると支援法があると言うものである。

自閉症の心の中・世界に土足で入り込む一般の多数派と呼ばれる人たちにとって、理解できない人種と思われるであろう。変わっているとは、自分の価値観に合わないヒトを指すことばである。しかし、このような自己の世界に安定を求めて愚直に生きる姿に、現在日本の有り様の警鐘を示しているのではないか。見えないヒトも、聞こえないヒトも、車椅子のヒトも知的に遅れているヒトも、自分の世界の中で安定を求めるヒトもそれどれが安心して、認められ住めるゆとりある日本の現在社会の方向性を政治の世界に反映させることができない。多くの親たちはその期待に答えて大きく育てていく使命をまっとうしていく。障害者に優劣は無い。みな同じ人間で、お互いが助け合い生きていく、人間界どろどろした欲望の世界の人たちとは異なるはずである。

25年前エキソシストが上映された時はショックな映画だった。悪魔に取り付かれた少女を助けようと、悪魔祓いをする神父の物語である。この中で、悪魔に取り付かれた少女が自閉症の女の子の脳内に語りかけたら、その少女は突然話し始めて母親が驚くシーンがあった。当時こんな風に脳に語りかけられるといいなと、印象的なシーンで、今も目に映る。60‘~80’代には自閉症の本も研究書も乏しかった。しかし、最近は多くの専門書、一般書が出て知識が一般化して、絵に描いて分かりやすく成ってきている。支援法の具体例が細かく書かれて、参考になることが多くある。しかし、今ひとつ実像に迫りにくい感じがするのは私だけであろうか。すなわち、全ての事例を紹介することは出来ないので、そのように成る本質を知ることは、色々な状況に対応出来る基礎を身につけられる、後は、状況に応じ、個々の特質に応じ、臨機応変に対応できるのではないかと考えます。  自ら閉ざすと書いてあるが、実際は別次元に住む住人であった。  自ら閉ざすと書いたおかげで誤解も多く生じている。彼らの心の中に 入れば、我々の世界と異なるために戸惑い、うろたえて避難している状況が見えてくる。理解しがたい行動、物事の固執、パニック、ことばの問題等々が、分かってくる。それを理解する先生が居ることで、学校生活は彼らにとって過ごしやすくなってくる。我々はその異邦人の世界の一端をのぞき、理解を深める事は、別の文化を理解することにつながり、他の多くの障害と言われる子ども達の理解につながっていく。一番の入門であるのが、自閉症スペクトラムの理解である。その豊かな世界は決して不毛の世界でなく、我々に何らかの示唆を与えてくれるものとなると思われる。   

<自閉症スペクトラムのオマージュ>
フンギャ~オンギャと産声を上げてからの、静かで穏やかな日々 (天使のあかちゃん)。 
やっと、お誕生時を迎えて、いつしか とまどいの日々が訪れてくる。
この世界を赤ちゃんは 騒動しく刺激にみちた忌まわし所と感じだす。
子ども達は叫ぶ
何故、私たちを分かってくれないの!
何故、私たちを、この世はいじめるの!
おそいかかる不安に打ち振るえる心に 耐え難い悪魔のような仕打ち(母親は知らずに行う)。
恐怖で 傷つき、疲労困憊する精神と肉体。
何故、この世は酷い刺激に満ちている、ことを分かってくれないの。
行きかう音声は、異国の音声のように心にとどまらなく 私たちを通り過ぎ消えていく。
多くの人びとに囲まれ、アアー混乱のなかで、ひどい音が頭の中に響き渡り割れそうだ 。
息苦しく、ふらつき立っていられなくなる 。 
出来るだけ早くその場から逃げ出し 心から安心できるなれた所に行きたい!
アアー神様!どうして、多数派は頭がこんがらがるようなことを 強要するの。
パニックになりそうな心を、何か他の行動で我慢するほかに心を開放してくれ!
癒す逃げ場が無い・・・助けて!
壊れやすい心を、いたわり、羽毛のように接してあげないと、私たちは無くなりそう。 
何処かに走り去りたい衝動に駆られる毎日。
何故、あなたたちは特別な能力を持っているの。
多数派はそれらの能力と行動にとまどっています。
レイマンのような異邦人の理解には、この内容を読めば、不安と恐怖におののく心とその能力を理解できます。
是非読んで私たちを理解してください。

★ジョンズ・ホプキンス大学の児童精神科医カナーが提唱した1943年自閉症(現在の低機能自閉症)以来多くの、多様なサブグループと考えられる自閉症様な特徴を示す疾患が提唱されてきた。これらを分類して全てをきれいに分けることは大変難しく、多くの疾患が血液検査、尿検査、レントゲン検査、CT,MRI検査、脳波、心理テスト等々で分類診断されるのに対して、この自閉症の類似疾患群は今のところ、はっきりとした検査が無いのが実情である。「冷蔵庫マザー」ということばが提唱され、その後その逆の虐待とも思える訓練が行われた、不幸な歴史があった。1944年、オーストリアのウィーン大学の小児科医アスペルガーに代表される自閉症群を広汎性発達障害(現在の高機能自閉症、広汎性発達障害には下記のようなものが含まれる。なお、知的障害の無い、もしくは軽いものは高機能広汎性発達障害と呼ばれ、軽度発達障害に分類される。)とされたが、イギリスではこのことばを嫌い、自閉症スペクトラムとした。1960年代後半、イギリスのモズレー病院のマイケル・ラターによって、自閉症は先天性の脳障害だという説が発表され、自身にも自閉症の娘がいるイギリス/モズレー病院の医師ローナ・ウィングが、英語圏ではほとんど忘れられていたアスペルガーの論文を英訳して再発表し、高機能自閉症の存在を広く知らせた。それまでのイギリスでは知的障害のある自閉症児にしか福祉の手が差し伸べられていなかったのであるが、自閉症の本質は知的障害や言語障害ではなく対人関係の障害であるため、高機能自閉症も支援の対象にするべきだとの考えである。この診断の困難さを以下ローナ・ウィングの「自閉症スペクトル」の中から引用する。

障害は多種多様な姿で現れ、その中には微妙なものもあれば気づきにくいものもある。
自閉症スペクトル障害は、一般知能の最重度障害から平均よりずっと上に至るまでのいかなる水準においても起りうる。
自閉症スペクトル障害は、何らかの身体障害や他の発達障害を伴うこともある。なかでも、てんかん発作はとりわけ起りやすいものである。
加齢と供に、行動パターンが変化することがある。
環境により行動が変わりうる。よく組織立っている学校や医療施設におけるよりも、家庭では往々にしてよくない。というのは、家庭では親が自分たちに注意をひこうとあれやこれやの要求をするかである。
どんな人が一緒にいるかによって、行動が異なってくる。自閉症障害に働きかける経験を豊富に持った大人と居るときのほうが、そうした経験の無い人といり時や、まとまりの無い集団に居るときなどより良いのが常である。アスペルガーの代表される行動パターンを持った高機能の成人例では、一対一の状況では、たとえ精神科医との面接であっても、障害の特徴が全く見られない人も居る。彼らの問題は生活史の中に現れ、とりわけストレスを感じるような出来事にどう対応するのかということであきらかになる。
教育は、行動パターンに影響を与える。
個々人のパーソナリティ は、行動に反映されるとともに行動に影響を与えもする。

診断は入手可能なあらゆる情報からもたらされ集積された個人史によってなされる。
自閉症障害を持つ人は一人一人異なります、このため、多くに共通した一般的なガイドのようなものはあるが、全てに当てはまるようなものは無い。

対人関係の困難)、(コミュニケーションの困難)、(想像性の欠如)さらに(復的行動)これらが背景にあることは識別できる。

診断が2歳以前の早期に下されることはめったに無い。自閉的行動を示す乳幼児は、生後1年ぐらいの間には、親たちは発達上の問題に気づかない。しかし、注意深い体系だった質問をすれば、多くの場合、その1年の間にも行動の異常が示される。 
1: おとなしくて要求が少なく、乳母車の中で1日中静かに横になり、満足している。
2: 昼夜関係なく泣き叫び、あやしたりなだめたりしても止まらない子。
3: ふりかえってみてもどちらのパターンに当てはまらない、何の問題もなく育った子もいる。

体を触られるのを嫌がる、指差しをしない、抱き上げたりするときに人形のような手足を使わないで、おんぶされる用意のようなしぐさが無い、視覚刺激に対する著しい興味、人や動物や景色に対する興味の無さ、「イナイイナイバー」などの遊びに興味を示さない、体格は普通に育つ、運動能力は遅れることがある、生後1歳頃には、親はうすうす発達上の問題に気づくことが多い、何か特別の発達上の高い能力も持つ子の場合は2歳ぐらいまで気づかないことがある、あるとき2,3週間でことばなどの退行が見られることがある、 
対人関係の困難)(コミュニケーションの困難)(想像性の欠如)が共通した特徴である。



広汎性発達障害」は、「自閉症」「アスペルガー症候群」「レット症候群」「小児期崩壊性障害」「その他の自閉症」という5つの障害の総称です。3歳までに自閉症スペクトラムの3つの項目が当てはまること。

非定型性自閉症
3歳以降に発症し、小児自閉症の3つの症状が揃わない、など定型的でない自閉症。

レット症候群
広汎性発達障害の最重症型。乳児期~2歳頃から目的ある手の動作や会話をできなくなる。手を洗うような常同運動をつづけ、噛む運動もできなくなる。児童期には体幹失調・脊椎変形・舞踏病様運動・てんかん発作が現れ、進行性に運動機能が崩壊する。精神遅滞は重度。女児のみに発症。

小児期崩壊性障害
(レット症候群以外の)広汎性発達障害で、機能における特徴的異常の発作とともに、社会的機能、コミュニケーション機能、および行動障害の発症に先立って明らかな正常の発達期間が存在すること、そして明らかに数ヶ月にわたって、以前に獲得された能力が、少なくともいくつかの領域において、喪失していることによって定義される。しばしば漠然とした疾病の前駆期がある。少なくとも2歳まで外見上は正常に発達したのち言う事を聞かなくなり、いらいらし、不安で過動を示す。そのあと興味の貧困化が起こり、続いて行動の崩壊おともなって言語喪失が起こる。一部の症例では(障害が進行性の診断可能な神経学的病態と関連しているとき)技能の喪失は常に進行性であるが、多くの症例ではしばしば数ヶ月にわたる悪化の後進行が停止し、その後平衡状態、それから限局性の改善をみる。予後は通常非常に悪く、大多数に重度の精神遅滞が残る。この病態が自閉症とどの程度ことなるかは不明である。障害が脳症に伴って起こると考えられる症例もあるが、診断は行動面での特徴に基づいて行なうべきである。神経学的病態をともなうときは、別に分類すべきである。


心の理論の機能を調べる検査の次の二つが有名である。「自分はある事実を知っている。では、それを知らない他者はどう考えるか」を問う課題である。

スマーティ課題
スマーティは「お菓子」「甘いもの」程度の意味である。
 1. お菓子の箱の中に、被験者から見えない所で予め鉛筆等を入れておく。
 2. お菓子の箱を見せ「何が入っているかな?」と問う→答え「お菓子」。
 3. お菓子の箱を開けると、鉛筆が入っている。→「お菓子じゃなくて鉛筆だった」。
 4. お菓子の箱を閉じる。
その後「じゃあこれを家に持っていってお父さん/お母さんに見せたら、お父さん/お母さんはこれに何が入っているというと思う?」と問う。

サリーとアン課題
二人の登場人物を紹介する(サリー、アン)
 1. サリーがボールをかごの中に入れる。
 2. サリーが席を外している間に、アンがボールを別の箱の中に移す。
 3. しばらくしてサリーが戻ってくる。
という内容の人形劇、紙芝居等を被験者に見せ、その後「サリーはボールを見つけるためにまずどこを探すかな?」と質問する。

前者では「お菓子」、後者では「かごの中」と答えるのが正解であり、多くの場合4歳程度になると、この二問に正解できるようになる。しかし心の理論の発達が遅れていると「鉛筆」、「箱の中」と事実ありのままを答えてしまう。心の理論の障害が想定されている自閉症などの患児、患者は高年齢になっても誤答する割合が高い。事実のみに目を向けてしまい、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解できないのである。

心の理論の発達
18ヵ月までに、「ふり」ができるようになる。
4歳までに、だますことが可能になる。精神遅滞の子供と自閉症の子供に、「箱の中にあるお菓子を他人に取られないようにする」という指人形の芝居を行ったところ、精神遅滞の子供では「騙し」と「サボタージュ」という方略をとることができたが、自閉症の子供では精神年齢を統制しても、「騙し」のみ成績が不良であった。

★サリーとアンのテスト
 1. サリーは、カゴと玉を持っています。
 2. アンは、箱を持っています。
 3. サリーは、持っていた玉をカゴの中に入れて、部屋を出ます。
 4. アンは、その玉をカゴから出し、自分の箱に入れます。
 5. 箱を置いて、アンは部屋を出ます。
 6. そこへ、サリーが帰って来ました。
 7. さて、サリーは、玉を出そうとしてどこを探すでしょうか?



このテストは、自分の視点以外(サリーの視点)に立てるかどうか、そして、サリーが持っている「玉は、カゴの中にある」という信念を理解できるかどうかを、テストする課題です。

3才ぐらいでは、普通の子どもでも「玉は箱の中にある」という、自分が見て知っている事実を答えてしまうそうです。この時点では<自己中心>的で、自分の視点からしか物事を見ることができないのです。そして、4~5才になると、<脱中心化>して、サリーの視点に立てるようになるのだそうです。しかし、3才児でこのテストに失敗する子どもでも、日常生活では明らかに他者の視線を意識しているし、「恥ずかしい」という感情や自尊心もちゃんとあるといいます。

全員と言うわけではありませんが、≪自閉症≫児・者がこの課題に失敗するのはどうしてでしょうか?
自分以外に、「心」を持ち「信念」を持てる「他者」が存在していないのか?
(「心の理論」の欠如)
自分以外に、「心」を持ち「信念」を持てる「他者」が存在しているのは解っているけれど、その人の「視点」に立てないだけなのか?
(<脱中心化>ができていない)
自分以外に、「心」を持ち「信念」を持てる「他者」が存在しているのは解っていて、その人の「視点」に立てないわけではないのに、ついつい「自分」の「信念」を言ってしまうのか?
(<脱中心化>はできているけれど、<自己>が優先してしまう)

という、三つのことが考えられます。しかし、この課題には正解しても、下記のような場合だってありえます。これは、他のどんなテストについても言えることです。
日常生活の具体的な場面では、失敗してしまう。
日常生活の具体的な場面で、応用することが困難である。

上記のどの段階でも、「自閉症」あるいは、「自閉症スペクトル障害」に属していると言えます。それなら、「自閉症スペクトル障害」は単に成長し損ねた人達のことを指すのか、という疑問がわいてきます。

もし、「自閉症スペクトル障害」が、<脱中心化>の時期が遅れただけの、単なる発達の遅れであるのなら、いつかは追いついて"正常"になるはずです。それに、人間としての機能に異常が無くて<脱中心化>ができていないのは、単なる「わがまま」であり、エゴイストでしかありません。しかし、先ほどの段階で言えば「心の理論」があって、<脱中心化>していてもなお、「自閉症スペクトル障害」があるからには、しかるべき原因が何か他にあるはずです。

「自閉症スペクトル障害」者は、単なる「心の理論」や「脱中心性」の欠陥者ではない、と私は思っています。もっとも、「自閉症スペクトル障害」者が、「自分一人だけの世界に住んでいる」とか、「自分一人で住んでいるわけではないが、自分独自のやり方で住んでいる」なんていうことを客観的に測定しようとしたら、その行動で判断するしかないというのは解ります。しかし、その謎を解くカギは感覚レベルの障害に隠されているというドナさん、グランディンさんの見解に、私も共感しています。

何故、≪本人≫は、感覚のことを話したがるのでしょうか? 一般的に、感覚とは、自分以外のモノと自分との接点であり、外的な世界を知る手がかりとなる材料です。しかし、単に外界との係わり方の様式であるだけではありません。それはそのまま、自分にとっての内的な世界の様式でもあるのです。感覚器官としての機能は共通でも、受け止め方には文化的な影響が反映される事だってあります。日本人は虫の声から秋らしい情緒を感じるけれど、アメリカ人にとっては雑音でしかないというのが、いい例です。個人レベルでも、あるものには敏感な反応を示し、またあるものには鈍感だったりします。あるものは苦痛、またあるものは心地よさを与えてくれます。

しかし、「自閉症スペクトル障害」者には、ある程度の共通した感覚障害があるようです。そして、その内的な感覚世界に異常があるというのは、≪本人≫にとって、二十四時間つきあわなければならない大問題を、自分自身に抱えているということなのです。

でも、悲しいことに、聴覚障害者の多くが自分の聴力を疑っていないのに似て、≪本人≫には自覚しにくいのです。自分の感じている感覚世界が自分だけに固有のものだなんて、夢にも思っていないのです。しかも、「自閉症スペクトル障害」と一口に言っても一人一人みな違うし、感覚障害の重症度も違えば、現れ方も違います。もし、触覚や身体感覚の異常が大きければ、行動に現われる確率は高いでしょう。聴覚の異常は、言葉の発達に係わる可能性があります。しかし、中には、あまりにも微細すぎて、何のおもてだった症状にもならないものだってあるのではないでしょうか。

いくつかの原因が脳内にあって、それぞれの感覚の異常に反映しているのか、個々の感覚は正常なのにそれを統合する部分に障害があるのか、まだ判っていません。そして、感覚異常が原因で「自閉」が起きるのか、「自閉」が先にあるのか、はたまた、それと知的な障害とが一体となっているのか別のものなのか…、判らないことだらけなのです。

テンプル・グランディン著『自閉症の才能開発』第三章締めつけ機/自閉症の感覚
   http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/test.htm引用

自閉症は症例が多彩であり、健常者から重度自閉症者までの間にははっきりとした壁はなく、たまむし色のように境界が曖昧であるため、その多様性・連続性を表した概念図を自閉症スペクトラムや自閉症連続体などと呼ぶ。

サヴァン症候群(仏語で「賢人」の意)とは、知的障害を伴う自閉症のうち、ごく特定の分野限って、常人には及びもつかない能力を発揮する者を指す。サヴァン症候群の共通点として、知的障害と共に異常な記憶力・表現力を持つにことが挙げられる。かなり昔から知られてはいたが、その原因は未だ論議されており、正確には掴めていない。現在では脳の器質因にその原因を求める論が有力だが、自閉症者が持つ特異な認知をその原因に求める説もまた有力である。


★自閉症スペクトラムの心の謎を探って行こう。
この場合、ここで取り上げるのは、自閉症スペクトラム(英国流)(アメリカDMS-Ⅳでは自閉性障害、広汎性発達障害)として取り上げるほうが話しやすいので、多くを包括したものとして扱います。

自閉症深読みしなければ上手く行く、自閉っ子は急には止まれない、自閉っ子はこういう風にできています などニキ・リンコ氏の本はなかなか力が抜けていて分かりやすい。我々の社交辞令「今度食事でも!」「つまらないものですが!」などは、そのまま受け取ると嘘つきになります。そのため、実際は複雑な心を知る事が異邦人の心の謎を知り、理解し、支援しやすくすると考えます。

対人関係の困難、     コミュニケーションの困難、     想像性の欠如

言語障害がないものをアスペルガー症候群、言語障害があるものをカナー症候群と分類する場合もある。IQ70以上を高機能自閉症で、これにことばが初期から遅れないものをアスペルガー症候群というわけ方がある。しかし、三項関係の成り立ちの弱さ、上記の赤文字の三項目は総てに共通した特徴である。
:
自閉症の診断基準(自閉症状の「三つ組み」)
この3つは診断基準であるから、自閉症なら必ず有しているはずである。ただ、どのような形でどの程度有しているかはケースによってまちまちである。このことが、「同じ方向性の困難さを有しながらも、ケースによって千差万別の状態像である」というややこしい状況の元になっている。

ややこしさにさらに拍車をかけるのが、下の三つの診断基準を満たさないものの、似たような状態像にあるケースの存在である。養護学校では「自閉傾向」と呼ばれ、学問の世界では「広汎性発達障害」などと呼ばれている。そしてその中にさらにサブカテゴリがあったりする。サブカテゴリの中には「高機能自閉症」と「アスペルガー症候群」などというきわめて似通った状態像を指すカテゴリーがあったりする。

これらのどこに属するのかを考える時間を割くことは、我々教師にとって全く無意味である。とりあえず「自閉症スペクトラム」のどこかに位置する子どもで、自閉症の障害特性を下敷きに、実際の指導はその子に合わせて考える、というやり方の方が実践的である。

・ 対人関係の特異性
*他人への関わりが独特である又は関心が乏しい。
対人関係のあり方から、孤立群、受動群、積極奇異群、のグループに分けられる。

孤立群は、他人に対する関心そのものが乏しい群である。知的発達に重度の遅れがある場合はこのカテゴリーに属することが多い。加齢や知的発達の進行に伴って別の群に移行していく場合がある。

受動群は言われたことに従いやすいタイプである。問題行動が少ないが、青年期に際だった変化が訪れることがある。

積極奇異群は、援助者に対して自分の興味関心のあることを一方的にしゃべるのが特徴である。

このカテゴライズは、ウィング先生が提唱した。

*視線が合いにくく、他者と物事を共有するのが苦手。
視線の合いにくさははじめて自閉症児と対応する人が最初に気付く点ではなかろうか。それだけではなく、他人の気持ちや考えを察したりすることが困難である。

通常の幼児は「何かイイ物」を発見し、そのことを母親に報告しようとして次の瞬間に「母親の顔」を見る。これがいわゆる「三項関係」(私一項、あなた二項、三項は物、出来事、物語の中の人物)である。ここでは、その「イイ物」が子どもと母親の間に共有されている。両者が同じ物に注意を向け、お互いにそのこと(「イイ物」を見ている)を了解し合っている。これが次第に発達し、コミュニケーション意欲の喚起と非言語的なコミュニケーションスキルの習得、ひいては発語につながっていくことが知られている。ところが自閉症児はこの最初の一歩でつまずいてしまうのだ。「イイ物」の共有が困難なのである。

また、他者が物事をどうとらえ、どう感じているのかを理解しにくいことを示す有名な実験で「サリーアン実験」というものがある。一時期、この点から「心の理論」というものが提唱された。

・ コミュニケーションの障害
*特に音声言語によるコミュニケーションが弱い
これは理解・表出の両側面言えることで、自閉症児の教育において最も基本となる特性の一つである。ウィング先生は、この点に関して次のように整理されている。
1. 話し言葉を使うことが困難である。
2. ある事象を特異な言い回しで表現する。
3. 助詞の誤用が見られる。
4. 話し言葉を理解することが困難である。
5. 言語理解に遅れが見られなくても、字面通りの解釈をする。
6. 冗談や駄洒落は理解できない。
7. 独特なイントネーションをしたり、不必要に大きな声でしゃべったりする。
8. 非言語的コミュニケーションの使用と理解に問題がある。

最近は「しゃべれないなら気合いと根性でしゃべらせましょう」という指導はさすがに目にしなくなったが、「発声訓練」から行うような指導が絶滅したわけではないようだ。また、テレビやコンピューターゲームが自閉症を作るといったコメントをする教授が居たが、これもまた他の疾患と間違えたコメントである。まして、母親の育児態度がというコメントはさすがに見られなくなった。

重要なのは、まずは音声言語以外の方法でコミュニケーションすること(AAC)を教えていくことである。コミュニケーションしたいという気持ち(コミュニケーションマインド)が十二分に育ってからはじめて何らかの行動を起こすのである。

最もよくない指導法は、「先生の言う通りに言いなさい。ハイ、あめ!あめって言ってごらん、ほら、あめ!言わないとあめあげないよ!」といったパターンである。

常に、スキルよりもマインド先行を留意する。スキル先行で指導すると、最終的に自発的なコミュニケーションが得られにくくなる。大切なのは日本語をしゃべることではなく、コミュニケーションできることである。

コミュニケーションの成功体験が積み重なって、毎日楽に生きられるようになって、はじめて最も便利な「音声言語」を使いたいと思うのである。

このことを踏まえた上で、最初に教えるのは「要求(ちょうだい)」である。次に教えるのが「拒否(イヤ)」である。「マンマ」、「ブッブー」の一語文から、「ワンワン来た」の二語文に発展するには半年から一年半かかるが、三語~四語文になっていくには半年もあれば急に伸びていく。1歳前後に生まれたことばは、1歳半頃10語レベル、その後急に、爆発的に伸びる。自閉症は名詞獲得に比べ、動詞獲得に困難を示すものが多い。子どもは初期には、今・此処の世界に生きている。今・此処に見えない外の世界へ、過去、現在・未来へ広がっていき、明日???しようね!などの予定共同行動をも広がる。ピアジェーは「対象の永続性の認知」乳児はハンカチの下に隠されたオモチャを忘れず、ハンカチの下からそれを見受ける事が出来る。子どもの頭には いま・ここ に無いものの映像があるのだが、それを他の人に表す方法を持っていない。ハンカチをめくるとそばにいる人にそれを見せられる、が隣の部屋の人には見せられない。そこに ことば が必要となる。 

*エコラリアがしばしばみられる。エコラリアは「わかりません」と言っているのと等価である。

・ こだわりと想像力の障害
*我々が「固さ」という印象を持つ部分である。
ウィング先生は、こだわりと想像力の障害は表裏一体のものであると指摘している。

*特定の物または物の一部に対する強い興味、執着
興味の対象として代表的なのが鉄道である。
全般的なプロフィールの中で特異な興味関心の対象となっている部分は極端に図抜けているので、周囲から見ると非常に目立つ部分である。

その他の代表的な興味関心の対象となるのは、商標、ロゴ、標識、マーク類、数字、テレビCM、特定の商品のコレクションなどが上げられる。

また、特定のビデオやCDの特定の部分を繰り返し再生することもしばしば見られる。
文字とことばは、圧倒的に記録として残る文字の方が得意で、音として発したことばは消えてしまう。物である機会などは好きなときに、好きな所で操作が一義的である事が、コンピューターゲームなど熱中する。人は出会いのたびに異なる表情、態度、ことば音を発する。捉えどころが無い物に対応する能力を持ち合わせていない。VOCCA(voice output communication aids)の機会の仲間たち、表面に絵や記号が描かれた、複数のパネルが付いたもので、支持者はパネルに対応したメッセージを録音する事が出来る。周りに人にどのように働きかければ、どのような結果が得られるか、分からなくなっている子に対して有効。例えば、カップのパネルに「お茶を下さい」のメッセージを入れておけば、お茶がもらえる。

*常同・反復的な行動
周囲から見ると無目的に見える行動を反復的に繰り返すことがある。物、パターンの同一性の保持、執着も一つの現れである。

代表的なのは身体を前後に揺するロッキング、ピョンピョンと飛び跳ねる、手を叩く、などがある。
貧乏揺すりも常同行道の一つであると考えると、この行動は理解しやすい。
 ・ 軽いストレス状態にあることが予測されること。
 ・ 周囲に迷惑が及ばないかぎり禁止の対象とはならないこと。
 ・ 意欲的になれる課題設定が必要であること。

*変化・変更への抵抗
物の位置、道順、手順などが自分の理解・記憶とずれることに対して強い抵抗感を感じる。
学校の授業においても同様で、新規の内容を取り扱う際は相応の配慮が必要である。
 しかし、変化に対して抵抗があるからといっていつまでも同じことを繰り返していればいいというわけではない。自閉症児もマンネリ化には飽きる。常時小規模な変化を取り入れていく必要がある。もちろん、変化がある旨を理解できる方法で説明することを怠ってはならない。
   http://homepage2.nifty.com/tomy_s/body002.html 引用

目に付く特徴
他人と自分とが同じような考えと思ってしまう。周囲の人の心が読めない。他人の気持ちに共感できない。他人からの視線を感じられない。そのため、相手がどういう行動を取るのか、何を言うのかが分からない。そのために不安になる。
感覚過敏な場合、物事に生真面目に取り込み過ぎる結果、かえって疎まれ、自衛的に背を向けてしまう。一般社会の中でよく理解できない周囲のノイズの環境下で感覚を研ぎ澄まして、ちょっとした音のも反応してしまう。耳をふさいでしまう。
人の心が読めないと、人は目の前をとおり過ぎる陽炎のような物で、何処にも誰もいないという嘆きを感じ、孤独で寂しいと感じます。そのため人間社会に溶け込むために、他人の真似をして、分かりにくい世界を普通のように振舞って渡ろうと努力します。我々が異文化の中に入って言った場合と同じく、真似をして現地の人と同じように振舞おうとしますが、同化できるものではありません。
地球生まれの異性人として居直り生きていく事が楽な生き方ではないか。
高機能の人達には、幼少期、他人は自分と同じ人間だと分からず、存在の意味が分からなかった。何故なら、心の無いに等しい人々は自分と同じ人間はないとしか思えなかった。その後、周囲の人の心・考えていることが少しずつ分かってきた。
知的障害を持つ場合:人が上手く把握できないので、相手の顔の表情、言葉というわけのわからない記号・音声が押し寄せ、自分で情報を把握しきれず、怖いと思い目を合わす事を嫌がるし、目を合わす意味が分からないこともある。抱き上げられても感情を伴わないのは、心が読めない場合、抱き上げてくれる人は自分に意味のある人であり、自分に快適な感覚を生み出し人というように捕らえる事が出来ない。人への思い・愛着が育っていないからである。対人関係が上手くないと言うことになる。ひいてはコミュニケーション困難に落ちる。他人の存在の意味が分からない。どうも自分以外に人が居るようだと気付くが、ことばがコミュニケーションの法方とは分からない。他人を使って自分のやりたい事をしてもらうと都合が良いと早くから気付くようである。ことばが人と人の交流に使えることには結びつかない。ことばは理解できない暗号のようである。

★共感を得る話し方の一方法は相手の行った事に共感し鸚鵡返しに言う事がすすめられていたときがあります。語学練習の一つも英語のフレーズを鸚鵡返しに繰り返す事があります。鸚鵡返しは自閉症児にとって、言ったことを鸚鵡返しにすると、確認のために、安心のために、周囲が反応してくれるために、鸚鵡返しをすることになるのでしょう。

★ことばの事は気付いて行きますが、対人関係、ことばのコミュニケーションの役割に気付かないため、理解できない周囲の不安、世の中を把握できない焦燥感で追い詰められ周囲との関係を持とうとしなくなる。自己中に陥ります。

相手の心を読み取る事が出来なく、自分の心が唯一絶対と思ってしまう。自分の理解できる空間や精神世界の中で生きていく。理解できる事のみの世界で、狭い世界の中で自分を防御するために「こだわりの世界」に遊ぶ。馴れた玩具、遊び方、お店の道は馴れた一つの道で他の道を経由する事は恐怖である。本能的に危険を避ける事は動物の本能である。冒険者達は、あえて危険をかえりみずに未知の世界に足を踏み入れる。しかし、自閉症スペクトラムの場合は安心できる居心地の良いファンタジーの世界に遊ぶ

この世界が破綻すると、混乱に陥るか、固まってしまうか、攻撃手になるかが彼らの行動パターンである。

★診断名についての問題点ICD-10,DMS-Ⅳ
アスペルガーの場合、初語の発現時期や適応スキルの発達に遅れが無いことから、他の自閉症障害と区別されます。しかい、青年期までにアスペルガーと診断した中に、言語開始が遅かったなどの発達の遅れがあること。

ICD-10の典型的な自閉症とするには不十分な場合、3歳以降に兆候がでる、ないしは両方である場合、非定型性自閉症とするとある。DMS-Ⅳの場合は、その他の広汎性発達障害と分類される。このような診断は親にとり役立たない。それは典型的な自閉症の子と同じニーズを抱えるからである。

ICD-10,DMS-Ⅳには「小児期崩壊性障害」の診断名がある。生後2年まで発達が正常で、その後少なくとも2つの領域でスキルを喪失する。この場合、少ないが自閉症障害を持つ子の中で、生後1年頃にはことばが出ていたのに、その後話さなくなる児がいます。折れ線型自閉症(第7染色体と第21染色体に発達退行を有する自閉症に関連した遺伝子があるという)この中には社会的に引きこもる、おもちゃに興味を失い、その後ことばを取り戻す如何にかかわらず同じ程度に障害を持つ自閉症となんら変わらない。また、崩壊ということばの持つイメージが徐々に機能が喪失していくような感じを与える。自閉症スペクトルの中に属する多くの疾患ははっきり区別することは難しく、かなりオーバーラップする部分がある。このようなことに時間を費やすことは、あまり意味あることと思えない。自閉症スペクトルに属す否かと、能力パターンを見極め、支援していくことが大切と考える。

折れ線型自閉症
1970年代、途中まで順調に育ってきていた成長が、あるとき、急に折れ線の下降線に乗っているようにことばが消え、母子交流が崩壊する事が、自閉症の30%ぐらいある事が注目された。しかし、良く観察してみるとカナータイプの自閉症児の多くは、多かれ少なかれ折れ線型を示す事が分かった。

1歳台の危機:この頃は歩き始め、初語が出る。この様な早くから発達している自閉症児は折れ線型を示しやすい。しかし、歩き始め、初語が遅れる子は母子関係は保たれている期間が長かった。分離が緩やかに現れてくる。

三項関係は、物をやりとりしたり見せたりすることで形成される。この関係が発達していくと、2人が分かち合う対象は、手に取れるものだけでなく、遠くの対象にまで及んでいく。そのとき用いられるのは指差しである。だから指差しの出現は、二人の共感的な世界の広がりと深まりを示している。



★高機能自閉症、アスペルガー症候群
知的に問題がある子との違いは、コミュニケーションの取れるかどうかが大きな違いである。そのため、三歳児健診では話が出来るので、見過されやすいのが大きな問題である。少し変った子は健診には引っ掛からないので、親が申し出ないと分からずに大きくなり、問題が解決しないままに悩み続ける事になり、学校では大きな問題となるので、注意が必要である。

特にアスペルガーの子は話し始めが高機能の子と違い普通なので、ヒトが使うことばが意味のあることだと気付いている。しかし、これも個人差が大きく知的レベルだけで話が出来るとは限らない。しかし、ことばはこの子達は以下のように捉えている。
ⅰ: ことばの裏の意味を捕らえる事が苦手である。
ⅱ: 日常語、敬語を場面によって使いこなせない。
ⅲ: 書き言葉を話し言葉との区別が出来ない。
ⅳ: 他人の立場に立てないために、1人称、2人称の区別、能動、受動の取り間違えがおこる。
ⅴ: 双方向の自由な会話が出来ないので、一方的な話になる。

心が未成立の状況では他人に心があるとは思えない。ヒトを上手く認識できない。ヒトがいるが、自分にとって意味が分からない、そのために極端な場合にはヒトは風景の一部としてしか認識できなく、両親は色々と世話を焼き、情報を提供してくれる機能を持った物として認識している。そのために他人の目線を感じない。だから発表会などの舞台に上がってもあがる事はない。目線や意識が自分に向けられているとは感じないからである。多くの情報が一度に押し寄せると誰でもこの様な経験をすると思うのは、田舎から大都会の人込みのスクランブル交差点で行きかう人々を全く気にならなく行きかうヒトは過ぎ去るマネキンのように感じる事がある。情報を処理できない。

幼児期の意味不明の存在者は恐怖の何物でもない。
ⅰ孤立型 ⅱ受動型 ⅲ積極奇異型 ⅳ尊大型 ⅴ適応型

要求や質問が出きりには如何したらよいのか
決められたプログラムの中で生活している自閉症児は、人に要求したり、質問したりする必要が無い。しかし、行き先などで、意見が対立した場合、自閉症児のことばが伸びる為に、二つの方向を調節するために、要求、質問という行為が必要となる。

この場合、大人がそれを完全に無視して「今はこれ」「次はこれ」と予定通りのスケジュールを押し付けたらどうなるだろう。子は要求する事を止めてしまうか、パニックになるだろう。

積極奇異型の場合、大抵は1人でほって置いて欲しかったが、たまに大人の膝に座る事があった。知らないヒトの、空っぽの顔をしたヒトの膝に座るのはソファーに座るのと同じだった。

★自閉症スペクトラムの乳児は両親を何となく養育者として理解するが、両親、母を分かち難い存在としての思いは育ってこない。
「お父さんは自分に取ってはどんな人ですか?お金を稼ぐヒト。」「お母さんは?ご飯を作ってくれるヒト。」「お父さんが入院したらどうしますか?別に!」「お母さんが病気したら?別に!」紋切り型の応答とヒトへの認識、ヒトへの思いの育ち、感覚の平板化、感情に対する語彙の貧弱さがこの様な事態を引き起こす。

この事は我々の世界では考えられない、親への感情を示している。両親というものがどういうものかを理解できなかった。・・・・

では母という存在を認識し始めるのは大体いつ頃が多いのであろうか・
幼稚園後半から小学低学年という事である。
あるとき、生まれて初めて知覚した母その母と会話した。自分の名前を呼ばれている事は分かっていたが、それまでは呼ばれても振り向く事を知らない自分であった。

知らないヒトへの思いは幼児期には育たない、近親者は心を読めるようになるために、接近して付き合っているヒト達で、それ以外のヒト達の心を読もうとしては付き合っていませんので、心が通じあう事は無い。

いきなりこのような状況下において集団の中に何でもいいから入れてしまうという事は、パニック発作を誘発させるようなものです。そこで言われる多くの場合は「社会性が育っていない」「母子分離が出来ていない」「甘やかされて育っている」「ソーシャルスキルが育っていない」等々の不当な評価が下されます。

★幼稚園、保育園では、集団で、それは恐怖、不安の対象の何物でもなく、多くの子ども達の顔、声、動き、表情などは情報を処理できなくて、小集団や1人きりの小屋の中に身を置く事で、安定を取ろうとする、孤独な対応が必要となることを理解すべきである。

それを無理やり集団にとけ込まそうとすることにより不安と恐怖でくたくたになり、疲れてしまう。自分がつぶれてしまいそうになることへの防衛作である。決して孤独を好んでいるわけではない。ヒト達の中でどのようにすればよいのかが分からずに戸惑いがあるからで、徐々に打ち解ける環境作りは、支援に必要な配慮である。

★我々は「群れを成す動物である」利害関係、同郷、同じ職種、同じ学校の卒業、縦社会等などで他の群れや、派閥争い、思い道理にならないグループ、一匹狼的な存在、擦り寄らないヒト達に対して批判、悪口等の排他的な攻撃を仕掛けるのは、ヒトは他の縄張り争いやボスを決める動物達と同じ種類の発達を遂げた地球上の動物である定めである。

しかし、自閉症スペクトラムの子ども達は、どのグループにも属さない人達です。多少の学習が進むと、語彙が増え、情報処理が出来るようになると、他人の感情を読み取る事が出来るようになってくる。しかし、人間関係をとるという困難な課題には相互理解とことばのやり取りと、ヒトとヒトとの距離を取る事が人間という事である。この距離感が難しい。自閉症スペクトラムの人達は派閥を作らないし、悪口も言わない。しかし、孤独を愛するわけではない。愛して欲しかった。そのためにはお返しや、愛してもらうために相手の心に訴えかける何かが思い浮かばなかった。可愛くないのである。しかし、心の中では愛して欲しく、そのジレンマに悩んでいたという、心の中を知ればいとおしい。

イジメは、自閉症スペクトラムの子達はイジメられる事が自分の役目と思っている、自分の人生はこんなものだよと諦めのようなものだった。保育園、幼稚園からのお友達は、自閉症スペクトラムの子の特徴をよく感覚的に大人より理解しているような節がある。ダウン症児のことばは舌が大きく、口蓋のアーチが高く、舌の動きも稚拙であるので、構音がはっきりしない。しかし、大人が綺麗な構音を聞いて育っていると理解できないことばも、小さい時から聴きなれていると、子どもたちは理解できる。外国語の習得に似ている。

だから
自閉症スペクトラムの子も、理解してくれる子がいると「あ~またやっている」という程度に思ってくれるか、幼馴染で良く知っている子は自閉症スペクトラムの子との付き合い方を大人より良く知っている子がいる。まるで外国語を幼い時から習っているように身につけている。異質なものを排除するという大人社会の縮図のような子ども達の群れがいると、イジメの対象になる。グループは誰かを排除しないと成り立たないような習性があるのは、ご自身の社会の周りを見渡せばご理解できると思う。

自閉症スペクトラムのヒトは対人恐怖ではなく、ヒトの心が読めないために相手がどのような行動やことばを発するかが分からずに、不安定さに、不確実さに対する怖さである。だから、人目が怖いとは異なるために、いわゆる対人恐怖症の治療は効果がない。

しかし、環境に過剰適応をしようとして、律儀に自分のルールで一生懸命行った結果、上手く行かないと、自己評価の低下が、自らを追い詰めて気分障害に陥る事は十分に考えられる。

集団活動で味わう居心地の悪さと、感情を分かち合えない、楽しめない辛い自分に気付く。社会感覚が育たないので、社会の暗黙の了解である事柄で、特に目上の人には敬語や敬う態度をとれない。先輩、学校の先生、医者などにはなれなれし態度で接する。民主的な人達です。

これではいけないと思うと、行動の手本として「真似を」する事で失敗をなくそうとする。又は、何とかごまかしてその場を凌ごうとする。しかし、真似は本当のルールを知って使えたのではないので、他に応用がきかない。状況下で覚えた「真似」は他の状況下では使えない事が分からない。

恥ずかしいという感情は、他者の目を意識して初めてなりたつもので、一般に自閉症スペクトラムの子達は学芸会など平気である。恥ずかしさを感じるようになる事は他者の目線に気付き始めた証拠である。

自閉症スペクトラムの子達は音に非常に敏感である。私が関った子達の聴力はみな正常で難聴児はいませんでした。自閉症児の難聴の合併は少ないように感じます。しかし、ドナ、グニラなどの記述には、音声は雑音のように聞こえ、囁き声は聞こえるが、普通の音量は聞こえにくかったと述べている。

私は、構音障害の2人の子達において、聴力正常にもかかわらず、ことばの聞こえ方の検査で閾値音デシベルより40デシベル大きく聞かせると、間違いが多く、閾値近くのデシベルが最良語音明瞭度となることを経験した。両者とも自記オージオでは補充現象はありませんでした。間違える語音の音もある一定の音に集中している傾向があった。これは、普通は自分の聴力閾値より40dB大きな音が最も聞き取りやすいという法則に違反している。この様な閾値近くの小さな音の音声の方が回答率が良い事は理解しがたいことである。

私は自閉症の耳を塞ぐ行為は、内耳蝸牛の有毛細胞の過敏による、レクルートメント現象=補充現象であるのではと考えていた。それは彼らがストレスにさらされていて、耳を塞ぎたくなる、痛みを伴う音が耳に響いてくるからではと考えたからである。

補聴器をつけると分かるのですが、補聴器はすべての音を増幅します。我々は聞きたい音を取捨選択して、聞いています。大勢の人たちの中から、1人のヒトの音声を聞き取ることもこの様なメカニズムが働いていると思われます。しかし、不安な夜に1人いると、水道の蛇口から漏れる水滴の「ぽちゃん」という音が耳について眠れないとか、そばにある冷蔵庫のモター音が「ウンー」とうなると眠れないとか過敏になっているとそのような事が起こります。また反対に、職場において聞き取れない事が心配で受診するヒトもいます。聴力検査は正常で、ことばの聞き取りでも正常です。この様な場合には、「きけども聞けず、みれども見えず」の如く、音声は耳に達しているが、意識がシャットアウトして、反対の耳から抜けて行き、頭に残らない場合、聞き取れないとなるように思う。能力はあるのだが、意識が集中していないと聞き漏らしてしまうのである。

ストレスがそのようにボンヤリさせるのであろうか。この聴覚過敏と聴覚鈍麻のメカニズムは自閉症スペクトラムの子達はこの程度がひどいのではないかと思われる。隣の犬の吠える声は嫌だが、公園での犬の吠える声は何とも無いとか、黒板に爪を立ててギギーと引っかく音は誰でも身震いを起こすほどに嫌な音である。運動会のピストル音はかなり刺激的である。神戸の下山手小学校(今は無くなった)の運動会は運動会では、ピストルの音をさせないようにしている。これは近くに組事務所が多くあり、抗争勃発と勘違いされる事を防ぐためである。組員はピリピリしているので、ピストル音は厳禁であるという、神戸ならではの特徴である。

自閉症スペクトラムの子達はこの音情報の処理に聴覚過敏と聴覚鈍麻の使い分けが上手く行かなくて、大切な情報を聞き逃してしまう。そのため、ヒトから物事をことばで教わる事が苦手である。会話の中で、キーワードを拾いながら大体の意味を掴むという、私の英語のスピーチ聞き取り能力と同じで、細かいところの意味は掴み取れない。

しかし、彼らは更に、心を読み取る事のハンディーを持っているため更に困難さを感じるであろう。
これを助けてくれるのは、視覚に訴えるTEACCHの理屈を取り入れ、文字に頼る方法が情報を正確に伝える事になるでしょう。(難聴児も視覚的な情報は有効な手段である)

しかし、ここで問題があるのは、書かれた文字の裏に有る比喩、慣用句、ことわざの理解が出来ないことでさる。

お客様カードに「ホテルに対するお客様の声をお聞かせ下さい」と書いてあると、それに「ワー」と声を出して答える。ストレートに受け取るとこの様な事になることを我々は気がつかないが結果を見るとなるほどという感じを持つ。「自分を磨く」と言うと自分の腕を磨きだすこともおこります。これも、慣用句、ことわざなどを使う練習で習得できる。

☆書き言葉と話し言葉の違いは、書き言葉は主語、述語がはっきりとしていて自閉症スペクトラムの子達にはわかりやすい。しかし、話し言葉は主語、述語を省くか不明瞭である。しかし、我々はそれを推論して理解する。また代名詞もそうである。文法英語習ってきた我々は、英会話の省略した言い回しに、気が抜ける思いがする。主語と述語は無いではないか?としかし、アメリカでの日常生活で、そのような教科書に載っているような文章で会話していないと気付くとこんな教育で会話が出来るのかと思う。あまりに細かな末節のことにこだわり、意志の疎通と言う体でぶつかる実体験をしていないと、いつまでも会話が出来ない。自閉症スペクトラムの特徴は我々の英語教育の不備を実感させられる。我々はボディランゲージを使って一体一でとことん話し合う事が、書いたことば足らずの内容や、相手の疑問に対するこちらの説明不備が分かり、尚一層理解が進むのが一般です。しかし、自閉症スペクトラムの場合は文字、メールの方が理解しやすい。図を使うともっと良い。視覚優位のコミュニケーションと理解につとめる事が有効である。

ことばで説明を聞いても、頭の中で絵・画像にならなければ何処かにとんでいってしまう。あるいは、単にことばとして意識に残り「構造のおもしろさ」「語感」を味わうだけで終わってしまう。

★成長過程で、私は理解の方法で、抽象的考えを絵に転化することを学んだ。「平和」「正直」の概念を、抽象的な形に結びつけて視覚化するのである。

ことばは第二外国語のようなもので、話し言葉や文字を音声付のカラー映像に翻訳してビデオを見る様に、内容を頭の中で追っていく。誰かに話しかけられると、ことばは即座に絵に変化する。

自閉症スペクトラム者は普通に見せかける事は出来るかもしれないが、大変な努力と忍耐がいる。

この様な場合、一般の人達はわからないので、それ相応の対応をしてくれない。
見た目が全く普通である事は、難聴児にも言えることであるが、相手に、自分の特徴をアピールしておく必要がある。でも、多くの場合、その対応が上手く出来ないのが大多数である。難聴である事は分かるが、聞こえないためにどのような事が起きるのか、情報が耳から入らないとどうなるのかが、自分の経験からは推し量れない。結局、自分勝手で、頑固で、わがままでといった理解しかできない。障害のための二次的な問題には思いも付かなく、対応に苦慮して離れていってしまう。

まして、目には全く見えない自閉症スペクトラムの子達にとって、その特徴と対応についてのあらかじめ他者に、情報提供していても上手く行かない事が多いのに、何も言わないで普通に振舞い、他者に対応させる事は、未開の地の原住民が突然に何の配慮もされずに、普通の日本人として、東京の街中にほうり出すに等しい。日本語を知らない、外国人に突然、日本人の中の会議に呼び出されて対話を強要されることにもつながりかねない。

はじめての場所での、はじめての人に接するとき、あらかじめ、予備知識・情報を与えておく事の重要性は、母親の最も大切な注意事項と自閉症スペクトラムの子の場合は必要であると思われます。

特に、診療の場合は今やプレタポルテで無く、オートクチュールの時代である。オートクチュールの細かな点を先に示す事が特に、診療をスムーズに進めることにおいては重要なことです。まして、保育園、幼稚園の中での保母さんにも十分な情報提供が欠かせません。

医療は流れ作業のような時代は終わりました、教育も金太郎飴の時代は終わりました。医療も教育も一人一人がゆとりを持って見られるような、時代と経済状況が必要です。

突如、パニックになってからでは遅いのです。
この点は十分留意してください。

ニキ・リンコさんの最初の指摘のような、社交辞令や暗黙の了解は自閉症スペクトラムの人達には最も苦手な分野です。暗黙の了解は学習で学んでいく事が大切です。

世の中の人々の間には、語らう事が無くてもお互いに通じ合う事があるらしい。しかし、私にはそれが感じられない。まるで、周囲と透明な壁で隔てられている感じだ。
場の雰囲気を読む事が苦手であるのです。

学校のいたずらで、戸を開けたら黒板消しが落ちてきた。それは自分が悪いと思い、元の場所に返した。しかし、後で先生に怒られた。何故怒られたかが分からなかった。友達はこの様な子はイジメの対象にしやすい。ちょっかいを出されると、感覚が普通の子より過敏なのでちょっとしたことにも過剰に反応してしまい、被害妄想的になりやすい。

この様な場合の担任の先生は、すばやく介入してことを収拾する様な配慮が望まれる。

★表現の二極化:白黒の表現が多く、中間や微妙な言い回しの形容詞が上手く使えない。

☆自閉症スペクトラムのヒトは、他人は自分と同じ考えで、異なる考えを持っていると気付かない、気付きにくい。自分と他者との関係があやふやになり、相手の言った事が自分が言った事、思ったこと、行動も同じ思いのように混同してしまい、真似をしてしまう。これがオウム返しとなる。意識的、無意識的に他人との融合してしまい、相手と自分の考えは同じと思ってしまう。

★自分の部屋が、帰ってみると掃除され、あるいは整理整頓されていたりすると、自分の収納と異なるところに愛用のものがあって戸惑う事があります。しかし、自閉症スペクトラムの場合、それは自分の世界、精神世界が破壊されて様に感じるほどの出来事である。

狭い世界で生きようとする:他者の世界が読めなく不安感で一杯のとき、我々はお互いの不安を癒すために、同じ境遇の人と群れをなす。しかし、自閉症スペクトラムの場合は群れない。自分のわかる範囲の中でしか動こうとしない。重度の自閉症の孤独型の姿を思い浮かべると理解できる光景です。手をひらひらさせる、自分の体で遊んでしまう、玩具は使わない、自分の理解できる範囲での感覚遊びに没頭してしまう。何かを並べる、くるくる回すと言ったパターン的な繰り返し遊びになる。それが進展すると、ファンタジーの世界に遊ぶようになる。心に安定を求めて。
変化を嫌い、こだわりの世界を作ろうとする:世の中を警戒しながら暮らしていると、我々は第六感という便利な予知能力が自然と備わってくる。そろそろ、こうなる予感がするといった風に。しかし、自閉症スペクトラムは感覚器を駆使して周囲に働きかけて知ろうとする。生活スタイルは変えるといけないので、お買い物も、見た景色、見た道、細かな取りきめが「ハイパー律儀」に行われていかなければ安心できません。置いてあるものの位置が変わることは、安定している一定の法則の中で安心している世界を破壊する行為が誰かが行ったので、ハイパー律儀な自閉症スペクトラムの子は直ちに元の安定した世界の位置に戻さないと心の安定が脅かせられます。
変化していくのがこの世界の常識で、常識の破壊が新たな世界の創造性を作り出す源で、この力が芸術等の息吹を作り出していった。しかし、この変化が、恒常性の維持を安定感と捉える自閉症スペクトラムの人たちには不安を通り越しして、恐怖と感じるようである。このこだわりは3歳ごろの出てくるようである。この後増えるか減るかはその子の特質で決まるようです。高機能自閉症の子は小学校に入ってから、友達同士の軋轢の中で、嫌いな友達や情報量が多すぎて処理できなく、自分の理解できる範囲にこだわってしまう。
高機能自閉症児には、こだわりが減った状態に見えることがある。環境に適応しているかの如くです。この状態はえてして、疲労困憊していることがあることを知る必要がなります。過剰適応して疲労しているとあたかも適応しているかに見えます。しかし、この場合、パニック寸前、固まった状態と言えるかもしれません。
このような高機能も子を見たときには、余裕で座っているのか、自滅寸前なのかを見極める必要があります
3~4歳頃、常に体を動かし、このリズムこそが、私が生きていることが実感できる。この動きを止めたら自分が存在しなくなってしまうと思った。繰り返しの動きは喜びを与えてくれ、自分が生きている実感が味わえた。これを中断させられると、たまらなくいらだち、腹が立った。感覚的な刺激は精神の安定をもたらす。寄せては返す海の波しぶきは十分に心地よく、海は変わらずそこにあり頼もしかった。誰にも煩わせられることも無く、落ち着いて過ごせる場所と時間があれば、変化に不安になったりしなくて、気持ちよく、この感覚をいつまでも続くことをながった。自閉症者と上手くやっていくコツは、「自分の身の回りに起ることはしっかり分かっているのだという感覚を必要としている」このため、他人の心を読めない中で他人も同じことを考えているに違いないと思い込み、物事を自分の思い通りに動かそうとする。そのため、身の回りに居るヒトは、自分が操られていると、利用されていると考える。この自己中心的な行動と考えは、多数派に人々が考える動機によっているのではなく、心が読めない、皆が同じ考え、行動、遊びを望みという思い込みがそのようにさせるのであって、お山の大将的に押し付けて権力を振るう動機から出てきているのではないのである。
自分の夢・空想の世界に入り込む:不安な状況の逃避として、自分の避難場所としての空想の世界に遊ぶ。
自分にとって分かりやすい、この世の法則を見つけようとする:整理され分類され定義されているカタログ、電話帳、英語のスペルなどから世の中というものを理解しようとする。
ニキ・リンコさんはこだわりと集中力で英語を29才の時に物にしました。

①「心の理論」
「心の理論」とは、アメリカの動物心理学者、プリマックとウッドラフがチンパンジーを使った研究で、霊長類動物が他の仲間の心を「推測」して,意図的に「誤った知識の伝達」を行い、「あざむき」行動をとるという事実に注目し、このような行動を「心の理論」という考え方で解釈し提唱したのである。彼らは、他者の行動に「心」を帰属させ、他者の目的・意図・知識・信念・思考・疑念・ふり・好みなどの内容が理解できるのであれば、その動物または人間は「心の理論」を持つ、と定義した。

②ミラー・ニューロン・システムと「心」の発達的段階
それでは、ヒトが他者の立場に立ってものごとを考えたり、理解したりすることができるようになるのはいつからなのだろうか?
Wolfは,ミラー・ニューロン・システムとスターン(Stern)の乳幼児発達論とを照らし合わせることで、このニューロンがヒトの心の発達に与える影響を説明している。
・生後2ヶ月における乳幼児 ― 脳の全域に渡り様々な感覚刺激に反応するニューロンが分布し、それは「いろいろな知覚の間のリンクの形成」に関わり、スターンはそれを乳児の「自我の芽生え」の中心だと考えた。この過程での感覚刺激に反応するニューロンの役割は、生涯の初期に始まる動機づけや選好性の問題と結びつくであろうと述べる。
・2ヶ月から6ヶ月 ― おそらくこの時期には運動前皮質のミラー・ニューロンが発達に強い影響を及ぼし、感覚-知覚系の組織化が進むにつれて、乳児にとって大切な人の顔に対する興味が増し、更に運動コントロール能力が発達して、顔の微妙なジェスチャーに対する特異的な反応様式を身に付け、社会的な能力が増大する。いろいろな感覚刺激に反応するニューロンが母子の相互関係を通じて刺激され、どんな感覚がどんな感情を呼び起こすかについて、生まれつきの価値判断・機構とが、「感情的調和」の経験や調和能力に結びついていく。
・7ヶ月から9ヶ月 ― ミラー・ニューロンの関与する神経生理的メカニズムが促進し、このシステムによってジェスチャー、姿勢、顔の表情の理解とそれに対する反応が瞬間的にできるようになり、スターンが述べた、他者を主観的な存在として認知する「主観的自我」の能力が発達する。これは、プリマックの「心の理論」と同じ能力でもある。何故なら、ミラー・ニューロンを通じて「観察者」は「動作者(他者)の意図」を察知することができるからである。非言語的コミュニケーションは更に発達し「注意の統合」が始まる。リゾラッティとアービッブ(1998)20)によれば、この時に「観察者はミラー・ニューロン・システムをコントロールして(自発的な)シグナルを作り、これが起こると「言語の母体」である、観察者と動作者の間の原始的な会話が始まる」という。この時期の乳児は指差しなどの、感情を伝えるシンボリックな前言語的コミュニケーションの手段としてのジェスチャーを、意図的に用いることの前触れである「ジェスチャーのシンボル化」が起こる。ミラー・ニューロン・システムを通じて、内的な感情状態とジェスチャーが自動的に合致してコミュニケートされている。これは乳幼児の共感的理解の発達に寄与している。

③乳児における共感能力の二つの定義
ここで、乳児期における主観的な自我と間主観的な他者認知(共感)の発達時期について、スターンとコフートによる二つの意見があることを述べておく。スターンは共感について、「感情的調律」という過程をあげて説明している。これは「他者と共有している感情の質を表現する行動であり、自己の内的状態の正確な行動的表現ではない」という。「調律は主観的な状態の投射が自己と他者との間で反響しあったもの」で、このプロセスはシンボル形成に至る本質的なステップであり、「感情的調律」は、「感情的調和」を増強する注意の統合とジェスチャーのシンボル化に付け加えられるものである。調律は「無意識的」且つ「自動的」なものであるが、「共感は言語を介した認知過程を必要とする」と語る。スターンは,他者との感情的調和を共通の幹として,ここから感情的調律と共感という二つの枝が出て来ると考えた。これに対してコフートは、「共感は言語的で意識的レベルで到達し得るものでもあるが、また一方では非言語的で無意識のものでもある」と考えた。Wolfは,乳児における共感能力の発達については、コフートの意見の方が現在の神経生理学的知見では一致していると述べている。

共感と感情的調和の区別をつけるのは難しいが、感情的調和から潜在的な学習過程が生じ、他者の感情が持つ意味を自動的に理解できるようになる。いずれにしてもその生物学的基盤にはミラー・ニューロン・システムがある。

④ミラー・ニューロンから見た臨床的可能性
Wolfは,自閉症児へのミラー・ニューロンの操作による治療的可能性について語っている。自閉症とは、社会的理解と言語の障害であり,固執的行動と感覚過敏を伴うことがよく知られている。このような社会的理解の障害の中核は共感の欠如であるとされ、多くの場合、言語の実際的な使用の障害と不可分であるとされている。これまで自閉症の生物学的機構については、小脳、海馬、扁桃体の関与が注目されてきた。

PETによると,自閉症患者の右半球では、表情認知や衝動的行動、母子関係や感情の表出と認知に関係があり、運動前野と線維連絡がある帯状回前方の領域(Hollander等1998)の縮小が見られた。 とくに自閉症患者の運動協調能力と運動コントロール能力の障害については、小脳の関与が考えられている。これらは、ニューラルネットワークの障害か、もしくはミラー・ニューロンそれ自体の問題かによって、ミラー・ニューロン・システムが直接または間接的に自閉症と関連していると思われる。ミラー・ニューロンの障害により、顔面のジェスチャーの知覚過程に問題があると、表情から感情を読み取ることができなくなり、故に様々な社会的困難が生じると考えられる。このような障害の結果、注意の統合や、社会的参照が重篤な遅滞を受け、言語的なコミュニケーションの能力も遅れる。また、言語能力そのものが発達しても、ミラー・ニューロン・システムの不備により、言葉をシンボル化したり、シンボルを適切に使用する能力が障害を受けることになる。そして、運動の協調障害は、リゾラッティとアービッブ(1998)が運動前野と運動皮質の間で起こると述べた「運動の前置き」の欠損にも結びつく。運動前野とミラー・ニューロンの存在が動作や口唇のジェスチャーの意味、最終的には言語の根底に存在していると考えると、自閉症で障害されている脳領域として、運動前野がこれからの研究の候補となるだろう。

そこで,この仮説からミラー・ニューロンの臨床的な意義として考えられることは、ミラー・ニューロンの可塑性を利用し、統合的な注意が確立する前の発達初期の段階で、ジェスチャーと動作の意味を結びつけるようなジェスチャーレベルでの治療的介入をし、社会的相互交流の練習を続けることによって,ミラー・ニューロン・システムの発達が促され、本疾患の改善に結びつく可能性があるだろう

またWolfは、自閉症への治療介入のみならず、共感的理解をツールとして使う臨床家についても、ミラー・ニューロン・システムの存在意義について考察している。

共感をコフートの考えたように「迅速かつ意識外のこと」であり、意識的な認知の繋がりが必要ないと考えるなら、共感的な理解をツールとして使う精神分析家にとっては治療の困難が低減される。対人関係の中で意識的に共感的になろうとする必要もなく、患者と治療者の間に同一の特定の経験が存在している必要もない。共感は流動的で常に存在している過程なのである。

結論:リゾラッティやWolfが語る「共感」とは、あくまでも神経生理学における神経回路のレベルから見た、自動的な、また非常に機械的な感じのするものであった。しかし、「人間らしい共感」とは,非常に高度な脳の認知過程を必要とすることも一項で述べた。またWolfにおいては、共感する為に患者と治療者の間に同一の特定の経験が存在している必要はないのだとも述べている。このことは、これからの心理臨床において、非常に重要な意味を持っていると思われる。
   http://www8.ocn.ne.jp/~mental/soturon/soturon/3.html 引用

UCLA (カリフォルニア大学ロサンジェルス校) で医学や心理学を扱っているいくつかの研究機関が協力し、自閉症児の脳内でミラー・ニューロンがどう作用しているかを調べました。いわゆる高機能と呼ばれる種類の自閉症児10人と、定型発達 (普通) の子どもたち10人を対象に、怒り・恐れ・喜び・悲しみなどの感情を想起させる写真を観察させ、模倣をさせつつ、そのときの脳の活動状況をfMRI (functional Magnetic Resonance Imaging) という装置で調べました。

被験者となった自閉症児は、それと別に自閉症状の度合いも詳しく検査しました。課題としてやらされた作業は、すでに可能な作業であることが確認されていました。

結果として分かったのは、自閉症児のばあい、ミラー・ニューロンの中枢部と考えられている下前頭回の弁蓋部という箇所での活動が、全くと言っていいほど見られなかったことです。特に、自閉症状の度合いが強い子ほど、ミラー・ニューロンは不活発でした。

又、自閉症児のばあい、脳内で感情を司る箇所の活動も低下していました。

一方、視覚や顔の筋肉を動かす箇所はfMRIで見ても正常に活動していました。

この研究は、主に米国の国家予算による資金で行なわれました。今回の情報源は記者会見による発表ですが、結果を報告する論文が近いうちに専門誌にも発表される予定です。      http://www.eurekalert.org/pub_releases/2005-12/uoc--uis120105.php引用

道徳的に感情を伴い悪かったと、自分の行為が許されないと理解する事は感情、情動的に沿ったルールであるが、自閉症スペクトラムの場合は理論的には理解しても、即ち自分のした事は悪い事とことばで説明できても、道徳的感情が伴っていない。この理論の獲得には屁理屈であっても、彼らの理論構造に沿った説明がされれば納得できる

高機能の自閉症でも、幼少期自閉症の心の世界は観念論の世界とすると理解しやすい。
世界は舞台であり、観客は自分1人という世界である。

このように周囲を解釈しているのが幼児期の自閉症者、又はひょっとするとその後も同じような感覚が続いている人もいる可能性があるのが自閉性障害の心の世界観ではなかろうか、と言う想像が出来ます。心の理論は不調の結果、不安に落ちリますので、「目に映るこの世のものは自分が考え出したものである」と考えれば、周囲を捉えにくい自閉症者も心穏やかに暮らす事が出来るはずと考えるのではないか、ともいえます。東條惠氏

この様な幼児期を経て、ある人は「世界は自分の精神世界が作り出したものではなくて、自分がいて、外の世界がある」「自分の内部と外部がこの世にはある」ことに気がつく時期を迎えます。観念論では世界は理解できない事に気付くわけです。初めて自分を取り巻く世界をリアルに認識する場面・時期なのでしょう。

自分の内と外に気付く前の、観念論とも言える世界が成立する条件は、子ども自身の経験範囲が少ない、まだかなり小さい生活空間、周囲の物が変化に富んでいないような生活空間であるときに成立しやすい事は想像できます。生活空間が広がり、外の世界で目まぐるしくいろいろな物体が動いている世界は、自分の精神世界での出来事ないし、自分が作り出したもの又は1つの舞台と捉える事は極めて困難になり、戸惑う事が多いはずです。違った法則性を見出さないと、理解できない。そうしてついに外の世界があることに高機能の自閉症者は気付く。これまで小さな部屋、小さな生活圏、入ってくる情報はまだまだ少ない、この様な条件下では、自分の作り出した精神世界が誤解の元である可能性は大いに考えられる。

この法則に気付かないと、環境の変化に心は乱れ、耐えられなく、混乱に陥る事でしょう

知的障害がある場合、このことに気付く事は困難であろう、それで、心を閉ざしたままで生きていこうとする。そうでないと、心が破綻を来たしてしまう。心の理論が成立していないと、安心して生きていくには自分の世界を変化させずに、狭い世界に「孤立して」生きていく道を選ぶ。「他者の不在による根源的不安」重度の自閉症で知的障害の重度の場合どのような思い、世界で生きているのか、このコンクリートジャングルで1人生きていくような恐怖に満ちた、不安感に覆い尽くされた困難な苦しみの世界に生きているのであろうか。

多数派者は1歳ごろには「指指し」をして自分は外の世界に対して敵対者でないし、生活圏、行動圏を広げ、物を指差しして、外界に働きかけ、世界を広げ、母親に指し示し、母親の助けを借りて、目の前に繰り広げられる世界は、自分の観念の世界が作り出した精神的なものとは考えられず、唯物の世界に入り、自分―他人―物で出来上がっていることを乳児期には知る事になる。自閉症スペクトラムの場合は指差しの世界に入っていく事がなかなか出来なく、時間がかかる。心の理論を獲得していないと、世界は敵として認識し、戦い、恐れ怯えながら闘って生きていく事になります。「ガラス越しに向こうの世界を見ている」「傍観者として世界を見ている」という実感で生きている

自分の感情の気付きは、なんと言うものなのか?この不快な感情は何なのだろう?と得体の知れない心の不快感を表現しことばや気持ちを表す事が出来ない。寂しい、怒り、不機嫌、辛い、不安、失望、親切、戸惑い、悩み等々の訴えが出来ない。後年、それに気付き、それに応じたことをすることになり、自分自身の心のありようがそのときはっきりとする事がある。

これは、他人に対する感情にも言えることである。ある状況下で引き起こされる、喜び、悲しみ、怒り、恐怖などの単純な感情の気付きは「認知的感情」は理解しやすい。「驚き、当惑」などの感情は理解し難い。絵で理解しやすいが、ことばや表情からは読み取る事が苦手である。多くの場合、読み取り間違いを起こす。家族と自分の関係、構図、家族図では「嬉しい」という事は分かる。しかし、家族が本人に注いでいる愛情を理解・実感、感じ取る事が出来ない。

そうして社会との係わり合いを通じ、「学習、練習、推論」を通しヒトとの距離間が不安を引き起こさないか、自分と他人の感じ方の異なりを苦労しながらも学び取っていく事が出来るようになる。

犬は疲れると、ただ横に座り、眠る。おやすみを言わないとなど考えない。あなたがよければ、こうするのですがなどと言わない。犬はいつ見ても変らない。忠実で、いつも人間のそばに居る。要求が叶わなくても、分からなくても、根に持たない。だから犬はいい。

高機能やアスペルガーの子達が9~10歳ぐらいの言語獲得レベルになると、他者の心が読めるようになり、他者の目を持ち始める。ヒトが自分をどう見ているかを理解し始める。しかし、この行動や反応は、多数派の人たちと比べぎこちなく、わざとらしく見え、感情を自然に現すことができなく、よそよそしさを持たれる。完全に多数派と同じようには行かない。

Ⅰ:自閉症スペクトラムの子どもたちは、不安に襲われると、パニックになるか、心を落ち着かせる場に逃避する。

子ども時代、生き延びるために必用なのは、逃げる事だった。どうしようもない切迫感で焼け付く衝動だった。-静かに落ち着ける場所を見つけるためにーこうして逃げているにもかかわらず、親が邪魔をするなんて、親なら「タイムアウト」をとり、気持ちを分かって欲しいのに。
皆優しく話しかけ、仲間に入れようとしてくれていたが、当時は、相手の意図が分からず、警戒心が私を、何故私に話しかけるのか、不満だった。何故、私のしていることを止めさせるのか、私を困らせるのか、私は逃げるしかなかった。
自分の安心できる場所の確保はこの人たちの唯一の心の拠り所である。

Ⅱ:心中に別人格を作り出すドナ・ウイリアムズ

外世界・ヒトとの関係が上手く行かない場合、自分の心の中に別人格を作り出し、それと関係を持とうとしていた。自閉症者も1人で生きていくのは寂しい。社会性を本能的に持ち、心の中に別人格を作り出す。

Ⅲ:心の中と外の世界の中間に別人格を作りだす、グニラ・ガーランド

グニラは別人格がそこにあるように、両親にその人格に対応するように要求した。他人からは彼女がそのような世界を持っていることは分かった。

Ⅳ:2重人格として生きる、藤原寛子

小学4年のとき「古都子」を作り出した。そういう人格を作り出さないと、周りの期待が大きかった。私は古都子として生活するほうが楽になっていった。そうしてある日、私は古都子が主人公になった。解離性人格障害と分かっていたが治療を受けなかった。私は自分を守るために解離したと思う。持って生まれた自閉症が関わっていた。空想と現実の生活の狭間で別人格に逃げると楽だった。22歳のとき、もう一度もとの自分に戻るために人格を統合した。

人の顔がなかなか覚えられないhttp://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/psyqa0683.html
自閉症スペクトラムの中には、なかなか顔が覚えられない人が多いらしい。これも心の理論の不都合と考えられる

顔の表情が見えすぎると情報過多になり判断が困難に成ることもある。
多くの情報を処理できなく、取りこぼしが多い。しかし、入った情報は大切にする。
このシンプルフォーカスは、ある情報過多の部分を切り捨て一つに集中しようとする。その結果、その感覚が支配的になる。他の経路は働かなくなる。

多数派の謎に満ちた世界を理解するために、五感をフルに生かしていることが、感覚過敏につながるのでは・との考え方には説得力がある。しかし、ストレスによる感覚過敏も捨てがたいと思うが?

ここで興味深い話です。

★犬の視力は近視と言われている。遠くのものや動いていないものを見極めることは苦手である。動くものを見極める動体視力は優れている。本来夜行性動物なので、白黒を見極める視細胞は多く、色を見極める視細胞は少ない。夜に生き残るためには白黒で十分である。嗅覚、聴覚が敏感で、夜でも相手を見極める力が十分である。生きる情報スタイルに合わせて情報処理システムが出来上がっている。自閉症スペクトラムの情報処理システムによく似ている。社会的感覚を補うために五感が発達、シングルフォーカスなどである。

我々は、自閉症スペクトラムの子が話を聞いていない、分からない、反応が無いという風に捉えることは、実は、情報が多く耐えられなく、情報、思考、感情などをシャットダウンして、危険回避している。パニック抑制のために

そうして、薄皮を剥がすように心の世界を広げていく。または、この自閉症スペクトラムの世界の中で居直る。「自分は自閉症、アスペルガーという特徴を持っている。自分が考えることは、この特性のためにこのように考えるのだと、気付きが、安心してこの世界に居直れることになる」

*物事を二極分化して捉えようとする傾向が、情報の取りこぼしを招くと・・
概念化することができないことも影響しているか・・・
このような二極化は、情感豊かな心の世界を理解していくには不都合である。コンピューターが心を読み取ることができないように。

★大人とは上手く遊べるのに、子供同士とは上手くいかないのは、子どもの心は移ろいやすく、かえって大人の心は読みやすい、一対一の関係を作ろうとしてくれるのでわかりやすいのであろう。子どもは話しかけても反応が無いと、他に遊びを見つけて行ってしまう。大人は、相手の心を読もうとして工夫をして、コミュニケーションを取ろうとするので、自閉症の心が相手の意図を読み取ろうと努力している間、待ってくれるため、何とか情報処理している間、一対一のメリットは訓練でも重要な要素である。集団的な訓練ではなかなか情報処理の時間が無いので、効果が出ない。

*この大人とのモデルをパターン化して覚えても、状況に応じた対応が出来なく、不自然な振る舞いになる。場面に合ったことばづかいにならない。
しかし、この学んだことは非常に大切にする。「俺のルール」

*この世は、曖昧で、中間・中庸・ぼやかしの(たまむし色)と言うようなファジーな存在であることを学び練習することが必要である。

*何かぶつぶつつぶやいているのは、不安、恐怖の中で不安解消できる世界に入っている、防衛手段と考えられる。


★犬や馬に接していると、多くの場面で、感覚がヒトと比べて過敏すぎ、ヒトが感じないことに、興奮、パニックの状況になることを経験する。馬などは、パニックになると、振り落とされ、馬は駆け去っていく。または、唸り声を上げて身構える。これらの過敏な感覚は小さいときから育てていると、ある一定の時期に出てきて、いつの間にか消えている場合がある。
自閉症スペクトラムの場合も、ある時期にある感覚が特に突出した感覚が芽生え、何時の時期にか消えている。あるいは、あり感覚は、鈍麻している場合もある。これらは、接触感、視覚、聴覚、味覚、嗅覚に突出して出てくる。

さらに
時間の感覚、過去、現在、未来の感覚もあまり無い。このため、過去の出来事、トラウマがフラッシュバックして、同じ状況下で現れることがある
待つ、急ぐ感覚が無い。自分のペースで動くので、他人の言うことが耳に入らない。
現在を必死に生きているので「先の見通しが立てられない」次の手はずを指し示すことが必要となる。時間は目に見えないので捉えにくい。順序という側面、長さという側面がある。
「~した後で」「~する前に」という事の理解が難しい。決められた視点に標準をあて、その前後の間隔を理解する事が苦手である。「きのう、きょう、あした」の理解も難しい。そのため予定表は欠かせない。

長さとしての時間も見えない。「ちょっと待ってネ」のちょっとの長さが理解できない。自己意識の中枢は前頭前野にある。自我が育たない事には、私は何処に要るのか、私とは何か、私の今後はどうなっているのだろうか?などは自閉症スペクトルには特に苦手である。
EQを提唱したゴールマンは、IQより社会において成功するのはEQ指数であると述べ、情動は視床下部、扁桃体を経て、前頭前野に通じ、行動に移す。このルートが自閉症には不全を起していると仮説を立てている。

丁寧な視覚的に分かりやすい情報の提示をすると、不安が和らぎ、ゆとりがでる。時間の感覚も学びやすい

身体接触によるサインを伴いつつ、声を掛けるという手順は気付きを誘発させ、次の手順の変わりのサインとして有効である。
このように、視覚的に分かりやすい形で一日のスケジュールや次に行うことを支援者が提供、援助するなら、不安は減少し、自閉症者にゆとりが出てきて、時間の感覚を学ぶ事も出来る


いくつかのサインや体に障ってあげて「これから話が変る」「新しい事が始まる」などの気付きを教えてあげる事は援助の大切なポイントである。

何故、「視覚優位」「聴覚の情報処理が苦手」なのか?
顔の表情を見ながら、相手の外国語や記号のような話しことば聞き取る事が大変。一方暗号のようなことばや、態度や表情といった変化に富むものではないものの、形で成り立っている景色や物事は単純であり、捉えやすいのでしょ。これが視覚優位のことの説明になるのでしょう。
話しことばでの人と人の話は聞き取りにくい、実物、写真、絵画、文字による指示、説明、漫画の吹き出しのせりふをつけたコミックによる人間間のやり取りの説明は、目で何回も確認できるので分かりやすい。

特に文字は仮名文字が得意である。それは、意味が一つであるからである。
普通児は、「く・る・ま」-「車」-車の絵及び実際の車の三項関係が結びつき理解する。しかし、自閉症の場合、文字・音の結合が強化され、意味にたどり着けない。しかし、文字を覚えると、物のありかや、行き先の手がかりとなり、三項関係が出来上がっていく。

伝達手段は、仮名文字が入りにくい場合、漢字、絵、写真、身振りなどを駆使して、意味と結びつきやすいものを併用する。

色々な表現手段があるが、 いま、ここで の外の物事を現せることが出来る。外の車に乗ることを伝えるには、くるま と音声がいいのか、車のキーを渡し知らせるか、いま、ここ の状態から出口の方へ案内していく事が重要である。

映画「レインマン」はカードゲームで相手の出したすべてのカードを覚えている。落ちたマッチの数を瞬時に数えられる。見た景色を頭に刻み込み、後で絵に再現できる、この様な天才はサヴァン症候群という。

サヴァン症候群(savant(仏語で「賢人」の意) syndrome)とは、知的障害を伴う自閉症のうち、ごく特定の分野に限って、常人には及びもつかない能力を発揮する者を指す。サヴァン症候群の共通点として、知的障害と共に異常な記憶力・表現力を持つことが挙げられる。かなり昔から知られてはいたが、その原因は未だ論議されており、正確には掴めていない。現在では脳の器質因にその原因を求める論が有力だが、自閉症者が持つ特異な認知をその原因に求める説もまた有力である。英国のスティーブン・ウィルシャーは建築物を少し見るだけで、正確にスケッチできる。川崎交響楽団のチェロの井上清秀さんは楽譜を完璧に記憶しているのみならず、技術的にも優れている。また多くの場合、絶対音感を持っている場合が多い。ミの♭、ファの♯など鍵盤を押すかのように、正しく言い当てる。カレンダーのパターンを暗記して、どのような日を言っても正確に曜日を言い当てる。



運動能力が苦手
http://www.aichi-c.ed.jp/contents/shien/disorder/pdd/asphowtohelp.htm

1つに集中してしまうので、情報処理が上手く行かない、ボディーイメージが作られないためか、いくつかの動作を同時に行えない自閉症は多くいます。歩きながら話せない。表情や他人の意図を読み取ることに不自由がないアスペルガーの人もいることは銘記すべきだろう。彼等はしばしばアイコンタクトに困難を来している。多くの場合殆どアイコンタクトをせず、それがドギマギするものだと感じており、一方他人とって不快に感じる程じっとその人の目を見つめてしまうようなタイプの人もいる。

感覚障害の中で自己防衛手段を自閉症者は持っています

自分の体を使って遊んだりすることに没頭することを、自己刺激動作とか自己刺激と言います。手のひらをヒラヒラするなど、自分の体を使う。鉛筆を歯にカチカチ当てる、これらは知的の優劣に関らずおこり、快感を得て不安解消するのだろうと考えられる。

実際自閉症者は、自分の感覚がどの程度多数派と異なっているのか知る機会が無い、年齢が上がっても結構知らないでいる。

何故、幼少期にことば、音を聞いて色を感じる自閉症者が存在するのか

答えの1つは「共感覚」、人間は視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚という五感を使い外界を認識しようとする。共感覚は、1つの刺激で、2つ以上の感覚器が働き、それらで感じてしまう。例えば、ことば、音、音楽を聴いて、音以外の映像を感じてしまう。

視覚、聴覚、味覚、嗅覚などの神経回路網は、それどれ独立した形でなく、ある部分は絡みあっている。共有部分があると考えられる。学習によって必用なものを残し、余分な神経回路は整理され、刈り込まれていく。しかし、共有部分は残ってしまう仮説。

発達の段階で共有部分は奪われて、特化した部分が使われていく中で、使わなくなった神経回路は眠りこむので、途中から共感覚が出てくる、共感覚という事に気がつくのは、眠りこんでいる共感覚システムが、何らの切掛けで動き出したという仮説

元々多くの人たちが共感覚を持っていて、出生時には過剰に作られている神経網が学習により整理され、不必要な神経は眠りに入る。そうして大脳皮質(反対は原始脳大脳辺縁系)との関係が蜜になる、という多数派の脳の発達プロセスが考えられる。このプロセスが障害されるために、例えばことばを聴いて色を感じるかもしれない、音と映像が結びつく場合もある。

絵で考えるのが私のやり方です。ことばは私にとって第二言語のようなものだった。私は話しことばや文字を、音声付のカラー映画に翻訳して、ビデオを見るように、その内容を頭の中で追っていく。誰かに話しかけられると、そのことばは即座に絵に変化する。

●こだわりが生まれるとき

ピアジェは反復的な行為の遊びを繰り返す事は、初期の発達段階の現れであり「循環反応」、自閉症児もその段階では水遊びなどの、興味ある遊びを繰り返すことになる。ただし、それを終わらせるタイミングを掴む事が難しい、それが「常同行動」といわれる。

あるときからこだわりが出てくる。レイマンはベッドは窓際、火曜日の朝パンケーキ、下着はKマートで買ったものというようにレイモンドはこだわった。おばあちゃんの家に行く事は、おばあちゃんの家に着くまでが大切で、その経路は決まった交差点、踏み切り、お店の前も決まっている。この様な特徴を示す子は、ことばが出ている子に多く、出ていない子は常同行動が多い。

こだわりは、変化への抵抗、感覚過敏のため、新しい刺激を受ける事が不安感が大きく、慣れにくいので、一定の状態を維持しようとする。不測に事態は、感覚が破裂しパニックになる可能性があるので、固くこだわりを作る。これらの行為は、朝起きて歯を磨きといった一連の動作のように、一般の決まった行動は、必然性から行動しているのと違い、違和感を感じる。

日常の共同の行為は「さあ、夕食にしよう」「散歩に犬を連れて行こう」、これらは始めと、終わりがある。このきっかけにことばがある。

おやつの場合:おやつを食べる、開始、実行、終了ですが、開始前に準備があり、終わりのあとには、後片付けがある。この様な、決まりごとを決めると、見通しが立ち、終わりにも納得がしやすい。しかし、反復行動になる場合、終了の約束、取り決め、コンピューターなら終了プログラムを組んでおかないと、いつまでも繰り返しが続く。「始め」「終わり」の声がけをする事が重要となります。

●待つこと誘う事

ヴィィゴツキーは、やり取りは、人と人の間のことば=外語として始まる。やがて、自分自身の中のやり取り=内語に発展することにより、自分をコントロールする手段となる。このことを学習するのがTEACCHプログラムである。このプログラムにのっとった教室は、視覚優位の特性を考慮した環境で、スケジュールなどは=時間経過、絵、文字、写真カードの配列という、空間的に見やすい形変えている。さらに、教室内の各エリアは、学習、遊びというように、単一の目的にしか利用しない。一義的空間は理解しやすい。

こうして出来上がったプログラムは、何かの事情で変更せざるをえなくなり時がある。「今日は???にするよ」とあらかじめ心の準備をさせ、不安感を出来る限り取り去る努力をする。

今度は、決まったプログラムの世界では対応できなくなる時期がくる。さらに、行動範囲を広げていく必用がある。そのためには多くの選択肢を選ぶ必要が出てくる。このためTEACCH教室には、対面課題エリアがある。子どもと大人が交渉しながら、課題を選択し、順序づけていく仕組みで、子どもに主導件がある。更に、広い世界に出て行くには、「誰が、何処で、何時、何を、如何する・・・・」という複雑なことばが要求される。

●分かる事、分からない事

この2つの区別が付かない。普通児は少しでも不確かな場合「分からない」と大人に答えを求める事が多い。しかし、自閉症の場合、ことばの連想で答えを導きだす。〔絵画テスト〕次に「なぞなぞ遊び」で例えばバナナは分かるが、またバナナは果物でもある、こうなると分からない。一義的に生きているからである。

普通児は5歳に成ると「私達」を意識した行動を多く見せる。5歳は「心の理論」が出来てくる年齢である。私,あなた、私達、彼・彼女この区別が出来るようになる。

自閉症スペクトラム援助

1:「心の理論」が不成立・未獲得・不調・未熟であれば、「人の心はこの様な風に動く」とモデルを提示して、態度やことばや、より分かりやすく映像(写真、絵、文字)で教えていく必用があります。「ひとはこのように振舞う」「人は貴方のいったことをこのように考える」「人はこのように話をする」などを、形式的にことばや動作を使って教え・諭し、動作で示していく必要があります。ことばを理解していない、ことばに気付いていない場合は、感覚的に理解して、多数派の文化に適応してもらう。

知的重度の自閉症には、相手に噛み付く時、叱るのではなく、無視する事が大事です。貴方にとってこの行為が利益にならないことを分からせるには、叱るより、お母さんは悲しい、痛い、泣いてしまうといった情動に訴えかける態度・表現は通じるはずである。お子さんに噛んで、こんなに痛いと分かってもらう事も必用だとして、行うと、お子さんはこの行為は良い事と勘違いをする場合、相手になってもらい嬉しいと感じ、恐怖的を感じさせる対応はその体験が心に残る場合もあるだろうし、叩く、噛む、引っかくなどが人間のコミュニケーションと勘違いを起こす場合もある。年齢的に大きくなって、他人の傷害行為が身についてしまった場合、改善は困難である。これは、知的能力のある子供でもおこりうる。一般に多数派の子どもたちはこの様な親の誤った対応、虐待をとっても、自閉症のような問題性を残す場合は無いようだ。熱血タイプ(戸塚ヨットスクールのような体罰は教育)の体罰的教育は、その子にとっても不幸ですが、更にこの行為が、親が良かれと思いしても、子に取ってはマイナスの事が多いように難じるのは私だけであろうか。特に過敏な神経を持った、社会性の無い自閉症児に取っては良いとは思えない。

感覚的理解、ことばのニュアンス、ことばの内容がわかるようになってきて、語学レベルが上がれば、ことばを使って諭す事が出来ます。人はこの様な感じ方を刷るのだ、というムード、キーワードで伝える。自閉症スペクトラムの子どもたちも決して人の心を読もうとはしないのでなく、「情」はある程度理解できる。大六感といわれる社会感覚は「全く働かないようである。母親が情けなく泣いていると、重度知的障害の自閉症児は母の頭を撫ぜに来る事があります。分かっていると思われる行為です。

対人関係の困難」は不安が強く、この不安を取り去り、他人と遊ぶ事は貴方にとって楽しい事、愉快なこと、利益があることというのを確認し、分かってもらう事が大切です。ヒトへの愛着、心に刻み込まれる親,人への愛情という、イメージ遊びが、接し方の工夫は大切な事です。大きなものに抱かれて安心する、音楽、体使った遊び、は保育活動に重要なことです。

コミュニケーションの困難」は、ことばと人と人への情報伝達・やり取りとしての認識が育っていないことです。 人と人の間にはやり取りがある、写真、絵、映像、文字、話しことばという手続きがあることを学ぶこと、話しことばが育ちにくい場合、映像、写真カード、絵カードでのやり取りを学ぶことから始める。理解しやすいことです。視覚的な情報は自閉症者に取っては有効な手段である。

理想像の欠如」さまざまな遊びを学んでもらうことです。遊びの幅を少しずつ広げることです。不安が強く、石橋を叩いて渡るが如く少しずつ進んでいきます。そうして一度経験すれば それ以上怖くは無い、この遊びは面白いことに気付くことであろう。病院の診察室で、不安感で一杯の時、これ以上の怖い事がないと分かれば安心して恐怖から開放され、次からは安心と分かれば大丈夫となりますが、変わったことをする場合は、絵カードなどであらかじめ説明をしておかないとせっかくの安心感も台無しになります。

これらは自閉症スペクトラムの基本的な対応となります。

感覚統合が上手く行っていない

多くの知覚過敏の自己防衛として、自分の体への圧迫刺激、水着を着る、自分の体を締め付けることで安心を得る。多くの自閉症スペクトラムの感覚統合の成果を述べた文を紹介します。

1時期僕は、毎週月曜日午後10~11まで作業療法士さんに感覚統合訓練を受けた。まさに欠けていた部分が満たされ、足りないところが無いように感じる。またあそこに通えたら良いのにと思う。通うのを止めて、満たされて、足りないところがないような感じになる。またあそこに通えたらいいのにと思う。通うことを辞めて以来、満たされて、足りないところの無い感じを失ってしまった。

感覚は
Ⅰ:慣れるように努力する

Ⅱ:慣れないならばそれをはずす・自己防衛する

1:最低限の支援は、「視覚的構造化」である。主にTEACCHプログラムとして日本に来ました。ノースカロナイナ大チャペルヒル医学部精神科TEACCH部で開発された。

2:①「孤独・不安軽減対策」:孤独を好むと言うより、外界の情報過多の中で身を守るために、不必要な情報をカットして、仕方なく孤独を好むスタイルになっていると解釈するほうが理にかなっている。群れなす、多数は、多くは1人になることが不安で怖いのである。高機能の自閉症にはこのような、アンビバレントな感情を抱いている。

社会に適応していくには、ヒトへの愛着が必要です。支援はヒトへの不安を取り去り、快感をもたらす存在であることを教えることです。これは、不特定多数ではなく、保育士さん、先生などの日常係わり合いを持つ人たちです。無理やりでなく、慎重に配慮しつつ、肌のふれあい、身体を使った遊び、ファンタジーの世界に逃げ込む、映像に頼らず、昔ながらの素朴な人間同士の遊びが、ゆったりとした人間関係を作り上げていきます。遊びも構造化された柔らかな人間関係・情報・刺激が適度に調製されていることが大切です。不安を和らげ徐々に慣れていく、反復練習が必要です。時間をかけて、不安感を取り除くことが成功への近道です。触覚が敏感なのに、無理やり嫌がる服をきせる、味覚が過敏なのに、偏食を治そうとして必死になることは自閉症スペクトラム児には拷問に近いことです。多くの過敏症状や行動の激しさなどは小学入学後次第に軽減して行くことがほとんどで、このまま中学まで続くことはほとんど無いようです。だから、早期に診断を受けても、青年期になると全く異なる子に成長していることが多くあります。そのときの診断はその時点の現れている特長で、今後変化していくことは、診断も変わっていくことになることで、これが普通です。一時の状態にとらわれないことです。

見守り、おおらかな態度、褒めることは熱血タイプの鉄拳躾は余計に心を閉ざし不安を増し、このような方法が本人に刷り込まれる可能性があります

よく検査に、安心させるために、自宅で使っているお気に入りの物を持たせてくださいと言うことがあります。集団生活でも自閉症スペクトラムの子はお気に入りの安心グッツを持ち登園することがあります。これを規則とか言うありきたりの規制にかけると、不安感が増し逆効果です。ここは融通無碍な対応が望まれます。我々が縁起を担ぎつけているものを、試合中はずせと言われると不安感で負けてしまうようなものです。

②視覚支援+構造化

「こうするのよ」と彼女は私の手を取り、最初から順番に1段階ずつやらせてくれた。それは私にとって決定的な瞬間だった。これまで覚えられなかったのは、いつも口で説明してもらっていたからだった。

聞き取りが苦手な自閉症スペクトラムの子達は、視覚的な情報が圧倒的に分かり、理解しやすい。カードや写真などは、いい情報提供法ですが、たまたま手順が狂いますと、逆にパニックの原因となる可能性がある。注意。変更は彼らの頭には入っていない不安事項なのであるから。

教室などはすっきりと片付き、色々な張り紙は無く、後ろに逃げ込めるスーペースがあれば自閉症スペクトラム児には一番安心できる環境である。

教科もどの時間は何の教科で、今はどのあたりを授業では進んでいると言う情報があればさらに理解しやすい。

③第二言語獲得学習

私は成長過程の中で、理解の方法として、抽象的考えを絵に転化することを学んだ。「平和」とか「正直」というような概念を、象徴的な形に結びつけ視覚化するのである

映像・画像が第一言語で、ことばは第二言語であったとのことです。年齢が幼少である時期にはなかなか母国語として言語を身につける事が出来ないでいる自閉症者たちである。

高機能の自閉症スペクトラムで本を書いている人の多くは、耳で聞いて理解する事が苦手で、4つぐらいの段階を設定して見ます。
日本に来たばかりの外国人のような状態
日本に移住ししばらくたった外国人の状態
数年日本で生活している平均的外国人の状態
あたかも母国語として獲得しているかの如くの外国人の状態
これは自閉症者を外国人に見立てて、その語学レベルを見た段階です。

○耳より聞いたとき、文字通りの解釈をしやすい

外国語の会話を理解する時、直訳的な理解をすると、よく分からない経験があると思います。これから更に進めて、そのことばの裏にあるものを直感的に理解する能力は高機能の人たちにも苦手なことです。

日本語は主語、述語を省く場合が多く、それを持ってきて などと良く言いますが、本来なら、棚にある、お箸を、このテーブルに持ってきて といわないと、暗黙の、暗雲の呼吸は伝わりにくいのが特徴です。

○実物・写真・絵・文字を使いながらの説明支持なら入りやすい

この分かりやすく視覚化された情報が多くの自閉症スペクトラムの人達には必要であると述べている。

   http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/ld/brenda.html

映像化されたことばを理解する作業は、我々が英文を、辞書を引き、ことばを日本語訳にし、それぞれのことばの意味から英文を理解しようとする行為は、自閉症の映像化による日本語理解に似ています。

頭の中で言うべき文章を考え、それを読むように話すといった、英訳を我々がしているように話をしている。

関西の自閉症スペクトラムの人がアメリカ留学後、帰国して、日本語を話すようになると関西弁は完全に抜け落ち、以後関西弁が出来なかったことから、自閉症者のことばの学習は、異文化外国人の日本語学習プロセスと似ている。また、日本人の外国語学習のプロセスと似ている。

それと、お世辞がいえない。嫌なものはいや、とはっきり言うので日本文化では特に問題になる行為です。「つまらないものですが。お口に合いますかどうか?」「つまらないものはいらない。これは私は嫌いだ」となると日本社会は成り立たなくなります。

○話すことより、文字で書く事が得意な自閉症者が多い。IT社会、コンピューター社会は自閉症者にはうってつけの文化です。将来の進路にもこの特技を活かせるかもしれない。

中でも興味深く感じたのは、独特の文体と、視覚による認知や記憶のパターンでした。リアンの書く英文は、極端なまでに文法的な構造を持った文章です。文体が古めかしく理屈っぽいのに、内容が身近な日常のことなので、そのギャップが返ってとぼけた雰囲気なのです。日本語で言えば、丁度、受験英語の「英文解釈」の直訳体のような感じでしょうか?私も人に見せる文章を書くときはなるべく普通の日本語を使いますが、頭の中に流れているのは理屈っぽい直訳体ですし、何かとても大事なことを考えながら言おうとすると、音声の会話も直訳体になってしまいます。事情を知らない人には「自然な会話体」と見るのが私にとってはよそ行きのことばで、「変に堅苦しい文」が、飾らない自分のことばなのです。

○「この子は、どのような風に世界が見えているのだろうか?」と想像力を働かせ、自分一人しか解読不可能な自分語と、ほかの人にも通じる公用語との間をつなぐ、これが一番しなければならないことばの指導なのです。

はなしことばは2,3歳のことばの概念を獲得し、文法を獲得し、話始めます。あとは怒涛の如くことばを獲得していく。

「認知発達治療」認知発達治療理論は、発達的視点から自閉症児の行動の理解を深めるとともに適切な個別プログラムを可能にし、治療や教育に科学的な方向性を与えてくれます。この理論に基づいた認知発達治療は、東京大学精神神経科の小児部グループが長年の研究と臨床活動を通して開発し、臨床の中で確かめてきたものです。
   http://square.umin.ac.jp/~develop/aut/thed.htm 引用

親の立場からの個人的感想(引用)

よくこの認知発達治療についてTEACCHなど、他の指導法と比較して触れられることがあります。曰く「こちらの施設では、太田ステージとTEACCHのどちらをやられているのですか?」などなど・・

ただ親の立場からすると、子どものためになるものなら、なんでも療育にとりいれたいと思っています。

どちらかというとTEACCHの考え方は、視覚優位など自閉症児の持っている得意な分野を生かして、またそれにあうようにまわりの環境を構造化したり、スケジュールをわかりやすくしたりして、社会で暮らしやすいように援助してやるシステムだと思います。まわりの親や関係者に課せられた課題が多いですね。

一方、太田ステージの方は、本来自閉症児が苦手な認知の分野において、適切な課題により治療教育を行っていくことにより、子ども自身の理解力を高めて適応行動の獲得をはかり、同時に異常行動や不適応行動を予防していくという、こちらはいわば子どもに働きかけて行く方法だと理解しています。

また、親としては、子どもに自己コントロール力をつける方法、山登りやマラソン、正座やマグロ(寝転んで体を意識して動かないように静止さす方法)、DR(ダイナミックリズム)など、自分を律すること、自分で自分の体の主人公になること、などの方法も、矛盾なく、とりいれてきました。( 「ソツギョウ、シマス」と宣言して、卒業しちゃったものもありますが・・

今もそれぞれが生かされて、現在の安定があるようにも思えます。

「そこ(「自閉症の治療教育の評価に関する国際シンポジウム」での最も大きな討論点は、幼少期から個人の発達レベルに合った適応行動の獲得を治療の目標にし、環境側を調整することに力点を置く必要があるとするTEACCHの考え方と、発達の障害に働きかけて自閉症児自身に少しでも柔軟に適応できる力をつけていくことが重要であるとする我々の考え方との相違にあった。)

親の立場からは、どっちも大切だと思います。子どもは一人です。良いと思われることは、これからも両方、それこそ全部とりいれて行きたいと思っています。

1.TEACCH療法

TEACCHとは「自閉症及び近縁のコミュニケーション障害児のための治療と教育」という意味を持つ。
TEACCH療法は、自閉症療育の中で注目を集めている療育の一つであり、主に自閉症者をとりまく環境を物理的に「構造化」し、苦手なことを補うものである。「いつ」「どこで」「何を」「どの様にするのか?」「そうしたら終わりか?」「終わったら何があるのか?」を分かりやすく掲示する。刺激を制御するには、見ないほうが良い物は見せない、聞こえない物は聞かせないように環境を変えるのである。

2、太田プログラム

自閉症においては、その認知構造が不均衡であり、全体的な構造の把握は困難である。大田独自のstage分けによる発達段階評価は、自閉症の精神機能のレベルでの基本障害と考えられる表象能力に焦点を当てた評価法である。

 認知発達治療の意義
容易に表象能力の段階を知ることができる。
ねらいを決めたり、課題の選択をする時の指針となる。
発達水準に合ったスモールステップは子供の内発的は動機づけを得られやすい。
教材の意味付けがはっきりする。
年長の同じステージの子を見ることによって長い先の将来像がわかる。
障害・ステージと性別、年齢、問題行動を知ると、対象児者を取り巻く人々が共通理解に立ってケースの検討ができる。
ステージがわかると、家庭での接し方に対してもアドバイスし易くなる。

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3、応用行動分析学

行動分析学は学習に関する最新の科学です。ヒトや動物がどう学ぶのかを研究する学問です。応用行動分析学は、学習の基礎科学である行動分析学を、社会的に重要な問題の解決に活用する応用科学です。どう学ぶかが分かれば、どう教えるかも分かります。応用行動分析学は、障害児教育の他にも、普通教育、企業での教育、医療・介護、スポーツ、交通安全など、幅広い分野で研究と実践が行われ、その実践的な効果が認識されています。

   http://ww3.tiki.ne.jp/~teppey/osusumenoissatu/toutatuten.htm –引用
   自閉症の到達点 太田昌孝・永井洋子編著 日本文化科学社

ことばは学ぶしかない。繰り返し辞書を引き、調べていく作業が、高機能スペクトラムの児には必要です。

世間ということばについて:本も読んで色々調べたのですが、実を言うと世間は結局のところ誰と誰のことをさすのかが分からなく、意味は知っているのですが、実体が無いものですから、「セケン」と聞くと、相変わらずセケンの画像が見えるんです。

ことばには裏がある

このことを、その場の雰囲気で解釈する事は、かなりの相手の心や場の雰囲気で左右される事で、高度な解釈が要求される。ことば本来の意味通り解釈するととんでもない誤解を招くが、自閉症スペクトラムの人たちはこの解釈が難しい。

このやろう、馬鹿ねーetcなどは親しみを込めたことばに使われる事が往々にしてありますが、額面通り取ると喧嘩になります。社交辞令もその一つです。

ことばの理解が不十分なら、実物、写真カード、文字カードを駆使して視覚からの入力、更にことばの理解がある程度できていると、聴覚をも使い、この世の理解を深める事が出来るようになります。この事は、先天性聴覚障害児の言語、発語、社会の常識を学ぶ事にも合い通じることで、失敗すると、自閉傾向を示す聴覚障害児もいます。有る感覚の障害は次の2次障害を引き起こす事は良く知られていることです。聴覚と自閉症でも高機能の子どもたちは見た目に障害が分からない事が、かえって苦しみを増加させている面もあります。

社会は人間関係の中で、決まりごと、規則、思いやり、暗黙のルールなどをことばで学ぶ事が必要なことです。社会生活の先のスケジュールまで絵にして細かな点を視覚化することには限界があります。ある程度は、ことばにて説明をして、理解してもらう必要があります。これがソーシャルスキルトレーニングの練習カードが発売されている理由です。

ソーシャルスキル『社会生活上、あるいは世間の人々と交際していく上で、上手にふるまっていける技能』と定義してみた。
   http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r081/r081_034.htm

キャロル・グレイ
ソーシャル・ストーリー10.0日本語版
お母さんと先生が書くソーシャルストーリーTM-新しい判定基準とガイドライン クリエイツかもがわ
ソーシャルストーリーブック-書き方と文例集
自閉症スペクトラムの子ども達自身の理解力を高め、自分の意思で適切なことば使いや、行動が出来るように導くものです。

「私達」の関係の中にとどまり続ける事は出来ない。いつかは「彼ら」の中に入っていく必要がある。道で声をかけられ、道を聞かれると、直前まで彼・彼女だった人が、一時的に<私―あなた>の関係になる。このとき2人は急速に距離を近めるのだが「あのー、すみません・・・」と声をかけると、<私―あなた>の関係になる。この事が自閉症者にはこの距離感、距離の縮め方が非常に分かりづらい。通りすがりの人に、母親のように抱きついき、道路を塞いでいる人に「すみません・・・」に一言が言えないで立ち尽くす人がいる。キャロル・グレイはよくある社会的場面でどのように行動すべきかを、主語を「私」にして物語形式で表すのが、ソーシャル・ストーリーを用いた指導法である。

ホンの常識的な行動に躓いている。
初めて人と握手する時は如何する。どんなときに「すみませんという」。レストランで食事するときは如何すればいい。etc.

また、例えば友達とトラブルになったとき、後で振り返りどのように言えばよかったかを復習する上で、絵と文字という視覚を使い「コミック会話」は有効な手段である。

事件に関係するアスペルガー症候群は、周囲がその人のことを自閉症スペクトラムと気付いてあげられなかった。この中には世の中の仕組みを理解していなかったと思われる。人人との付き合い方、他人にしてはいけないことという事柄が、誰からも教わってこなかったようである。教えたが、実は理解してはいなかった事は大いに考えられることです。「世の成り立ちをことばで学ぶ」根気よく支援援助が求められる現在です。

幼児期から、私自身、自分の見た目や雰囲気がどこか他人と違いことに気付いていたし、自分なりに悩んでいた。ただ、如何すれば皆のようになれるのかが、どうしても分からなかった。

一般の人のように付き合いながら自然に身につく事は、自閉症スペクトラム児には無い。学習、心の理論を学ばねばなりません。根気良く。それは、主に家庭と集団でとなります。ソーシャルスキルトレーニング、コミュニケーションスキルトレーニングが必要である。人と人の付き合い方やことばがけは如何するのかといった事。この場合、往々にして真似をする事があります。しかし、道徳的感情、感覚が伴っていないので、理解していないとがっかりさせられます。いつかは、啓示の如く、心が読める日がいつか来ると思います。問題行動もある日のある事でなくなる事があります。しかし、思わぬ事が理解出来ていないことに愕然とする事は往々にして経験することです。療育者はオーバーなぐらいの表現力で接し、自閉症者は普通の人間に近づきたいと願いつつ振る舞います。その振る舞いも失敗に終わると、自尊心が傷付き、自己評価を下げてしまいがちである。そうして最後は居直りを始める。これは、思春期の大切な逃避ともいえるが、自閉症者の知恵です。

○何故自分は上手く行かないのであろうか?という問いかけには、正しい診断名とその特徴を十分に説明する事により、自分自身の苦手を知り、それが上手く行かない、自信喪失の原因と分かると、自分の理解が進み、納得がいく。

診断で精神的ダメージを受ける場合もあるが、肯定的な面もあることも知る事で、自分の全体を否定しないでいいことを理解する。

自分のことばで、自分を理解する事は、それだけ第三者として自分を見つめ、そのことを自分のことばにして自分を理解することで、より自分自身を理解できることになる。

私にとって診断が付いたことの最大の利点は、いろいろな専門書や研究書事例を参考にして、自分のハンディーを上手くカバーして、トラブルを避け、世の中ともっと上手くかかわっていく方法を工夫できるようになったことです。

グループでのセラピーを受けたが効果があったとは思えない。他の参加者達が自分をどのように見ているかを聞く形だった。それより、当時私が必要としていたのは、誰か目の前に座り、説明してくれる事だった。私の身に振りかかる困難な問題や、その対応、専門病院での援助法などの情報が必要だった。

プライドを保つ事は大切だ

どうしても私の言う事は、まともに取り合ってくれないのだろう。 でもおばあちゃんだけは特別だった。おばあちゃんだけは信じてくれたし、大事にしてくれたのが分かった。

プライドは肯定的に受け入れられた時、上手く言った実感、周囲が受け入れてくれる環境があるとき作られます。褒められて育つといいのはこの様な子どもたちには良いことではないか。

アメリカ留学中、アジア人としてのアイデンティテイを発見する事などは、居場所がなくなったときに思い起すと心が休まる。自己評価を上げる友達が支えになってくれることも大きな要因である。

○通訳・外国語会話教師としての支援者

以上から、養育者、療育者など支援者は、異文化外国人の如く、自閉症スペクトラム者に対して、「多数派との間の通訳として自分を位置づける必用がある」「語学教師として自分を位置づける必用がある」ことが理解できると思います。


子供を見る4つの観点
アカデミースキル(学業)
ソーシャルスキル(社交技能)
コミュニケーションスキル(他人と通じ合う技能)
モータースキル(運動神経)

この中で、モータースキルは皆と同じ運動を要求する事には無理があることを知る事が重要です。

アカデミースキルは上手く行くと自信につながります。しかし、他のスキルはすべて上手く行く場合は少なく、数々の問題が起きてきます。

過剰適応していて頑張りすぎると、ある日ぷつんと糸が切れてしまい、周囲が驚く場合もよくあるケースです。必ず教室の後ろに、図書室、保健室の一角に逃げ込み、自分を取り戻す空間と時間が必要で、視覚支援が少ない場合は特に、普通学級から、問題のある授業は週のうち何度か支援学級に定期に行って、自分の心を安定・リフレッシュさせる必要があります。

ADHDって多動とか不注意とかい言われるが、基本は「せっかち」で「意思が弱く」、「退屈に耐えられない」(退屈耐性弱)ことだと思うのです。の内容の如く、自閉症スペクトラムの50~70%は両者を合併します。

高機能の子ども達の多動、衝動性は、提示された情報は理解でき、見通しがもて、活用できない情報が排除されれば、著名に改善します。多くの場合、高機能自閉症の子ども達の他動性、衝動性は、自閉症としての支援体制が不十分、不適切であることを示している。

この場合も、自閉症のADHDタイプには言語情報が入りにくいので、分かりやすい視覚化情報提示して、戸惑いをなくすることです。

周囲の音、物、人、光等々の情報が把握できにくい、自分にとり理解しにくい、意味が分からない、敏感に感じ取ってしまうなどで、1次障害での心の理論不調パニック発作が起る。
対策は、情報を制約し情報の洪水から処理できなく・・・・
対人関係の困難による、ヒトの心が読めない、親しく無い人の心は当然読めない、この恐怖。誰でも見知らぬ人から声をかけられると不安・恐怖で泣いてしまう子もいます。しかし、このスペクトラムの子たちにはこの不安・恐怖が著しい。

コニュニケーションの困難はヒトの話ことばを取り違え、ことばの裏の意味を把握できないことで、暗黙の了解が通じないことである。想像性の欠如もパニックの引き金になります。ずかずかと「心の平和の中に土足で踏み込んでくるヒト」他人の心を理解しないヒトが多数派には多いと思われます。(私もその中に?)

感覚過敏もパニック発作誘引になります。

これらを回避するには、多数派の論理に毒されていず、心の論理を理解することが出来る、良き理解者に恵まれることが大切で、その指導を受ける親も、接し方が理解できるし、どのようにすればパニックを予防し、能力を損なわせず、不安感を抱かせないようにすることが出来るかを知ることです。理解する援助者、代弁者の存在が大切です。


発達ステージによる支援法
ステージ1(健常児の8ヶ月の発達に匹敵する)

周囲にある、たまたま目に止まったもの、以前に関わったものに向かいやすい。衝動的行為に向かうには、自己と他者の区別し、やり取りが成り立たないためである。対象への行為も、大人とのかかわりに関係なく、常同的、反復的なパターンになる。このような場合、注目して欲しい対象以外に目に入らない。そのため、各自の領域に区別された環境を作る。衝動的に向かうので、選ばせるために、距離を置き、2つから選ばせる、選択して指示に従うことを練習する。他者を介して物を見ることを、学ぶために、ほしいものを高いところに置く、見えるビンに入れる、そうして取ってあげる、蓋を開けるなどして大人の助けが必要を知らしめる。これらは、TEACCHプログラムの構造化された教室で用いられる。絵カードを選択して、大人に渡すと実物と交換してもらえる方法。物を求めるには手を用いる。しかし、自閉症児には手もその働きは多くの用途がある、物との結びつきも多くある。カードと物は一義的で分かりやすい。大人と子どもの間の領域区分をする上でも役立つ。ペクス:PECSと言う。

ステージ2(健常児の1歳半の発達に匹敵する)
この時期の子どもには<いま、ここ>の世界に外の世界が加わってくる。しかし、自閉症児にはそれを他者と共有しにくい。歩行できるので、行動範囲は広がるが、母親との距離を広げることになる。この時期、獲得したことばも折れ線のように失うことがある。
始めと終わりの時期を学ぶが、大人との供に行うことが少ないので、エンドレスになることがある。共同で行動しないので、待つ、誘うことが身に付かない。支援としては、ことばを育てて<いま、ここ>の外を指示し、行動に見通しを立てることが重要。音声言語は目に見えず、場に残らない、ので絵カード、写真カード、文字カード、実物の一部、動作サインなど、ことばの代用コミュニケーション手段が必要となる。
行動の始まりと終わりの理解には、上下、左右のように、行為の順番を空間的に表した教材が必用。1,2,3・・・の数詞を覚えると、どこまで、いくつまでというゴールを知る上で、どの順番で行うかを知る上で役立つ。これらは、TEACCHプログラムに多く当てはまる。しかし、視・空間的に表示することが出来ないことがある。動き、スピード、動き始め、止まる、向きを変える、この様な自動車教習所のような事を体得するには、音声と子どもに合わせた支援者のペースメーカーが必要で、音楽に合わせてテンポを制御するなども有効な手段である。

ステージ3(健常児の3歳頃の発達に匹敵する)
<いま、ここ>の時点から、過去、未来の出来事が分かるようになる。自閉症児は過去の出来事を、鮮明な映像記録を持っているのに、他者に伝える方法が無い。タイムスリップ現象は、時として過去の事がフラッシュバックして、突如、思い出し興奮状態になる。さらにパニックになる。周りにいる人は何に興奮しているかがわからない。
意思疎通のためには、出来事の<いま、ここ>から見た位置の特定・過去をする。何時、何処で、誰と、何を・・・という事であるが、自閉症児はこの過去の距離感・時間感覚が適切に表現出来ない。昨日も10年前も同じ語り口に表現する事もある。「ずーっと前」「ついさっき」などの相対的な時間を表すことばはわかりにくい。絶対的な時刻、カレンダー時計、スケジュール表で、今どの時点にいて、何処まで行くと何をするのか、明らかにする。
ことばでなく、写真、自分で描いた絵、地図で行った所を確認、日常を扱った絵本で日常生活の進行パターンを学ぶ等の工夫が必要である。
自閉症児は、この時間はこれ、この場所ではこれ、というこだわりを持ちやすい。その解消に、何時、何処で、誰と、何を・・・というような出来事の構成要素を明らかにして、その中にどの要素が変ったのか、変るのかを知る事が大切。
この時期は他の幼児との関わる機会が増え、協同で行動を進める遊びが増えるので、各役割分担の中で、自分の役割を理解し、こなしていくことを理解する事が必要。遊びのルールのパターンを学び、その進行の変化の意味を理解していく事が、ソ^シャル・スキル・トレーニングの初歩である。

ステージ4(健常児の4歳半に匹敵する発達)
子どもは相手の立場や感情を理解するようになる。自分の体験と人の体験を比較し共通点を見出し、一般的ストーリーと照合する事が必要。健常児は、心の働きを自然と身につける。自閉症はこれが身につかない。社会的場面でどのように行動したらよいかを示すのがソーシャル・ストーリーである。他には、予定を立てる前に人の意見を聞く、作文を書いて自分を振り返る。時に高機能の子達は「自閉症ファンタジー」の世界にはまり込む場合がある。現実とファンタジーとの切り替えを指導することも必要な場合がある。
熊谷高幸(自閉症)

自閉症スペクトラム指数(日本語版)のWWW版(採点機能付き)AQ測定

★注意
・ AQは「診断ツール」ではなく自閉症傾向のスクリーニング用ツール、つまり自閉かどうか診断する前
 のおおまかなふるい分け用のツールなので、AQだけで自閉症であるかどうかの診断はできない。
・ AQの対象となるのは、正常知能の成人である。

AQ測定による調査でわかったこと
・ 社会人や大学生の中にも、少数だがAQ上でAS/HFA群と同じ程度の高得点を示す人がいる
・ 自閉症の診断を受けていない人にも、自閉症的な傾向を持つ人がいる
・ AQで測定される自閉症スペクトラム傾向にはかなりの個人差がある
・ 今後自閉症症状のメカニズムを解明する上で、アナログ研究的アプローチが可能である

●自閉症スペクトラム指数のカット・オフ点
自閉症スペクトラム指数で高得点(33点以上)をとった学生12名を診断したところ、12名中7名が自閉性障害またはアスペルガー障害の診断基準にあてはまった(ただし、生育史が不明であることと、現在不適応を起こしていないため、自閉性障害とは診断されていない)。

自閉症スペクトラム指数33点以上には成人のアスペルガー症候群・高機能自閉症者群の9割近く(87.8%)が含まれるのに対し、健常群で33点以上をとるのはわずかに3%弱であることから、自閉症スペクトラム指数のカット・オフ点(健常者と自閉症の識別点)は33点と決定された。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E9%96%89%E7%97%87


多くの自閉症の解説本が出ています。個人的にいいと思うのを書き記します。
全部書くと多すぎると思い極少数に留めます。
この内容に多く引用させていただいた本は、多くはハウツー本の中で色々な自閉症者が書き記した内容と豊富な経験から書かれ、門外漢である耳鼻咽喉科医が読んでも納得できなおかつ自閉症スペクトトラムの事が十分頭に刻み込まれる内容を備えた本にめぐり合う事が出来た、

「自閉症スペクトラムものがたり」 東條惠先生著 考古堂
「自閉症スペクトル」 オーナ・ウィング 東京書籍
「自閉症」 熊谷高幸 ミネルバ書房
「ふしぎだね!?自閉症のおともだち」 ミネルバ書房
「ふしぎだね!?アスペルガー症候群(高機能自閉症)のおともだち」 ミネルバ書房
「自閉症児のための絵で見る構造化(TEACCHビジュアル図鑑)」 佐々木正美 学研
  上記3点は絵で説明されていて見やすい。
「自閉症ガイドブックシリーズ 1乳幼児編」 社団法人日本自閉症協会
「自閉症ガイドブックシリーズ 2学齢期編」       〃
「自閉症ガイドブックシリーズ 3思春期編」       〃
「自閉症ガイドブックシリーズ 4成人期編」       〃
「いとしご増刊 自閉症の手引き(あなたの隣のレインマンを知っていますか)」 日本自閉症協会
「いとしご増刊 こんなときどうしたらいい?―アスペルガー症候群・自閉症のお友だちへ―
          ヘイリーちゃんのアドバイス」 ヘイリー・モーガン・マイルズ 日本自閉症協会
  日本自閉症協会の本は、各年代に起こる疑問点をわかりやすく説明されている。
「2歳からはじめる自閉症児の言語訓練(あなたが育てる自閉症のことば)
        子どもの世界マップから生まれる伝え方の工夫」 藤原加奈江著 診断と治療社
  絵と分かりやすい文で説明されている。
「小・中学校におけるLD,ADHD,高機能自閉症の子どもへの教育支援」 
                                       上野一彦 教育開発研究所
「子どものためのバリアーフリーブックー障害を知る本 自閉症の子どもたち」 大月書店
  絵がふんだん、分かりやすい説明
「高機能広汎性発達障害 アスペルガー症候群・高機能自閉症の人たちのためのおたすけブック
  どうしたらいいの? 高機能ブロック ピアコスモ アスペの子達のおたすけ問答集」
                                       日本自閉症協会兵庫支部 
昔は、自閉症児の親が、色々な施設を探し回るという苦労話が「エミリー」にはあった。しかし、最近は、高機能やアスペルガーの人たちが自分の体験を語りだし、我々の伺い知れぬ、心の微妙な動きを感じる事が出来るようになった。

グニラ・ガーランド、森口奈緒美、ドナ・ウイリアムス、藤原寛子、リアン・ホリデー・ウィリー
ウェンディ・ローソン、泉流星、テンプル・グランデン、岡野高明/ニキ・リンコ、ニキ・リンコ/藤原寛子、スティーブン・ショア、トーマス・A/マッキーン、ケネス・ホール、アクセル・ブラウンズ、etc.

多くの示唆的な記述に、自閉症スペクトラムの謎を示すヒントが隠されている。これらの本や、古くから持っている本は写真に入りきらず省略しています。改築の時に整理した本もあり、表紙を覚えているが、出てこない本もあり、現在の主要な本のみ載せました。

付録
PECSペクス
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/atoz3/kado/book1/PECS(NAS).htm

健常児8ヶ月頃
まだ時間意識はない。私と赤ちゃんは、目の前の空間の範囲内で視点を一致させることで対象を共有することになる。相手の注意を引き出すには、見せる、渡す、受け取る、いじってみせる、指差す、などの方法がある。また、複数の対象を見せて選んでもらったり、集める、分ける、などの操作を加えてみる、などの方法も可能だ。この段階は、対象物は目の前にあるわけだから、ことばは芽生えていない。ただ「マンマ」などは場面と(大人が口にすると)連動した形で口にすることはある。
この段階は、行為は、つかむ、落とす、などの短い周期から、積む、並べるのどの長い周期のものに発展していく。さらに、歩行が可能になると、活動範囲は一気に拡大し、子どもと大人の持ち場のズレは大きくなる。<いま、ここに>の範囲におさまらなくなる。

1歳半頃
 対象物は<いま、ここ>の外まで追跡され、出現、消失が問題となる。行動の順序が決まってきて、見通しが付いてくる。それを、いつ終わらせるか、終わったものをいつ始めるか、始点、終点を決めることが必要となる。<いま、ここ>に時間軸が出来てくる。<いま、ここ>から外部に向かった共有物は目の前からなくなるので、物の代わりのものはことばである。「マンマ、チョウダイ」ワンワン、キタ」このように、事前、事後の出来事を支持できるようになる。「マンマ、タベタ」「マンマ、タベル」動詞の変化で過去、未来の出来事の区別もしていく。
行為のレパートリーが広がると、終わりに達する前に、次のことを考え、決めておくようになる。過去の過去、未来の未来と視点が移り、どの時点の未来なのか特定することが必要となり、より大きな視点で世界を見つめるようになる。

3歳頃
日付、時刻の時間軸が出来、いつ、何処で、誰が、何をなど、2人の間で質問と回答が交わされる。子供同士の遊びが、大人との遊びより多くなり、子供同士では、けんかしたり、譲ったりする中で、自分中心の世界から、相手の心を読むようになる。自分以外のヒトも独立した行動と過去、未来を持ち、相手も自分の事情を了解していないことに気付く。この中で、自分と他者との間の、過去未来を追跡できるが、<いま、ここ>の世界にまだ居るので、出来事の視点をずらして、過去や未来の出来事を見れるようなテスト、サリーとアンなどの、心の理論のテストはクリアーできない。

4歳半頃
なぜ、<いま、ここ>の世界から離れ、異なる立場にスフトするには、今までの経験を、比較、照合し、前の経験を考慮して、共通性を見出し、心に貯蔵していく。時間、空間的に独立した2つの行動ライン比較、照合して、過去、未来のどこか仮想的な<いま、ここ>を作り、あたかもそこにいるかのような気持ちで後先を見ることが出来る。行動の進み方一般を理解することにつながり、人間一般に共通するストーリの理解へと発展する。この時期に物語の関心が高まる。
この頃から、その場にヒトが居なくても、自分だけで、三項関係にもとづくものの捉え方を出来るようになる。自分を二重化して、仮想対話者として考えを進めていく。「あの時、ああしなければ、上手く行ったのに」「毎日、こんなにタバコを吸っていては、ガンになるかもしれない」と言う思考を我々はしている。我々は、行動の中心、進行中には心の状態を意識されないが、後で振り返ると、「反省の心」が浮かび上がる。
物語の主人公に心を投影させていくことが出来る。それは、ビー球を箱に移し変えられたことを知らないサリーの気持ちにもなれることである。

ここで、自閉症スペクトラムの場合、何か経験すると、全く同じものを次も再現しようとする。健常児は経験内容を変更しながら、前の経験を生かし、応用がきき、共通性を見出し、経験を広く活用でき、それをことばで表現できる。

自閉症スペクトラムには、
①感覚過敏のため、対象の持つ小さな差異を無視して大雑把に捉えることが難しい。
②鋭敏な感覚世界に他人が立ち入り経験を広げることを好まない。
③細部は違っていても数々の経験に共通する時間展開や感情を捉えにくい。
④感覚世界とことばという異なる様式のものを結び付けにくい。

物事の共通性を引き出す、ことばというものを利用しにくい。エリック・ショップラー(TEACCH創始者)が「自閉症者の経験を一般化しにくい特性がある」



上記の絵は「ことばのテスト絵本」の最後の方の絵です。3~4.5歳ぐらいに成らないと、この絵の説明は難しいようです。この時期は個人差が大きい。まず、園児の中心の保母さんをお母さんと答える子がいます。怪我している子に気付き、怪我しているとは分かりますが、それに気付いて手を差し伸べている男の子には気付きが少ないようです。まして、更に、皆が気付き、怪我の子を取り囲み、如何したの?痛い?といった光景になるようなストーリを展開する子はいません。

● 何している絵かな
○幼稚園
● 幼稚園で?
○心配している。
● どうしたのかな、この子?
○死んじゃった。かわいそう。
● ここどうしたの?
○足死んじゃった。
● こちらは?何しているの?
○1,2,3,4・・・・10個(子ども数える)
● 幼稚園でみんな?
○ てーをーつーなーぎーまーしょ・・・・(歌い出す)

この子は怪我していることは分かっている。幼稚園、園庭の子ども達も空間的に見えている。しかし、ストーリーに組み込めない。絵のストーリーは、呈示された絵の1つ前の場面と次の場面を想像し、場面をつなげていくこと。1つ前の場面では、怪我した女の子もお母さんもいなかった。呈示されている場面で、お母さん、怪我した子が現れる。男の子が気がつき、どうしたの?と声をかけ、次には他の園児も気付き、先生は2人のところにやってくるだろう。しかし、健常児でもかなり難しい。しかし、自閉症児にはもっと、過去、現在、未来の時間のつなぐ事が出来なくてはいけない。絵の中の連想がばらばらな連想を引き起こしている。このように1枚の絵から時間を引き出す事は難しい。4コマ漫画のような、時間的展開を空間的に一望できるようになっていると、分かりやすい。次々入る情報のストックは得意だが、時間軸の中のどのかに視点を置いて、前後を見渡す事に障害がある。

黒石敏弘



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