Looking glass


 

 

「アレに自分を重ねて見ているのではないか?」

「『あの娘』は…」

「意志だよ…大いなるね」

「……」

「未来永劫変わらぬ忠誠の証だ。あのお方が目的を成就させるための手段に過ぎない」

「まだ、計画が上手くいくと本気で思っているの?」

「可能性の問題ではないと言ったはずだ。あのお方が望まれたことが重要なのだよ」

「……人間の尊厳を何だと…」

「アレに尊厳などない。それは、一番知っているはずだが?」

「!!」

 

 ぱしゃっ。

 

 私のぶちまけたグラスの中の液体が、『彼』の顔を濡らした。

 

「……」

「……」

「……どうやら、今夜は虫の居所が悪いようだ」

「……」

「だが、計画は変わらない」

「……」

 

 

 『あの娘』を見ると不快になる自分がいる。

 彼女は私の鏡。

 そして、『あの男』の器。

 『あの男』と私が同じ世界にいる。

 耐えがたい苦痛。

 苦痛というよりは、屈辱かしら?

 母を捨てた男の妄執に、私も捕まっている。

 政治を良くすれば、幸せを掴めると思っていた。

 悪夢より出でた世界は正しく導かれなければならない。

 そう思っていたのに結果は無残なものだった。

 政界の壁など比較にならない巨大で禍禍しい壁に私は負けたのだろうか?

 

 もしかしたら、狂った闘いに勝敗はないのかもしれない。

 『あの男』は永遠に、この国を支配することだけを夢見ていたに違いない。

 建前上は、絶対的な権力を振るって、異国からこの国を護った。

 この国は、『あの男』の私物でしかなかった。

 けれども、『あの男』はやり過ぎた。

 恐怖による支配は、不安と疑惑を叛意に成長させた。

 『あの男』は、それに敏感に気づいた。

 そして、『あの男』は死んだ。

 私は何の感慨も湧かなかった。

 

 『あの男』の死は、苦しみの終わりではなかった。

 始まりだった。

 『あの男』の忠臣気取りの『彼』は、『あの男』のためだけに悪夢を継続させた。

 『あの娘』を生んだ。

 しかも、よりにもよって、私を利用して、だ。

 はじめて、『彼』に事実を告げられた時、私は信じられないくらい冷静に「そう……」と、言っただけだった。

 脳が痺れていたのかもしれない。

 『彼』が告げた狂気を理解するにつれて、『彼』を憎んだ。

 そして、『あの娘』を憎んだ。

 憎しみを、力に変えて改革に専念した。

 絶対王政が悪いとは思わない。

 絶対民主制が至高とも思わない。

 けれども、『あの娘』ような狂気を生み出す世界を残しておいてはいけない。

 『あの娘』は、私。

 だから、憎悪の中で親近感が渦巻く。

 やさしくしたい。

 護ってあげたい。

 『あの娘』は何も知らないのだ。

 でも、『あの娘』は、『あの男』。

 私と、『あの男』。

 血の束縛。

 

 

 

 

 

 向こうで、『彼』が『あの娘』の父親を演じている。

 好演だ。

 忠義の故かしら? それとも歪んだ愛情?

 ……私も演じなければならないと思うと苦痛だ。

 自分が、自分の母親代わりを演じるなんて、これほど滑稽なことはそうは無いだろう。

 それでも気づくと、本当に、彼女にやさしくしている自分がいる。

 

「おっ、彼女が来たようだよ…」

「えっ…」

「お久しぶりね…」

 

 『あの娘』は、嬉しそうだ。

 私は、公式の場以外でファーストネームを呼ぶように言った。

 『あの娘』はまた、嬉しそうにした。

 ……。

 彼女は、純粋だわ。

 私たちと違って……。

 

「あのお方は、彼のここでの処断をお望みです」

 

 ……。

 『彼』は、その場の雰囲気などお構いなしだ。

 やはり、娘だと認識していないのね…。

 

「今ここでする会話ではないわ…」

「ですが、申し伝えましたよ」

「……わかったと伝えて」

 

 私は語気を強めた。

 

「ええ」

 

 『彼』は、気にする風もなく軽く頷いた。

 私は、無視を決め込んで『あの娘』の手を引いた。

 

「さっ、こっちへ。お部屋へ案内するわ」

「はい」

「それでは、私は用事があるので一旦帰るが、明日早々に戻ってくるよ」

「はい、パパ。いってらっしゃい」

「それでは、『娘』をよろしくお願いします」

「……」

「お部屋へ行きましょう。その後で、本国のお話をしてあげるわ」

「はい……」

 

 

 

 

 

 今日、また罪が増えた。

 情報部の次長。

 彼は死んで当然の男だった。

 とても柔和な笑みの奥で、平気で人を苦しめてきたあの男に相応しい最期だと私は思う。

 私見にしか過ぎない。

 それでも、生きる価値の無い人間は確実にいるのよ。

 ただ、それを判断するのは傲慢なこと。

 そのために、司法がある。

 決められた枠組の中で、判断するしか無いの。

 しかし、次長は司法の裁きすら受けずに死んだ。

 民主主義改革論者の私の知る場所で。

 私を含め、この計画に関わった人間はすべて傲慢なのよ。

 

 

 

 

 

「大丈夫?」

 

 私は、『あの男』が消えて、気を失っている『私』の身体を軽く揺する。

 彼女は、すぐに目を開けたが状況が理解できないようだ。

 

「……?」

「気を失っていたようね…もう大丈夫だわ」

「はい……」

「最近、よくこうなるの…?」

 

 最近、怖い夢は見るの?

 とても、不快な夢を。

 諦めきれない生と権力への妄想を。

 

「ええ…昨日も確か、気を失ってしまって…」

「そう…今日はもう、安静にしていなさい」

「はい…」

 

 もう、戻って来ないで。

 そのまま起きないでいて欲しいわ。

 

「お父様が、もうじきやってくるわ」

「パパが…」

「明朝、出航よ…」

「はい……」

「あなたはそこで…」

「わかりません…神のご意志のままに」

 

 彼女は自信なさげにそう言った。

 

「ダメよ、それでは!」

 

 思わず大きな声を出してしまった。

 それでも!

 それでも、『あの男』の意志では決めさせたくない。

 あなたは、『私』なのよ!!

 

「……」

「あなたの意志で選びなさい。それがもしダメであっても、精一杯努力をすればいいの」

 

 運命には逆らえない。

 けれども、道を選ぶのは、『自分の意志』。

 時として、人の意志は、運命を変えるほど強いものなのよ。

 

「……」

「後悔だけは、してはいけない。そのことを、覚えておきなさい」

 

 後悔だけは…。

 私と同じ道だけは…。

 

 

 

 

 

「では、あの計画に関しては、まったく逆の立場だったと……」

「王権派に対して利することを、私がするはずないわ。あなたの前で言うことではないけれど」

「お気遣いは無用です」

「では、あなたが即位した場合は…」

「当然、王権派の方々はその権力を失い、政治は民の元へと戻ることでしょう」

「驚きね…次期女王になろうとしていたあなたが、実は反王権派の筆頭だったなんて」

「このことはまだ、ご内密に願います」

「誰にも言えないわよ」

 

 特に、『あの娘』と、『彼』には、ね。

 

「前国王の権力が衰退し、王権派の大多数が反国王にまわったとき、私はこの計画を思いついたのです」

「前国王は、反王権派に付け狙われていた。いつ殺されてもおかしくない」

「そこで前国王は、ドールマン=孔の例の研究に目を付けたのでしょう」

「忠臣の『彼』を通して、彼の研究を調べ、それが合致いくと判断を下した」

「前国王は、少し精神に失調をきたしていました。完全な躁鬱(そううつ)状態だったようです」

「『彼』はそれでもなお、前国王の意志をまっとうしようとしているわ。大した忠臣ぶりだけど」

 

 私には理解できないわ。

 忠臣が主君のために命を投げ出すのは、わかる。

 けれども、主君が狂った時、刺し違えるのが真の忠義ではないかしら。

 『彼』は、ただ保身のために『忠臣』を装っている。

 

「はい…彼女は、前国王以上の暴君となり、人々の上に君臨することでしょう」

「彼女は未だ、自分を…」

「…彼女は、彼女ではありません」

「誰?」

 

 『あの男』?

 『彼』の手段?

 それとも……私の鏡?

 

「神のみぞ知る…そして彼女が女王になった場合は…」

「今以上に、苦しむ人々が出てくるというわけね…」

「彼女は…いま、生きていてはいけない悪しき亡霊なのです」

 

 

 

 

 

 ……。

 まさか、王権派の『彼女』が改革派の急先鋒だったなんて…。

 フフッ、皮肉なことだわ。

 改革派の重鎮二人が、王権派だったのに。

 ……。

 いいえ、『彼』は、『前国王』派ね。

 そして、私は王権を憎んでいる。

 結局、王権派など存在していない。

 あるのは、『前国王』という名の古き怪物と、それを否定する『改革派』だけ。

 『彼』とは一緒に歩めない。

 『彼』はもう、引き返せない狂気に心を引かれている。

 私は、この国をその狂気から開放しなければならない。

 他人を犠牲にしてでも、改革をやり遂げる。

 それが、私の夢であり、贖罪だからだ。

 けれど、『彼女』を心の底から信用して良いのかしら……?

 彼女も、王族であることには変わりない。

 王族…か…。

 本当に皮肉なものね。

 私は、王権など人を苦しめるだけの存在だと一番良く解かっているつもりだわ。

 でも、少なくともこの地で、最も国民を導く力を持っているのも王の血。

 私が消し去ってしまいたい体内に流れている赤い液体。

 

 

 

 

 

「どうしたの、急に訪ねてきたりして…」

「すみません…」

「座って…コーヒーでも入れるわ」

「彼女と、話をしていましたね」

「……」

「聞きました」

「そう…」

「…何か、言うことがないんですか?」

「ないわ…」

 

 何もないわ。

 

「……」

「……」

「私は、何ですか?」

 

 『私』よ。

 あなたは、『私』。

 

「私の母親は、爆弾テロで前国王に殺されたわ! 私はその憎しみを胸に、今まで生きてきたっ!」

「そう、『彼』に言われたの?」

「……」

 

 本当に、あなたは、私なのね。

 本当に、私であるように記憶され、私であるように教え込まれているのね。

 ……いいわ。

 知りたいなら、教えてあげる。

 私が真実を与えてあげる。

 

「ある女性がいるの…その女性はね、国王の側室にいたわ」

「……」

「その女性はね、国王の子供を身ごもった。けど堕胎を拒否して逃亡したわ」

「……」

「そしてあるとき、1人の女の子を産んだの。そして母親はそのあと、爆弾テロによって殺されたわ」

「だ、誰の…ことなんですか?」

「女の子はすくすくと育って…」

 

 『日本駐在大使の娘として、現在に至っている』

 その言葉を待っている怯えに染まった瞳が私を捉え続けている。

 かまわずに、私は真実を告げた。

 

「いまや一国の首相にまでなったわ」

「!!!???」

 

 そして、あなたの目の前に座っている。

 

「それが真実よ…」

「そんな…ウソよ…」

「……」

「ウソよ…ウソよ!」

「そうね」

 

 そうね。

 戯言だわ。

 真実であっても。

 

「私は『私』よ! この腕のアザを見て! これは小さい頃、階段から転んで付けた傷!」

 

 そうね。

 

「見て! 中指がちょっと太いのは、ハイスクールのとき鉄棒で突き指したからよ!」

 

 あなたの言う通りよ。

 

「何とか…言ってよ!」

 

 真実よ。

 あなたは、私。

 私は、あなた。

 たとえ、記憶の一部であっても。

 

「いやぁぁぁぁぁぁっっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 『あの娘』は飛び出して行ってしまったわ。

 

 ……。

 シャワーを浴びたい。

 すべてを洗い流したい。

 

 戴冠式の後、仕事が山済みになっている。

 『桂木』……。

 彼も、この船に来ている。

 彼は『あの娘』をどうするつもりなのかだろうか?

 それに、『桂木』の息子と、日本政府のあの女性……。

 

  ガタッ…

 

「誰?」

「……」

「プリシア様…?」

「……」

 

 ……?

 

 

  ドスッ!!

 

「っ!!」

 

  ガタッ…ズリッ…

 

  ツーッ…

 

 

 

 プ…リシ…ア…?

 

 何故……?

 

 桂木……。

 

 呼吸ができないわ…。

 …桂木…それに…御堂…あなたたちより…先に逝くのね…。

 

 私の…首から…血が流れ出てる……。

 憎い『あの男』の血が……抜け出していく。

 ああ……淀んだ古い血を出しきって……純粋になれるかしら?

 でも、ママには……会えないわね…。

 天国に行くには……罪が深すぎる。

 

 …私の罪…御堂…真……。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 

 

 

 

「我ガ…娘…あくあ…。裏切ラセハ…シナイ…ワシノ…中デ……永遠ニ…眠レ…」

 

 


あとがき

 はい、エルです。

 暗い…暗い、な。私の書いたものとも思えない。

 で、内容はといえば、アクアさんの話ですね。全然、アクアさんじゃないぞ、こんなの(爆)

 何か、ひねくれた女性になってるような気がしないでもない。しかも「血」だの「血統」だのと、グレミーかい!?(自爆)

 「自分の意志で決めなさい。後悔だけはしてはいけない」という素晴らしい言葉の裏で、こんなこと考えてたらイメージダウンですな(笑)

 設定的に、上記の言葉は、政治の壁にぶち当たった時に、源ちゃんに言われた言葉とか考えていましたが、まったく使用できませんでした(笑)

 それどころか、エゴまるだし…。

 怖い怖い…。

 んじゃ、そういうことで、マッサラーマ♪

 

 ……マッサラーマ使わなかったな、文中に(謎)


管理人よりお礼の言葉

 エルさんに戴きました。

 確かにとてもエルさんが書いたものとは思えない作品ですが。

 けど『魂を貪るもの』はこんな感じだったような‥‥。

 何故私の所に回ってきたのかは判りませんが、
アクアさんのだけは書けないと思っていた意味が理解できた気分です。

 私が書いてもこんな感じになっているでしょう‥‥。

 というかシリアとオヤっサンに引き続きグレンのをやろうとした時に
(グレンのはTokitAサンが書かれる手筈になりましたけど)
アクアさんはどうしたといわれて尋ねられて、
エルさんが書いてよと言ったのが原因だったのでしょうか (^^;

 結局資料を出させられたんですけど(笑)
校正もいろいろやらさせていただきました(冷汗)

 5月下旬ぐらいに貰っていたのですが、
調整中という話だったのでどんどん延びました、3周年の日まで(笑)

 当初、ロストワンの日に公開するかとも言っていたのですが(笑)

 エルさん、ありがとうございました。


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