三角形の内角の和にまつわる別世界の幾何学

 有名な『三角形内角問題』がありますよね。
 それを題材に、我々の知らない幾何学世界を紹介します。
 我々の常識を打ち砕く、奇妙で不思議な世界です。

1.こんなパズル問題、ありましたね

 頭の体操的なパズル問題にこういうのがありましたよね。
 三角形の問題です。

 「三角形の内角の和は 180°である」は周知の事実です。
 しかし、実は 180°よりも大きな三角形が存在するという!
 それはどんな三角形だろうか?

図 1-1

 正解は「地球の表面に描かれた巨大な三角形」です。
 例えば、図1-1 のように子午線2本と赤道で囲まれた形ですね。

 そうか!
 長い長〜い真っ直ぐな線を地面に引くという手があったね!
 そうすれば、図1-1 みたいに 270°の三角形ができたりする。
 線が思いっきり湾曲してるけど、あくまで「地面に真っ直ぐ引いた線」だから直線とは言えますもんね。
 そういう意味では、これも立派な三角形か。

 やっぱり「発想のスケールの大きさ」が魅力ですよね。頭の体操系のパズルは。
 この問題も例に漏れず、身の回りや机上の範囲では正解は絶対に出てこない。
 こういった問題は、解けなくても楽しめます。
 解答を見て「こんなん思いつかんわw」と苦笑いするのもオツなもの。

 この問題、普通に納得する方々は多いかもしれません。
 地球が巨大すぎて丸みを認識できないですもんね。どんなに長く歩いても、自分の周りは真っ平ら。
 となれば、「図1-1 の3本線はどれも直線だ」と認めざるを得ないというモンです。

 ただ、この話は結構複雑でして。
 当然ですが、直線とは「少しも曲がっていない真っ直ぐな線」を意味するわけですよね。
 ということは、こういうツッコミが来てもおかしくはない。

丸みに沿っている時点で直線じゃないよ!
だから、あれは三角形じゃないよ!

 しかし。
 仮に 図1-1 の黄色の線を実際に歩いた人がいたとすると、こういう反論が返ってくるかもしれない。
 (実際に歩ける人なんて一人もいませんが、まぁそこは目をつぶってください😅)

いいや、私は真っ直ぐ歩いたんだから、これは直線です。
だから、これは三角形です。

 そして議論が紛糾してしまう。
 もぅワケわからん😅
 どっちが正しいんだ?

 この反論、しょーもない屁理屈や逆張りなどではありません。
 「真っ直ぐ歩いた」という言い分は、とある世界では正しいんです。
 それを解説するために、皆さんをその世界へご案内しようかと思います。
 その世界の名は「球面幾何学」
 当ページでは、球面幾何学の世界からこの『三角形内角問題』を考察してみます。

2.「球面が全て」という世界

 我々が普段認識している空間は ユークリッド空間 と呼ばれています。
 俗に言う「2次元・3次元」というヤツですね。皆さんご存じのヤツです。
 アニメなどの実写化は「2.5次元」と表現されたりするけれど、これは「2次元=平面、3次元=立体」を同時に表しているうまい表現と言えるかもしれません。

 このユークリッド空間ですが、厳密には、古代ギリシャ数学と現代数学では指す内容が少し異なります。
 前者はユークリッド『原論』の舞台となる空間を指します。セクション4-2で触れていますが、5個の「公準」などを導入して議論される空間です。
 後者は「1次元は直線、2次元は平面、3次元は空間」という軽い認識で差し支えありません。

 球面幾何学を語る前に、ユークリッド幾何学に触れておきましょう。
 ユークリッド幾何学 とは、数学者ユークリッドが自著『原論』にて展開した幾何学のことです。
 我々は学校でいろんな図形を学んできましたが、これらはすべてユークリッド幾何学の産物です。
 例えば、直線は「どこも曲がってない真っ直ぐな線」、三角形は「直線3本で囲まれた図形」と認識していますよね。
 我々にとってこれらはもはや常識。ユークリッド幾何学は我々の頭に知らず知らず根付いているんです。

 しかし!
 今から話す世界、球面幾何学はユークリッド幾何学とは何もかもが違います。
 皆さんの直感や常識などは通用しなくなる。
 なんせ「この世界の言う直線とは丸い形をしているのだ!」という世界ですから。
 今までの知識を一旦捨てて、知識ゼロの心持ちで球面幾何学に異世界転生していってください😊

 では、いよいよ本題に入りましょうか。
 まず、世界となる球面を1つ用意しましょう。

図 2-1

 今、球の中心Oを通る平面でこの球面を真っ二つに切ることを考えてみます。
 すると、切り口は最大サイズの円になりますね。
 この円周を 大円 と呼びます。
 そして、球面幾何学の世界ではこの大円を 直線 と呼びます。

 図2-1 で言うと、青色で示した大円ですね。
 これが直線です。
 ……なんか「円が直線です」と言うと頭が混乱しちゃいそうですね😅
 ユークリッド幾何学と区別するために、球面幾何学における図形は《直線》などと括弧で括って表すことにしましょう。
 ちなみに、地球でたとえると赤道や子午線は《直線》と言えます。
 赤道以外の緯線は《直線》ではありません。

 球面上の2点を通る大円を描くと、その大円は2点間の最短距離(球面上の最短ルート)を与えます。
 実は、これはユークリッド幾何学にも同様の性質があるんです。
 2点P, Qを直線で結べば、線分PQ の長さが最短距離を表しますもんね。
 最短距離という視点で捉えると、「大円は《直線》である」という考えは理に適っていると言えるでしょう。

図 2-2

 さて、《直線》ができてしまえば、《三角形》も作れますね。
 球面幾何学でも同じ方法をとります。

  • 同一《直線》上にない3点を《直線》で結ぶと図形ができる。この図形を 球面三角形 と呼ぶ。

 図2-2 の通りです。
 3点A, B, Cが同一の大円に乗っていない時、2点を結ぶ大円を3つ描くことができます。
 すると、その3つの大円に囲まれた図形が球面に現れる。
 これが球面三角形です。ここでは《三角形》と表記することにします。
 この図だとちょっぴり湾曲しているだけの《三角形》ですが、半球をほぼ覆い尽くすような奇妙な形をした物もあったりします。

 さぁ、これで《三角形》ができました。
 次セクションでは、その内角について考察していきましょう。

 ユークリッド幾何学では「三角形の内角の和は 180°」が成り立っていますよね。
 では、球面幾何学の場合はどうだろうか?
 とりあえず、既にセクションでは 270°の《三角形》が現れている。
 奇妙な球面幾何学の片鱗がチラッと窺えますね。

 和は際限なく大きくできるんだろうか?
 逆に、和が 180°より小さい場合はあるんだろうか?
 果たして、どんな結論が待っているんだろうか……?

3.内角の和180°の球面三角形は不可能だった

 前セクションでは三角形を定義しましたね。
 今度は、三角形の内角の和についての話をしていきましょう。
 以降は《 》表記をせずに解説します。
 球面上の図形しか登場しないので、混乱することはないでしょう。

 さぁ、三角形の内角の話について、球面幾何学ではどういう結論が待っているんだろうか?
 もぅ結論を言っちゃいましょう。
 こうなるんです。

 これはユークリッド幾何学では絶対にあり得ない!
 なぜ、こういう不思議な結論になるんでしょう?
 それを突き止めるため、三角形の面積を求めるという手法をとってみます。
 トリッキーは方法ではあるけれど、実はこの手法のおかげで上記の結論にたどり着けるんです。

 まず最初に、ちょいと風変わりな図形を紹介しましょう。
 ユークリッド幾何には存在しないけど、球面幾何には存在する図形です。

図 3-1

 図3-1、赤色の図形です。
 なんて言うか、剥いたミカンの皮? タマネギの皮?
 食べた後のスイカの皮?
 三日月っぽくも見える?
 そんな不思議な図形です。

 実は、球面幾何の世界では、2本の直線は必ず2点で交わります。
 その2点を頂点として、まるでスイカの皮みたいな図形が存在するんです。
 これを 球面二角形 と呼びます。
 当ページでは単に「二角形」と表記することにしましょう。

 実は、二角形の2つの頂点はちょうど球の直径の両端に位置します。
 図3-1 だと、線分ABは球の直径なんですね。
 そして、この二角形の2つの頂角は等しく、2本の辺の長さも等しい。
 そういう性質を持っています。

 つまり 正二角形 と呼べるシロモノだった!
 面白い図形です。

 さて、ここで二角形の面積を考えてみましょう。
 二角形の2つの頂点は、球の中心から見て点対称の位置にあります。
 となると、球の対称性などを考えて、二角形の面積は簡単な式で表せます。

 二角形の面積がわかったところで、三角形の面積を求めてみましょう。
 半球の表面積を利用してうまく求めてみます。
 こ〜んな感じで。

 さぁ、これで三角形の面積が判明しましたね。
 実は、この式には内角の秘密が隠れているんです。

 さぁ、これでセクション冒頭の結論が示されましたね。
 その結論をもう一度。

 球面三角形、本当に 180°より大きかった!

図 3-2

 あらためて、セクションの 図1-1 をもう一度(図3-2)。
 この巨大な三角形を見て「地球規模で線を引く」という常識外れのスケールに我々は驚嘆し、パズルの題材にもなりました。
 ところが……

球面幾何の世界では、何の変哲もない平凡な三角形だった。

 湾曲した直線、湾曲した三角形、内角の和は 270°。
 ユークリッド幾何学ではあり得ないこれらの非常識、球面幾何学では誰も驚かない普通の常識ばかりだった……。
 セクションで出したパズル問題、球面世界の住人達からしたら「そんなの全部だよw」と一蹴されて終わりです😅
 パズルにもなりゃしねぇ😅

 自分の常識は他人の非常識。
 自分の非常識は他人の常識。
 まぁ視野の狭さを戒める教訓というわけではないけれど、幾何学でもこの2つは成り立つんですね。
 世界が違えば、あらゆる物が違う。面白い。

 逆に、その球面世界の住人達にはユークリッド幾何学はどのように見えているんだろうか?
 機会があれば尋ねてみたいもんです。

 さて。
 セクションにはツッコミと反論がありましたね。
 もう一度書いてみましょう。

 皆さんはもうおわかりだと思います。
 【A】はユークリッド幾何学を根拠にしたツッコミ。
 【B】は球面幾何学を根拠にした反論。
 こういうわけだったんですね。

 なお、【A】【B】どちらが正しいのかを議論することは無意味です。
 【A】は「ユークリッド空間に存在する球面」に対する発言であり、【B】は「球面幾何を導入した球面」に対する発言です。
 論じている世界がそもそも違います。
 同じ図形であっても、導入されている幾何に応じて論じるべき内容が異なる。そういう話なんですね。
 幾何学たちの間で正否や優劣を付けるのはナンセンスです。

 【B】は【A】への反論にはなっていません。
 逆もしかり。【B】への反論に【A】を持ち出すのも的外れです。

4.おまけ

 ここからは余談です。
 これまで、『三角形内角問題』に対して話をしてきました。
 「球面幾何学」という未知の幾何学、丸い直線、「二角形」などの風変わりな図形、etc...
 摩訶不思議な世界の片鱗を味わっていただけたでしょうか?

 我々の慣れ親しんだユークリッド幾何。
 そして、異世界のような球面幾何。
 実は、この2つの間には決定的な違いがあるんです。
 それは何か?

決定的に違うのは、平行線の本数である。

 「なんだそりゃw」と言われそう😅
 でも、幾何学の世界において「平行」はずいぶんと面白い存在だったりするんです。
 その話をしてみようと思います。

4-1.幾何の違いは平行線の違い

図 4-1

 ちょいとこんなことを考えてみます。

直線a、そして、a上にない1点Pを用意する。
Pを通りaに平行な直線は何本引ける?

 それぞれの幾何で検証してみましょう。
 図4-1 の通りです。
 ユークリッド幾何の方は、1本だけ引けますね。
 対して、球面幾何の方は……あら、1本も引けないわ😞
 どう引いても直線aと2点で交差してしまう。大円同士は必ず交わっちゃいますもんね。

 かたや1本、かたや0本。
 引ける平行線の本数は異なりました。

 実は、平行線の本数に応じて幾何学は3種類存在するんです。
 まず、「1本」に対応するのはユークリッド幾何学です。
 そして、「0本」に対応するのは 楕円幾何学 と呼びます。
 「2本以上」に対応するのは 双曲幾何学 と呼びます。
 (※ 無限個も「2本以上」に含みます)

 なんか新しい名前が2つ出てきましたね。
 両者を具体的にイメージするのは難しいかもしれません。
 楕円幾何はまだイメージしやすい。モデルとして球面幾何があるから。
 双曲幾何は……身近なモデルは私には思いつきません😓
 まぁ「そういう幾何学もあるんだな」くらいの軽い認識にとどめちゃってください。

 さて、セクションでは三角形の内角の和について話を進めましたね。
 実は、あの結論は球面幾何に限った話ではありません。
 楕円幾何と双曲幾何にはそれぞれこういう性質があるんです。

  • 楕円幾何では、三角形の内角の和は常に 180°より大きい
  • 双曲幾何では、三角形の内角の和は常に 180°より小さい

 球面幾何は楕円幾何の一種です。
 そして、「地球」という打ってつけのモデルがある。
 そのおかげで、セクションのようなパズル問題が成り立ったわけですね。
 逆に、双曲幾何を利用すれば、こ〜んなパズル問題もできたりするのかな?

 「三角形の内角の和は 180°である」は周知の事実です。
 しかし、実は 180°よりも小さな三角形が存在するという!
 それはどんな三角形だろうか?

 ただ、残念なことに、その問題に相応しい身近なモデルがこの世にはありません。
 残念だ😞
 皆さん、そういうモデル、宇宙のどっかに落っこちてないですか?😅

4-2.平行線から非ユークリッド幾何学へ、長かった数学者達の闘い

 当ページを執筆するにあたって球面幾何をいろいろ調べていくと、非ユークリッド幾何学関連の歴史がずいぶん面白かった!
 幾何学の「平行」という概念、はるか大昔から数学者達の悩みの種だったとは驚きでした。
 その話をしてみたい衝動に駆られたもんで、ここでちょいと非ユークリッド幾何学史を軽くつぶやいてみます。
 あ、私は専門家ではないので奥深いところには立ち入りません。うわべだけ。
 数学者など専門家による深い話は書籍にもネット上にもあるので、ガチの話はそちらをご覧ください。

 時は紀元前。
 古代ギリシャの数学者・ユークリッド(B.C.300頃)の時代まで遡ります。
 当時の王プトレマイオスに「幾何学を学ぶもっと易しい方法はないのか?」と言われても、「王様も普通の人も同じように努力しなければなりません」と窘めた。ユークリッドのエピソードは有名ですね。
 いわゆる「幾何学に王道なし」「学問に王道なし」の由来となった人物です。
 幾何学を学ぶ上で、ユークリッドを欠かすことは絶対にできません。

 そのユークリッドには有名な著書があります。
 『ストイケイア』と呼ばれる、全13巻の大著。
 日本語では『原論』と呼ばれていますね。
 これは、幾何学や数論などの知識を1つの理論体系としてまとめた書物です。
 今日でも幾何学の教科書的存在であり、聖書に次いでよく読まれた書物だと言われています。

 その『原論』の中で、ユークリッドは23個の定義・9個の公理・5個の公準を述べています。
 そして、それらを駆使してさまざまな定理を導いている。
 その中には、あの有名な「ピタゴラスの定理」もあります。

 さて、これらのうち「5個の公準」にスポットを当ててみましょう。
 あ、「公準」というワードは聞き慣れないですよね。
 公準は公理と同じだと捉えて差し支えありません。
 公準は幾何学に関する公理だと捉えちゃってOKです。

 公理は数学一般を論ずるときに議論の基礎になるもの,公準は幾何学を展開するのに真と仮定して議論の基礎にするものという意味に使われている.
『モノグラフ 数学史』p.39 より

 公理(公準)とは、「理論を構築するにあたってスタート地点に置く命題」のことです。
 最初に「公理は(証明無しで)すべて正しい」と認めることにして、それを皮切りに論理を進めて理論体系を作っていくんですね。
 公理はいわば「種」と言えるかな?
 まずは種(公理)を蒔き、肥料(定義)も与えて種を育てて花(定理)が咲く。
 花が咲き乱れて広大な花畑(論理体系)ができあがる。
 こんな感じ。
 逆に、公理を置かないと理論は発展しようがありません。
 数学は「蒔かぬ種は生えぬ」とも言えるかな。
 (※ 私の勝手なイメージです)

 では、5個の公準を紹介しましょう。

  • 任意の点から他の点へ直線を引くことができる。
  • 任意の線分は両方向へ延長することができる。
  • 任意の点を中心とし、任意の半径で円を描くことができる。
  • 直角はすべて相等しい。
  • 1直線が2直線に交わっており、同じ側にある内角の和が2直角よりも小さい場合、その2直線をその側へ限りなく延長するとその2直線は交わる。

 これが5個の公準です。
 ……いやいやいや、1個だけすっごく目立ってるじゃぁないの😅
 そう。やけに目立ってますよね。
 【公準5】が異常に複雑で長いのです。
 何でだ?

 【公準5】を簡単に説明しましょう。
 今、3直線がキの字に交わっていて、タテ線の右側の内角α, βに対してα+β<180°となっている。
 この時、2本のヨコ線を右側へ延長していけば必ず交わる。
 こういうことです。
 α, βは同側内角と言いますね。

 さて、【公準1〜4】は文が短くてスッキリしていますよね。どれも自明に見えるし公準としてすんなり受け入れられる。
 しかし、【公準5】は明らかに異質だ。
 あんなゴチャゴチャしたものを幾何学の土台に据えて良いものだろうか?
 もしかして……他の公準で証明できちゃったりするのでは?
 これが議論の的になり、どうにか【公準5】を証明できないかと数学者達は考えるようになりました。

 ところが!
 これがうまくいかないんです。
 数学者達がどんなに頑張っても【公準5】を証明できない。
 ユークリッドの『原論』で立てられた【公準5】は紀元前の話。
 数学者達の懸命な努力にもかかわらず実を結ばない。花は一時も咲かないんです。
 ただただ月日が流れていくばかり。

 ただ、進展がなかったわけじゃぁありません。
 【公準5】と同値(つまり必要十分条件)な命題がいろいろ生み出されてはいたんです。
 例えば……

  • 直線外の1点を通りその直線に平行な直線は、ただ1本存在する。
  • 平行な2直線に第3の直線が交わっている時、錯角は等しい。逆に、錯角が等しければ2直線は平行である。
  • 三角形の内角の和は 180°である。
  • どの三角形にも外接円が存在する。
  • ピタゴラスの定理が成り立つ。

 他にもまだまだたくさんあります。
 このうち【命題A】を図に描くとこんな感じ。

 直線aと、a外の1点Pをとる。点Pを通りaに平行な直線は1本しかありません。
 これはセクション4-1の 図4-1 にも示しています。
 この【命題A】により、【公準5】は 平行線公準 とも呼ばれています。
 この平行線公準に数多の数学者が挑み、敗れ去ってきた。でも、それはそれで議論は発展していきました。

 時は流れ、19世紀初め。
 未だに平行線公準は証明されていません。
 『原論』の時代からもぅかれこれ2000年以上は経っている。
 「もしかして……平行線公準は証明できないのでは?」
 そんな考えも現れるようになってきた。

 そんな時、意外な視点から解決のキッカケが訪れる。
 衝撃の事実が明らかになったんです。

平行線公準を否定すると、別の幾何が成立する!

 例えば、【公準5】(つまり【命題A】)の代わりに次の【公準X】を採用してみる。
 それでも、何ら矛盾のない幾何体系ができあがるというのです。

  • 任意の点から他の点へ直線を引くことができる。
  • 任意の線分は両方向へ延長することができる。
  • 任意の点を中心とし、任意の半径で円を描くことができる。
  • 直角はすべて相等しい。
  • 直線外の1点を通りその直線に平行な直線は、複数存在する。

 ただ、その場合、ユークリッド幾何とはかけ離れた幾何ができあがります。
 「内角の和がいくらでも小さい三角形や多角形が存在する」など想像もつかない摩訶不思議な性質が次々と現れ、我々の理解しがたい異様な光景が広がる。
 なろう系小説ではよく異世界が現れるけれど、なんと数学にも異世界が現れた!

 この新しい幾何の発見については、3人の数学者ガウス(1777-1855)、ロバチェフスキー(1793-1856)、ボヤイ・ヤーノシュ(1802-1860)が有名ですね。
 ボヤイの悲運も含めてご存じの方々も多いでしょう。

 当時はこの幾何学の存在はほとんど知られていませんでした。
 ガウスはその幾何学を発見してはいたものの、発表をずっと避けていた。そのことがボヤイの悲運につながってしまうわけだけど、まぁ……時代が時代です。
 なんせ、幾何学者にとってユークリッド幾何学は 2000年以上もの長い歴史を誇る絶大な存在。
 他の幾何学なんて想像だにしない時代です。
 なのに、そんな異世界がいきなり現れてしまったら……?
 たとえ正論であろうとも、世に問えば大きな波紋を呼ぶ。いつの世も、斬新なアイデアにとって「無理解な多勢」は大敵です。

 ただ、公表はせずとも、ガウスは新幾何学の内容を密かに研究していた。
 世人に認められずとも、ロバチェフスキーは新幾何学の理論体系を研究・発表し続けた。
 ボヤイは平行線公準に依らない「絶対幾何」を作り上げていた。
 ガウスの没後、そういった非ユークリッド幾何学の理論は広く知られていきます。
 とは言っても、当時はまだ理論上の概念でしかなく、イメージしにくい難解な物でした。

 が、ある画期的な出来事が非ユークリッド幾何学に大きな転機をもたらすことになる。
 数学者クライン(1849-1925)によって、非ユークリッド幾何の具体的モデルが生み出されたんです。

 これは一体何を意味するのか?
 非ユークリッド幾何学の理論体系が可視化された、ということなんです。
 異世界の直線・角度・多角形などの姿が人々にお披露目され、先述した「内角の和がいくらでも小さい三角形や多角形が存在する」などの摩訶不思議な定理も目で認識できるようになったんです。
 この「可視化」は本当に大きかった。
 おかげで理解のハードルが格段に下がり、非ユークリッド幾何学は受け入れられるようになっていきました。
 その後も研究は進み、「ベルトラミの擬球」などさまざまなモデルも生まれています。
 モデルについては、クラインの他にはケーリー(1821-1895)、ベルトラミ(1835-1900)、ポアンカレ(1849-1912)などの数学者も有名でしょうか。

 ここで、モデルを1つ、ちょびっとだけ紹介しましょう。
 ポアンカレの上半平面モデルです。
 内容をごっそり端折っているので下図の説明は不正確ですが、大まかなイメージをつかんでいただければ十分です。
 (※ 正確な内容についてはご自身でお調べください)

 実は、これらのモデル達には共通点が2つあります。

  • ユークリッド空間内の平面や曲面の上にモデルが作られている。
  • ユークリッド幾何学の知識を用いてモデルの幾何体系が構築されている。

 モデル上の諸々の図形は、ユークリッド幾何の要素(皆さんが日頃認識している線分・円弧・角度など)を使って定義されています。
 そして、モデル上の諸々の定理はユークリッド幾何学を通して証明されています。
 これらを踏まえると、非ユークリッド幾何学の立ち位置が見えてくる……。

非ユークリッド幾何学は、ユークリッド空間内の特殊な曲面の上で展開される幾何学である。

 非ユークリッド幾何学は、ユークリッド幾何学を土台として成り立っている。
 これは、ユークリッド幾何学に矛盾がなければ非ユークリッド幾何学にも矛盾はない、ということを意味します。
 ユークリッド幾何が正しいなら非ユークリッド幾何もまた正しい!
 こういうわけです。
 2つの幾何学は敵対する物ではないし、一方のみが正しいという物でもない。
 どちらも正当な幾何学なんですね。

 ガウス達に始まりクラインモデルで初めて可視化された幾何、これは双曲幾何と呼ばれます。
 それに対して、非ユークリッド幾何はもうひとつ存在します。
 楕円幾何です。
 その幾何では、【公準5】の代わりに次の【公準Y】が採用されています。

  • 直線外の1点を通りその直線に平行な直線は、1本も存在しない。

 セクションの球面幾何は楕円幾何のモデルですね。
 他には数学者リーマン(1826-1866)の考案したモデルもあります。
 球の中心に関して対称な2点(いわゆる対心点)を同一視するという、結構ややこしい幾何です。

 リーマンの非ユークリッド幾何学に関しては、1854年の大学就任講演『幾何学の基礎にある仮定について』も有名でしょうか。
 さっき「非ユークリッド幾何学は特殊な曲面の上で展開される幾何学である」と述べたけれど、リーマンはそれに留まらない考えをその講演で論じました。
 概要をちょいと引用します。

 幾何学はユークリッドからルジャンドルに至るまで基礎がはっきりしていないが、これはn次元空間を考えないからである。曲面の代わりにn次の拡がりを持つ多様体を考え、その中でガウス先生が曲面論で行ったと同様にして一般の曲率を考える。すると、例えば一定曲率の空間だと図形の長さを変えずに移動することができる。だから曲率が0ならば我々の空間と同様な幾何ができるが、曲率が正の定値をとると、空間はちょうど球面のように、直線はいくらでも延長はできるけれども、無限には拡がらないで、有界であり、元へもどってくることがある。一般に各点で曲率が異なるような空間ももちろん考えられるが、どの仮定が物理現象を説明するのに適当であるかは観測によって決めることになろう。
 リーマンの幾何はこのように宇宙の解明に結びつけた、次元も三次元に留まらない壮大なものだった。
『非ユークリッド幾何の世界 幾何学の原点をさぐる』pp.148-149 より

 リーマンはこの講演を行い、面前で聴いていたガウスはその内容を大絶賛したそうです。
 実際、後に本当に宇宙の解明に役立ったのだから凄い。
 リーマンはこの考えを基に『リーマン幾何学』を確立しましたが、それが物理学に大きく貢献します。
 物理学者アインシュタイン(1879-1955)の『一般相対性理論』ですね。
 「宇宙空間は重力で時空の曲がった空間だ」という考え方が、リーマンの「曲がったn次元多様体」にちょうど当てはまったのでしょう。
 このおかげで、非ユークリッド幾何学は一躍脚光を浴びたのでした。

 今ではスマホやカーナビの GPS に一般相対性理論が活用されています。
 現実では既に非ユークリッド幾何学が(間接的に)活躍している。
 そして、さらなる宇宙の解明にも非ユークリッド幾何学は活躍していくことでしょう。

 ……とまぁ、非ユークリッド幾何学史はこんなところでしょうか。
 平行線公準の疑問から始まり、永きにわたって数多の数学者達が苦しみ、そして意外な急展開、新たに生まれた幾何は不遇の時代を耐え抜いて、最後に大きく光り輝いた。
 なんかもぅドラマですね。映画を見ているようだ。
 数学自体はもちろん面白いけれど、こういうドラマチックな歴史もまた面白いものですね。

参考・参照

更新履歴