|
パズルとの出会い。
最初に出会ったのは……あれ? いつだったけかなぁ? 忘れちゃった(おいおい)。
たぶん、最初に出会ったのは小学生のころだったなぁ。
あのころはクロスワードパズルを見ては「すごいなぁ」とばかり思ってた。
当時の私なんてたいした頭をもってなかった(今も変わらんが)から、「クロスワードがつくれる」ということが超人技のように思えてた。
だって、どこを見たってちゃんとした言葉がタテやヨコに入ってるんだよ !?
しかも、黒マスはキレイにナナメに入ってるんだよ !?
「きっと、このパズルをつくる人ってすごい大天才なんだろうなぁ」と幼きころの私は思ってた。
……まぁ、それは全然違うということはオトナになって知りましたが(笑)。
パズルは別に天才じゃなくても余裕でつくれますよん。
オレでさえつくれるし(笑)。
やる気と根気さえありゃぁ、もう。ね。
パズル作家なんて、ごくごくフツーの人です。
でも、おもしろい方々ばかりですよ。
ハマりだしたのは、高校生ぐらいのときかなぁ。
ウチのじいさんってクロスワード系のパズルが好きなんだ、これが(ほかにも卓球やらゲートボールなんかもやってる。けっこうパワフルなじいさん)。
だから、パズル雑誌を何誌も買ってた。
じいさんは好き好んで解いてたけれど、当時のオレは別にパズルにメチャクチャ興味があったってわけじゃなかったのね。
でも、オレの実家って…… 何もないのね(笑)。
しかも、オレの故郷って…… 何もないのね(笑)。
ホント、何もない。
やることがない。
だから、パズル雑誌ひっぱりだして解いてたの。ヒマつぶしに。
そしたら……、ヒマつぶしがヒマつぶしじゃなくなっちゃった。
んもぅ、解いた解いた。
それはそれはもう、飽きるほどに。
しかも、変に几帳面なオレはどうでもいいところに一所懸命になったりして。
例えば、クロスワードなんかはまるで活字のように文字を書いてたし(あはは、意味ねー)。
んで、オレって筆圧が高いのね。異常なほどに。
だからもう……。一晩中なおらんのよ。指が。圧迫され続けて。
指が痛いんならやめりゃぁイイのに、それでも解いてた私。
あのころはパズルを解くのがすごくおもしろかった。
|
|
時は過ぎ、23 歳。
大学を卒業して、大学研究生として同じ大学に在籍することになって間もないころ。
親の仕送りばかりで生活するのはマズイかなーなんて思い始めて、何かバイトをしようと本屋へ行った。
そのとき。
なぜか、ふとパズル雑誌のコーナーに足が向いた。
昔やったパズルのことを思い出したのかな。パラパラ……とパズル雑誌のページをめくった。
雑誌の名は『ナンクロ』。ウチのじいさんが昔買ってた雑誌のひとつだ。
あーなつかスィー、なんて思いながら読んでいたら、あるページに目が止まった。
当時の『ナンクロ』のコーナーのひとつ、『パズル・アカデミー』。
『パズル・アカデミー』とは、読者の投稿ページのこと。
自分のつくったパズルを投稿して、その中で優秀な作品1本が実際に誌面に掲載されるというコーナーでした。
今はもう無くなってます。
もちろん、そのころの私はパズルをつくろうなんてこれっぽっちも思ってなかった。
しかし!
そのページの中にある、あの堂々とした5文字に目がいってからは……。
その5文字とは……
賞金2万円。
ま、バイト探しをしていたというのがあったんだろうなぁ。
「あ、これでカネ稼げる」なんて思ってしまって。これでカネ稼ごうって。
オレがパズル作家に至る最初のキッカケって、実はこんなモンです。
えぇいっ! 堂々と言っちゃえ!
カネ目当てです。
うはははははは。動機がモロ不純。わははははははっ。
「パズル作家になるのが夢だった」とか、「前々からパズル投稿に興味があった」っていうんならまだしも……。
はふぅ〜。
|
|
ま、そんな不純なキッカケで始めたパズル製作だけれど、いざつくってみるとこれがまたムズかしい。
あーだこーだ、あーだこーだ、あーだこーだ、と試行錯誤の毎日。
「はぁ〜。プロのパズル作家さんってこんなタイヘンなことを毎日やってんのかぁ」と半ば尊敬の気持ちも現れたり。
でも、やる気と根気をもち続けてたら、来るべきときは来た。
完成した。1問。
やったね、自分。
たった1問だけど、悪戦苦闘の末の1問。オレの処女作品だ。
感無量だね。
んもぅ、飛び上がって喜んじゃって。キャッキャ、キャッキャと心は子供。
うれしかったねぇ。
オレにもつくれたもの。
そうなると、2問目、3問目、……と意欲がわくってもんだ。
でも、ここでオレの悪いクセが。
でもちょっと触れたけど、オレってどうでもいいところに“こだわり”をもっちゃうのね。そのこだわりが大爆発しちゃった。
原稿のレイアウトを大真面目に考えてたり。
原稿をそれはそれはていねいに清書したり(雑誌上の指南役の作家先生にほめられた経験アリ)。
封筒の宛先なんかも誤配なんか絶対ありえないってくらいにバカていねいに書いたり。
もう指南役の先生や編集部の方々をビックリさせたんじゃないかなぁ。フツーここまでするか?……っていうくらいこだわっちゃったから。
最初はなかなか誌面に載せてはくれなかった。ま、ド素人がいきなりつくった稚拙な作品だからムリもないけれど。
でも、何らかの手ごたえは返ってきてたから、それは勉強にもはげみにもなってた。
そして、初投稿から約半年。1本の電話。
RRRR………。
その電話の内容を知ったときから、顔はゆるみっぱなしになっていた。
そう。来る時が来てしまったのさっ。
「いやった─────っ ! !」
飛び上がっちゃった。
とうとうやった。
この、なんとも言いようのない喜び。
もう、あまりにもうれしくてうれしくて実感なんてわかなかったさ。
おめでとう、自分。
あぁーっ! 自分の載ったページが見たい ! ! 見たい見たい見たい見たいっ ! ! !
ところが。
その電話では「4月号(3月発売)に掲載される」と言っていたのだった。
今は1月。
どひゃー! あと2カ月もあんのかい!?
なんと、60 日もの間、毎日毎日「いてもたってもいられない気持ち」にさせられっぱなしというヂゴクを味わわされるハメになってしまいました。
もちろん、うれしいヂゴクだけれどね。
2カ月間どうにかこうにか過ごして掲載誌が郵便で届いたときには、もう、食い入るように自分の作品が載ったページを眺めてた。
自分のつくった作品が認められ、名前とともに雑誌に載る。
投稿者にとって至福の時だ。
その電話が来て以来、パズル投稿がもう楽しくって楽しくって。
ヒマさえあれば、パズルばっかりつくってた。
今はポップンの方が……(おいおいおいおいっ)。
|
|
1本の電話。
これがオレを大幅に変えるキッカケになった。
投稿してた当時は、別にプロの作家になろうなんてこれっぽっちも思わなかった。
純粋にパズルづくりと投稿が好きだった。
ところが。
初掲載から半年ぐらい経ったころだろうか。
RRRR………。
電話の内容は「オレの作品が採用になって誌面に掲載される」というものだった。
といっても、このときは3度目の採用だったから別に驚きはなかったのだけれど、話はこれで終わりじゃなかった。
その話のあとに続いたのは……、
「奨学生という制度があるんですよ」
えっ!? ……ウソ!?
なんと!
『奨学生』へのお誘いの言葉だったのだ!
ここでちょっと説明しときましょ。
パズルに限らず、作家や漫画家の世界でプロになる方法のひとつとして、「投稿の段階で実力を認めてもらう」というのがあります。
そうなると、“連載”で仕事の依頼が来たりしてプロとして活動していくことになるワケです。
しかし、私の場合はワンクッションとして立場が『奨学生』に上がり、経験を積んでプロ作家になりました。
『奨学生』とはカンタンに言っちゃえばセミプロみたいなものかな。
立場的には、“投稿者 < 奨学生 < プロ作家”って感じ。
まぁ、これは一般的なものじゃなくて、他のパズル雑誌では違う方式がとられているかもしれません。
……なんかもう、ハトが豆鉄砲くらったとはこのことか。
まさか、こんなハナシが舞い込んでくるなんて思いもよらないさ。
当時は勤めていた会社とうまくいってなかったころだったから、なおさらうれしくてね。
すぐさま、奨学生になることに決めちゃいました。
このときからです。パズル作家になろうと強く思ったのは。
プロになれるかどうかはわからないけれど、少なくともいい経験にはなるからプロへの一本道を歩くことにしました。
今になってふと考えます。
もし、本屋でパズル雑誌を手に取らなかったら……、つくったパズルが全然採用されなかったら……、奨学生になれなかったら……。
今ごろは何をやってたんでしょうね。オレ。
|
|
今はプロ作家になってます。
といっても、まだ2年生でペーペーなのだけれどね。バイトもかけ持ちしてるし。
でもっ! いつかはたくさんの雑誌や本に“E坂もるむ”の名前が印刷されたいっ ! !
その野望を持ちつつガンバっている今日この頃であります。
|