大処女作物語
 1998 年。1/11 〜 1/15 の5日間。
 東京へ行ってきました。
 何しに行ったかって?
 ズバリ、仕事です。
 でも、ただの仕事じゃないんです……。





 最初、編集社から電話を受けたとき、話の内容がイマイチつかめなかった。
 なんせ、こんな話は初めてだったから。
 電話口でウンウンと話を聞いてはいたものの、頭の中で整理はあんまりできてなかった。
 ただ、オレの頭に残ってたのは、ギャラの金額だった。
 金のことをどうこう言うのは拝金主義の人間みたいでイヤだけれど、あまりの金額だったから今でも頭にハッキリと残っている。
 どれくらいだったかというと……、

   7ケタ。

 年収が7ケタなら驚きもしないけれど、ひとつの仕事のギャラが7ケタ。
 もちろん、そんな金額の金をもらったことなんて、生まれてこのかた一度もない。
 電話で聞いたとき、飛び上がってしまったよ。

 小学生向けの漢字の本。
 “くもん出版”という出版社が出す予定だったのだそうだ。
 しかし、ただの漢字の本じゃなくて、それぞれの漢字を使ったパズルも盛り込むらしい。
 で、そのパズルをつくるという仕事がオレにまわってきた。
 しかし、その仕事がハンパじゃない!
 やたら多いっ!
 だいたい 500 問ぐらい。
 あうう、気が遠くなる……。

 でも、実はすごいうれしかった。
 だって、まだ『奨学生』の身だっていうのに、こんな大きな仕事を授けてくれるなんて夢にも思わなかったもの。
 しかも、1年生から6年生までの6冊。
 なんと、オレの名前が載った本がいっぺんに6冊もできることになる!

   なんと! 大処女作 ! !
 E坂さんは今はすでにプロのパズル作家になっていますが、当時はまだプロではありませんでした。
 『奨学生』という、いわばプロの一歩手前の立場にいました。
 パズル作家は雑誌に載せるパズルを毎月つくっていますが、パズルの本を発行するためにパズルをつくるという仕事を手がけることもあるのです。
 しかし、オレはプロに価する作家活動なんてまだまだできてないし、実力なんて発展途上。
 しかも、当時は 25 の若僧(今も若僧だけど)。
 いいのかなぁ? オレにまかせちゃって。
 でも、会社は慈善事業でやっているわけじゃないんだし、実力のない人間に大きな仕事はまかせないだろうから、オレはある程度評価されているのかなぁ。
 まぁ、何にしてもこれはオレにとって大きなチャンスだし、プロへの一里塚にもなるだろう。
 ハードな毎日になるだろうけど、なんとか成功させたいな。
 少なくとも、悔いだけは残したくない。





 大きな仕事を引き受けたわけだけれど、実は、その仕事をするにあたって打ち合わせをしたいとの申し出があった。
 それで、オレはその編集者の方と打ち合わせをするために東京へ行くことになった。
 前編はその東京旅行の話をしようと思ってます。

 1/11 当日。夕方の4時ごろ。
 家族といっしょに駅へ(東京へ行ってくることは親に話してあったので、見送りに来てくれた)。
 まだ、あと1時間くらい余裕があったから、駅構内のラーメン屋で食事をして、本屋で2冊ほど本を買った。
 待合室で家族と話をしながら、5:02 の特急を待った。
 しばらくして、改札のアナウンス。
 家族の見守る中、改札を通る。
 ホーム。
 まだ電車は来てないな。うん。
 ……あ、来た来た来た。
 重い荷物をもち、列車に乗る。

 2年ぶりの列車。
 4年ぶりの東京。
 初めての打ち合わせ。
 期待と不安が何度も交差する。

 そんな中で、発車を待っていた。
 東京へ行くわけだから、楽しい。
 でも、別に家族と離ればなれになるわけじゃないのに、なんだか寂しい気にもなる。
 なんか、複雑な気分だった。
 ……。
 ガタン。
 列車が動いた。
 駅が少しずつ遠くなる。
 とうとう始まった。東京への第一歩。

 初めは特急で2時間、南千歳駅(近くに新千歳空港があります)で寝台車に乗り換える。
 あぁ、寝台なんて何年ぶりだろう。
 ゆっくりくつろごう。
 上野まで 15 時間の長旅だ。
 ……ん、なんか腹へったな。なんか買って食うか。ワゴンサービスが来たら買おう。
 あ、来た来た。
 「お弁当くださーい。 ……え? あっ、はい。あ、じゃあ牛丼で。え、お茶ですか? あ、じゃ、それもお願いします」
 なんと、弁当は売っていないのだ。注文を取ってきてできたてのを持ってくるシステムだった。
 まるで出前のよう。こういう販売方法は初めてだ。あったかいものが食えるってのはいいね。
 20 分くらい経った。おっ、弁当がやって来ました。
 「お弁当とお茶で 830 円です。あ、はい、ありがとうございまーす」
 列車に乗るとどうしても感じてしまうことがひとつある。
 高い。
 なにもかも高い。
 カップ麺よりちっちゃい牛丼が 700 円。カップ麺は 143 円。
 なんじゃこの差はーッ ! !

 ま、いっか。幕の内クラスだと 1,000 円は取られるからな。さっ、弁当食おっ。
 ……。
 ごちそうさまっ。
 んー。ヒマだ。本でも読むか。 ……読み終わった。
 ふわ〜あ。なんだか眠たくなったなぁ。昨日は4時間しか寝てなかったからなぁ。
 ちょっと早いけど寝るかぁ。
 フトンをかけてっと。
 じゃ、おやすみなさぁ〜い!

 ZZZ……。

 午後8時就寝。布団の中で東京旅行第1日が過ぎていくのであった。





 1/12。2日目。
 午前9時。
 んーいい目覚め。
 ちょっと寝過ぎかな?
 まぁいいや。外を見よう。
 おぉっ !?

 なんと、真っ白!

 あらま。関東ってめったに雪が積もらないんだよなぁ、たしか(違ったかな?)
 珍しいこともあるもんだ。
 おっと、看板に『宇都宮』の文字を発見!
 宇都宮まで来たのかぁ。
 上野まで2時間。上野に着いたら何しよっかなぁ?
 あ、ホテルとらなきゃいかんのよなぁ。どこも満室だったらどうしよう。野宿? ちょっぴり不安になるオレ。うぅ〜。でもっ。なっんっとっかっなっるっさぁ〜♪(←歌うな)
 夏休みとかならまだしも、こんな冬の中途ハンパな時期にホテルがパンクするこたぁないっしょ。どっかあいてるさ。
 車内アナウンスの前のチャイム音が鳴る。
 「お疲れさまでした。あと4分で終点、上野です。上野には 11 時 2 分到着の予定でございます。お忘れ物のないように……」
 ……。
 上野だ。15 時間の長旅。ここに終結。オレはホームに足をつけた。

   うおーっ! 東京だぁーっ!

 やっぱ、東京は違うな。ここに慣れたらオレの住んでる街なんてイナカに感じるだろうなぁ。
 などと、東京のデカさを再認識したオレであった。
 あ、そうそう。明日、O編集社に打ち合わせに行ってくるんだから、下見をしなきゃ。
 ……とは言っても、さてどう行けばよいのやら。最初は全然わからんかった。
 そのO編集社の住所は「千代田区五番町」なんだけれど、切符売場の路線図を見ても「五番町駅」が見つからないっ!
 あわわわ、どうしよう。ば、場所がわからん……。
 でも、ここでピーンとひらめいた。本屋だ! さっそく本屋へ行って道路地図を調べ上げました。
 降りる駅は「市ヶ谷駅」と判明。
 へぇ〜、そうなんだ。住所が「千代田区五番町」にあるからって「五番町駅」があるわけじゃないんだ。初めて知ったぞ(←ここらへんがもうすでにイナカ者です)。
 市ヶ谷駅。さぁ、O編集社の下見だ。あ、そうだ。Kさん(←打ち合わせをする編集者の方)に連絡することがあったんだっけ。電話しなきゃ。ピッポッパッと。
 「北海道の◯◯です(←オレの名前)。お世話になってます。Kさんはいらっしゃいますか?」
 Kさんはいないらしい。「え、じゃ、何時頃……」
 今どこにいるか聞かれた。「あ、えーと、市ヶ谷の駅です」
 それなら今から迎えに行くという。「あっ、はいっ!」
 あらららら。これは予想外の展開だ。下見に行くつもりが連れられていくことになってしもうた。Kさんは今日用事があるから明日うかがう予定なんだけどなぁ……。ま、いっか。おじゃまするだけなら。
 駅の改札口で待つこと 10 分。O編集社の方が来た。軽くあいさつを交わして、O編集社のあるビルへ。
 着いた。おぉ、ホントにO編集社の名前が書いてある〜。オレはここにお世話になってるんだなぁ〜。ちょっと感激☆
 ビルの5階。ドアを開けて社内へ。おじゃましまーす♪ ……って、あら?
 ここで、オレはちょっとビックリする光景を目にした。

   全員、私服。

 驚いた。
 スーツ姿がまったくなかったのだ。
 普通、会社といえば“スーツにネクタイ or 制服”なんだとずっと思ってた。
 それだけに、面食らってしまった。
 東京へ行くときに一応スーツも持っていったんだけれど、着なくて正解だったかな?
 オレはスーツやネクタイはキライな方だから、O編集社の雰囲気はすぐに好きになれた。
 中に入ったオレは、顔と名前を対応させながら名刺をもらっていった。「この方が◯◯さん、この方が△△さん、……」。電話の上でしか知らなかった方々の顔を知る。ちょっとした感激がオレの胸の中にあった。
 30 分くらい経ったかな。Kさんが来た。あぁ、この方がいつもお世話になっているKさんかぁ。感激しつつ、あいさつを交わした。
 そして、本題の打ち合わせ。  Tさん(←O編集社の社長)から仕事の内容をくわしく教えてもらい、どういった感じの本なのか、仕事の期間はどれくらいなのか、などいろんな話を聞いた。
 ぶわぁ〜、こりゃ大変そうだなぁ。仕事自体はそんなに難しくないんだけど、期間が短い! 約半年。そのなかで約 500 問ほどつくる。ということは……、

   1日3問 !?

 めっちゃハイペースやん!
 そんなにつくったことねぇって。オレ。
 これからは半年間はホントにハードな毎日になっちゃうな。
 でも、大変であればあるほど、仕事をやりとげたときの喜びは限りなく大きいのだ。よっしゃぁ、いっちょやったろやないけ〜! 静かな闘志を秘めるオレであった。

 打ち合わせを終えた。
 KさんとS出版社へ行くことになった。
 S出版社前。
 でけぇ!
 中に入る。
 受付嬢がいる!! しかも、結構キレイじゃないの!
 やっぱ、デカい会社は違うよな。ビックリの連続だ。
 3階。パズル編集部。
 あぁ、ここがお世話になってるパズル編集部かぁ……。またも感激でいっぱいだった。
 ここで、ちょっと説明。
 O編集社というのは、S出版社のいくつかの雑誌の編集をしている会社なのです。
 いうなれば、S出版社の下請け。
 O編集社が実際に編集作業をして、S出版社の名前で雑誌を出したりしているのです。
 S出版社はいろんな雑誌を手がけているんだけれど、パズル関係の雑誌は3階の編集部が総括的に管理しているのです。
 ちなみに、O編集社は某テレビ局の近くにあります。
 ……まさか、ここに来るなんて思ってもいなかったよなぁ。
 投稿者時代のオレなんて、ただ単に投稿好きっていうだけで、一人のつたないシロウトに過ぎないのだ。もちろん、パズル作家がどうのとかってまったく考えてもいなかった。
 なのに、『奨学生』に上がって今は出版社に訪れている。
 「これは、一部の人間にしか味わえないことなのだろう」
 なんか、そんな特権的なものを感じて感慨にふけっていた。
 あ、そういえば。ここの編集部の方々も私服だった。
 なんだろう? O編集社といい、S出版社といい、会社なのにスーツ姿をとんと見かけない。
 私服が許される会社。
 パズルというのは、ほかとは違う世界なのだろうか。そんなことを考えていた。
 S出版社を後にして飲みに行った。パズルの話、作家さんの話、地域の話、いろんな話をしたかな。
 オレの部屋(2間)の家賃が 41,000 円だということを話すとみなさん驚いていた。都会と田舎の差だな、こりゃ。

 O編集社のみなさんに会えた。
 S出版社に連れていってくれた。
 東京往復の交通費をもらった。
 飲みに行って、いろんな話をした。
 実にステキな一日だった。

 ただ……。
 ホントは打ち合わせは明日するハズだったんだよなぁ。Kさんは今日は用事があるから打ち合わせはできないって言ってたんだ。それなのに、今日打ち合わせをさせてしまったよ。
 Kさんには申し訳ないことを……。





 1/13。3日目。
 午後3時の新幹線で帰るんだけれど、それまで何もすることがない。
 う〜ん、東京見物でもしようかな。浅草、上野公園、秋葉原、……。いくつか思いつくけれど、ただ行くだけってのもなぁ。ありきたりの観光じゃつまらないしなぁ。かといって、穴場なんて知ってるわけじゃなし。どうしよう?
 あ、そうだ。Dさん(←S出版社のパズル編集部の当時の副編集長)に電話しよ。昨日の飲み会オゴってもらったから、そのお礼もせんと。
 電話をしたら「編集部に来ます?」と言われて、編集部に行くことにした。
 昨日KさんとS出版社に行ったんだから一人でも行けるだろう、ってタカをくくっていたのだけれど、どの道を通ったのかイマイチ思い出せない。
 あれ? この道だったっけ?
 あれ、違うなぁ。
 ここか?
 いや違う。
 ここ?
 違う。
 あれぇ〜? どこだっけ〜??

 覚えてねーじゃんか。
 グルグル歩き回ること 20 分。
 と、ふと思い出した。そうだ! 地下道通った記憶があるぞ!
 よし、地下道をさがせ。あ、あった。これを通ると……。あっ、なんとなくこの道通った気がする。あ、オッケーオッケー☆ ありました、S出版社。
 編集部の中に入ったら、Dさんが応募ハガキをいっぱい持ってきてくれた。
 ほとんどのパズル雑誌にはパズル問題といっしょにプレゼントも載っています。
 そのパズル問題を解いて答えをハガキに書いて応募すると、抽選でプレゼントがもらえるわけです。
 競争率はべらぼうに高いんだけれどね。
 応募するみなさんはパズルが好きらしく、「徹夜しちゃいました」とか「何時間もやっていると頭がボーッとしてきます」なんていうコメントも書いてある。
 世の中いろんな人がいるんだなぁ。ひとりひとりコメントが違う。読んでいておもしろい。
 ん〜♪ ん〜♪ ん〜、ん、ん?
 あれ? なんか見覚えのある答えだな。

   あぁっ!
   これ、オレがつくったパズルの答えじゃんか!

 うっわぁ〜。オレのパズルを解いた人がいたんだぁ!
 うわぁ……(感激にひたる)。
 うれしいやね。
 日本全国1億ン千万人もいればオレのパズルを解く人は必ずいるんだと頭ではわかっていても、やはり応募ハガキを見れば感激してしまうものだ。プロ作家には遠く及ばないパズルでも、一生懸命に解いてくれる人がいる。つくる側にとって、これにまさる喜びはないなぁ。

 まだ3時間ぐらい時間があったから、F編集社とS工房を訪れることに。
 F社への行き方をAさん(←編集長です)から教わった。
 でも、その行き方がけっこうややこしい。
 結局、Aさんも同行してくれることになってしまった。Aさんは2時から会議だというのに、親切でありがたい限り。しかし、同時に申しわけない気持ちも……。
 当時のF編集社は先のO編集社と同じく、編集社です。
 O編集社とは別の雑誌をつくってます。
 S工房は小さなパズル製作会社。ここの社長はパズル界では世界的に有名です。
 “お絵かきロジック”というパズルを発明したのがこの方です。
 お昼になったから、社員食堂でランチタイム。
 そういえば、社員食堂って初めてなんだよなぁ。食堂の雰囲気は大学の学生食堂に似てる。なんとなく学生に戻った気分。いいねぇ〜。
 食事もそこそこにS出版社を後にして、まずはF編集社へ。
 F編集社の中に入ってみたら、驚いた。
 なんと。マンションの一室!
 会社といえば、社屋を持ってるかテナントビルに入っているかのどっちかだとばっかり思ってたから、これは意表を突かれてしまった。(ちなみに、ここも全員私服)
 そうか。マンションの一室を借りている会社もあるのか。初めて知った。
 当時のオレはここにはお世話になってなかったから、仕事の依頼のお願いなんかをしながら少しばかり話をした。
 次にS工房へ。
 実は、S工房に行く途中、オレにはひとつの期待があった。
 オレの同業者のHさんの話によると、S工房がテナントとして入っているMビルは相当に古そうなビルだ」という印象が強かったのね。それで、「機会があったら一度この目で確かめたい」と思っていた。
 そんな期待を胸に秘めつつ、S工房へと向かっていった。
 歩いている途中、Aさんがいきなり「ここ」と言った。
 え?
 周りにビルと思える建物はない。
 しかし、すぐそばのビルの名前を見てみると、それはMビルだった。
 とてもビルとは思えないほどの小さなビル。
 驚いた。なんか意表を突かれたよ。
 ところが、驚きはそれだけじゃなかった。
 ビルの入口を見てまた意表を突かれてしまった。

   「う、裏口から入るの……?」

 正直そう思った。いやホント。
 だって普通、テナントビルってまずガラスのドアがあって、中に入ると郵便受けがいっぱい並んでいて……、ってそういうものを想像するじゃない?(しないかな?)
 オレの固定観念を見事なまでに打ち砕いてくれたビルでした。
 いやはや、世の中にはいろんなビルがあるもんだ。
 中に入ったら、社長さん一人しかいなかった。ちょっと残念。
 1時間ばかりおじゃましてS工房を後にしました。

 さ、あとは上野へ行って新幹線だ。短い間だったけれど、内容の濃い思い出がいっぱいできた。
 O編集社のみなさんやS出版社のみなさんにはいっぱいお世話になって、ありがたい気持ちでいっぱい。うれしくてうれしくて、こりゃぁはりきって仕事せんとなぁ。あははっ。
 あぁ〜、なんかおみやげ買いすぎたかなぁ。重いぃ〜! 荷物が3倍になってるよ。ふひぃ〜、疲れるぅ〜。
 新幹線に乗り込んだ。あぁ、時が経つのは早いよな。もう東京に別れを告げるのか。できればもう少し東京にいたいなぁなんて気にもなってくる。
 あと少しで発車か。
 ガタン。
 動いた。新幹線が上野を離れていく。
 さらば東京よ。また逢う日まで。





 1/14。4日目。
 さて、オレはどこにいるでしょう〜?

 答えは弘前。青森県は弘前市に来ておりま〜す。
 オレの大学時代の後輩が4年生だから、卒業する前に一度会っておきたいと思っていたのだ。ホントは前年のゴールデンウィークに行く予定だったんだけれど、ちょうどそのころあたりに会社を辞めてバイト生活を始めたから、長期の休みがとれなくなって先のばしになってたのだ。そこへちょうど東京の件があったからついでに弘前も行っちゃえ、ってんで弘前にいるのであります。
 やっぱり2年くらいじゃ、街なんて変わらないな。少しは変化しているけれど、面影はそのまんま。オレの大学生時代が色あせずによみがえってくる。
 弘前というところはどうも郷土色が強いらしいのか、大手の企業はあんまり見かけない。
 例えば、デパートは「イトーヨーカドー」「ダイエー」ぐらいで、ほかには「中三(なかさん)」「ハイローザ」なんてのがある。
 銀行となるともっとスゴイ。「青森銀行」「みちのく銀行」「東奥信金(とうおうしんきん)」「津軽信金」というのばっかり目について、ほかの銀行が全然目立たない。
 さらに新聞だって、「東奥日報(とうおうにっぽう)」「陸奥新報」の2紙でほとんどが占められちゃう。
 話す言葉はご存じ「津軽弁」。聞き取れんっちゅうねん!
 弘前に住み始めたころなんて、ものすごい違和感があったなぁ。

 朝9時。後輩Uクンの部屋でいい目覚め。
 今日は夜7時に後輩たちと4人でビリヤードだ。う〜ん、ひさびさだ〜。わくわく、わくわく。
 ま、とりあえず、夜7時まで何をするかってんで、後輩Mクンを呼んで3人でゲーセンへ行くことに。商店街の通りにゲーセンがあって、そこはなんと1プレイが 50 円! 安い! 50 円のゲーセンってないんだよねぇ。お金はあるし、いっぱい楽しんじゃおっ☆
 ……。
 あぁ、5000 円ぐらい使ってしまった……。おもいっきり遊ぶと金ってすぐなくなるよなぁ。でも、楽しかった。ポップンがあればよかったなぁ(当時はポップンは存在していない)
 昼メシはお好み焼き屋。いっぱい食って、うー満腹っ☆

 さて、夜7時。待ちに待ったビリヤードっ♪
 後輩Sクンと現地で待ち合わせしているのだが……、あ、いたいた。よっ、ひさしぶりっ。
 ビリヤード台2台借りて2人ずつに別れてサシで勝負。
 よぉーし、今回も勝ってやるっ! 前回(2年も昔だが)は連勝につぐ連勝だったからな。気合い充分っ!
 まずは1勝だ……あっ。ま、最初はいいや。
 次は1勝だ……あら? ま、こんなこともあるさ。
 次こそ1勝……あられ? 調子悪いなぁ。
 次こそ……えぇ〜 !?
 次……ンガーッ! 球が入らーんっ ! !

   なんと、初回から6連敗。 あ〜あ〜あ〜。

 ウデ落ちたなぁ(←ヘタなくせに言うな)
 戦績2勝8敗。
 ボロ負け。
 くぅ〜、クヤシイぜっ。
 でも、楽しかった。おもいっきり楽しめた。
 あとは、Uクンの部屋で少しばかり遊んでお開きに。明日は朝7時起きだ。寝よ……。

 みんな変わってなかったなぁ。オレが弘前を離れて2年経っても、当時のそのまんま。
 でも、時は着実に経っている。
 4月になればみんな大学を卒業して社会人や大学院生になっていく。
 一人、二人、だんだん弘前から離れていってしまう。
 たぶん今日一日が弘前最後の思い出になるだろう。
 あぁ、もう一日ぐらい弘前にいたい気分だ。





 1/15。いよいよ最終日。
 地元へ帰る日がやってきた。
 5日間仕事だとクソ長く感じるのに、旅行の5日間はクソ短く感じる。地元を発ったのがつい昨日のようだ。
 この5日間、いろんなところに行った。いろんな人に会った。いっぱい遊んだ。いろんな経験をした。中身のつまった非常に意義のある5日間を過ごせてシアワセだ。
 地元まで電車で 12 時間。ゆっくり帰ろう。
 ……。
 午後 5 時 20 分。駅が見えてきた。あと数分でこの旅も終わりを迎える。
 到着。
 ホームに降りて改札口を出る。
 5日間の旅が終わりを告げた。
 まずはマンションに戻ってゆっくり休もう。
 自分の部屋に戻ったあと、家族が来てみんなでしゃぶしゃぶを食いに出かけた。東京での話をいっぱいしたりして楽しいひとときを過ごした。

 今日は疲れたし、もう寝ることにしよう。
 明日からはハードな仕事の毎日が始まるんだ。
 半年経って仕事が終われば、オレの手がけた漢字パズルの本が本屋に出回るのだ。
 それを楽しみにしながら、仕事をガンバろう。
 よしっ!


 自宅。
 ふぅ〜、落ちつく。
 さぁて。仕事の確認、確認っと。
 打ち合わせのときにもらったもの。

 各学年の台割(何ページに何を載せるかということが書かれた一覧表)。
 何問かのパズル(サンプル用として)。
 既刊のパズル本(同じくサンプル用)。
 その他もろもろ。

 初めてもらったものばかりだったから、オレは本をつくる仕事をするんだという実感がどうもわいてこない。
 机に向かって仕事をしている自分の姿がイメージとして見えてこない。
 ま、仕事をしていけば実感はわいてくるだろう。
 さぁ、ガンバるぞォーっ!

 ……とは思ったものの、実はこの仕事、妙にムズかしいってことに気がついた。
 小学生相手にパズルをつくるときに気をつけなきゃならないこと。
 それは、

   習っていない学年の漢字は絶対に使えない、ってこと。

 例えば、4年生のパズルをつくるとき、5年生と6年生の漢字は使えないってこと。
 そりゃそうだね。習ってないもんね。
 当然、中学以上の常用漢字なんてハナから論外。
 すると、どうなるか。

   簡単な漢字しか使えないじゃん!

 うひゃー、つくりづれぇ〜!
 漢字パズルなのに漢字がほとんど使えないのだから。
 しかも。
 五十音順にとなりあう2つの漢字をペアにしてパズルをつくらないとならないのだった。
 だから、2つの漢字の都合(読みの多さ、熟語の多さ、etc... )も考えてパズルをつくらないとならないのだった。
 ぶひゃー、勝手が悪い〜っ!

 さらに。
 パズルの内容にバリエーションをもたせてくれ、って打ち合わせで言われてたんだ。そういえば。

 どひゃー、オリジナルがそんなに思いつくか〜っ!

 しかも。
 ……あ、シカモシカモって しつこいですか?
 いや、でも、あげりゃキリがないんです。難易度もバラけなきゃいけないとか、パズルを載せるスペースが狭いとか(文庫本サイズだから)。
 漢字パズルなのに、自由に漢字が扱えない。しょっぱなから致命傷。
 大変だ。
 普段の仕事と違って、超えなきゃならんハードルが異様に並んドル……って、シャレてる場合か。





 さて、実際に仕事を始める。
 でも、不安がひとつあった。

 「締め切り、間に合うかなぁ……?」

 締め切りまでだいたい半年。1カ月で1学年を仕上げるというペース。
 半年って聞くと長そうだけれど、実際はまるで逆だったなぁ。
 当時は週5日でバイトをやっていた。1日 10 時間の拘束。
 あとはメシだのフロだのスイミンだので、残るのはだいたい7時間。
 パズルの仕事がたった7時間しかできない。
 しかし、その中で1日に2〜3問のペースでパズルをつくらなきゃならん。
 でないと、締め切りまでに 500 問つくれないのだ。
 うわっ、大変じゃんっ。
 500 問と言ったけれど、くわしくは次の通り。
     1年生で習う漢字は 80 字  →  つくる問題数は 40 問
     2年生で習う漢字は 160 字  →  つくる問題数は 80 問
     3年生で習う漢字は 200 字  →  つくる問題数は 100 問
     4年生で習う漢字は 200 字  →  つくる問題数は 100 問
     5年生で習う漢字は 185 字  →  つくる問題数は 93 問
     6年生で習う漢字は 181 字  →  つくる問題数は 91 問
 合計すると、最低でも 504 問はつくらなければならないのでした。
 これを半年でつくるということは……
     504 問 ÷ 180 日 = 1日平均 2.8 問。
 マジ、大変。
 でも、そんなことは言っていられない。
 大事な仕事だ。甘えてはいられないのだ。
 社会人として自分を律しよう!
 だから、オレは誓いを立てた。
 「1日に絶対5問はつくるぞー!」って。
 ……でも、どんなに誓いを立てても、『ヤル気』と『行動』がモロに連動するワタシ。

   ときにはプレステやサターンのソフトを買っては、
   1週間くらいテレビの前で現実逃避(大笑)。

 なんせもぅ、中古ショップに行ったら FF7 がいかにも「ほら、買え、買えっ」と言わんばかりの値段でオレを待っているんですもの!
 そりゃぁ、オレだって社会人のはしくれです。
 買うのをガマンしようとガンバった。
 誘惑に耐えようと必死だった。
 でも負けた。

 ……ダメじゃん。自分。





 3月の終わり。
 バイトとの両立がキツくなってきて、とうとうバイトをやめてしまった。
 収入は少なくなるが、これからはパズル一本だっ!
 でも、そうなるとどうしても変わるものがひとつある。
 生活形態。
 バイトをやっていたころは、マンション←→コンビニの 2.5km の往復の毎日があった。“通勤”とはいえ、外に出る時間があったわけだぁね。
 ところが。
 パズルの仕事一本になってからは、ベッド←→テーブルの往復の毎日になってしまった。
 往復距離は……

   なんと、たったの 3m。

 なんせ、どこにも出かける必要がないんだもんなぁ。
 しかも、オレはあまり外出はしない人間。
 すると、必然的にこういう毎日になる。

    朝起きて、仕事して。
    新聞見て、仕事して。
    昼メシ食って、仕事して。
    ワイドショー見て、仕事して。
    晩メシ食って、仕事して。
    ゴールデン番組見て、仕事して。
    適当に間食して、仕事して。
    深夜番組見て、仕事して。
    寝て。
    寝るにしても、好き勝手に寝るから昼夜がひっくりかえることもしばしば。
    そして、どこにも出かけないから毎日ず〜っとパジャマのまんま。

   ……生活が退廃しとるがな。

 ダメじゃん。自分。





 1学年分のパズルが完成したら原稿を送っていたんだけれど、さすがに量が多いもんだから全部が全部スンナリと通るわけじゃない。
 何問かはつくり直しを要求されてしまう。
 しかも、自分では「これはいけるかな?」と思ったパズルが却下されたり、厳しい返事が返ってきたりすることもあって、けっこうヘコむことも何度かあった。
 つくり直しを要求されると、忙しさにさらに輪をかけて忙しくなる。
 6年生が終わって新しく5年生のパズルをつくってる最中に6年生のつくり直しがやってきて、2学年同時進行。なんていう感じに。
 キツイんだ、これがまた。
 新学年の原稿を遅らせるわけにはいかない。
 かといって、つくり直しはすぐにやらなければいけない(編集社の方ではすでに編集作業が始まっているから、原稿を早く仕上げないと待たせることになってしまう)。
 だけど、問題なんておいそれとつくれない。
 そんな中での仕事。もはや死闘か !?
 必然的に休みはなくなる。
 それはそれは働いた。
 一日で最高 20 時間も机にへばりついたこともある。
  でちょっくら現実逃避した以外で休んだ記憶が実はない。
 趣味のドライブもしなかった。
 ゲーセンにも行かなかった。
 というより、まったく遊べなかった。
 外に出たとしても、本屋や図書館に行っただけ。しかも、仕事の資料探しで。
 ほとんど毎日、仕事から離れられなかった。
 あの当時はホントつらかった。イヤでイヤでしかたがなかった。
 「早く終わんねぇか」って、そればかり考えてた。

 今になって思うけど、売れっ子の小説家や漫画家さんてホント死にものぐるいで働いてるんだろうなぁ。
 仕事量は想像を絶すると思う。
 仕事が人生そのもの、って感じになっている気がする。
 寝食を削って仕事をしているかも。
 はたから見たら「そんなに仕事して人生楽しい?」なんて余計な心配しちゃいそうなくらい。
 とある漫画家さんによると、その方は 92 時間連続で起きていたことがあるらしい。
 ……驚く以外ないね。こりゃ。





 問題数が約 500 問もあるでしょ?
 だから、完成までの道のりがべらぼうに長い。
 1日に5問くらいずつつくっても、仕事が進んでるって実感がまるっきりわいてこない。
 ホントに進んでるんか? って疑っちゃうくらい。
 でも、いつのまにか進んでるんだよねぇ。
 で、「あ、もうこんなにできてんのかー」なんてふと気づいたりする。
 まさに、チリ山。
 チリがいつしか山を作り上げちゃうんですねぇ。

 いやー、けっこうつくりましたよ。
 人間、けっこう追いつめられるとなんとかチカラを発揮するもんです。
 漢字のパズルをたくさんつくると、勉強もたくさんするし、収穫もハンパじゃなかった。
 漢字ってね、いろいろあっておもしろい。

    『読み』
    『意味』
    『画数』
    『送りがな』
    『書き順』(意外に知らない『飛』の書き順)
    『部首・パーツ』
    『形そのもの』(『思』と『恩』って形が似ている、etc... )
    『反対語』
    『同音異義語』
    『グループ語』(東西南北、春夏秋冬、etc... )
    『誤字・脱字』
    『誤変換』

 漢字に関係するものって、実にこれだけある。
 漢字そのものについてもいろんな発見をしてしまった。

    『区』『臣』『唱』。レアな上下だけ対称の漢字。
    『干』『士』。逆さにすると別の漢字になる。これもレアだな。
    『名』『治』。カタカナだけでできている。
    『母』『南』。漢字の中に記号が入ってる(“÷”と“¥”)。
    「−1110」をヨコにすると、『言』になる。
    『語』の右上部分の漢数字を 200 倍すると別な漢字になる。

 うん、貴重な発見だ。
 絶対いつかこれをパズルの題材にしよう。





 苦労あり、発見あり。
 机の前での労働の中、時は過ぎてゆく。
 狭い自分の部屋の中で仕事をしながら、季節の移り変わりを感じる。
 1月、2月、3月、4月、5月、6月、7月、8月、9月、10月、……。
 そして。

 11 月。
 もう、ゴールはすぐそこまで来ていた。
 6年生〜2年生までの原稿が終わって、最後の1年生の原稿も終わりに近づく。
 そして。
 来るべきときがやって来た。
 オレは両腕をYの字にして、力を抜くように座イスにもたれかかった。

   ゴ────────ル ! ! ! ! !

 実際はすべての原稿が通ったら本当のゴールなのだけれど、ま、それはゴールの余韻みたいなものだ。
 お疲れ。自分。
 おめでとう。自分。
 ゆっくり休め。自分。
 おもいっきり遊べ。自分。

 ……。
 ようヤッタよなぁ。
 6学年全部で 555問。
 ボツになったのも含めたら、650 問くらいつくったかな。
 これだけの問題数だから、もろもろの消費がハンパじゃない。
 1学年分の原稿をワープロで打って印刷したら、使った感熱紙がだいたい 30 枚。6学年全部だとおよそ 160 枚。
 それをコンビニで3枚ずつ(問題用、解答用、保管用)コピーしたから、紙は 480 枚。コピー代は約 4,800 円。
 量が量なだけに原稿は郵便で送ってたけれど、それでも1学年分 60 枚はけっこう重い。郵便代が約 500 円。6学年だとたぶん 2,800 円くらい。
 こんなに使ったのは初めて。普通、コピーだけで漱石さん4人も飛ばさんよなぁ。
 FAX だって何枚送ったかなぁ。一度に 20 枚近く送ったこともあるから、クソ長い FAX 用紙がビロビロビロ〜ンなんて。

 なんかねぇ、不思議な感じ。
 この仕事をやっている最中は「早くこの仕事終わんねぇかなぁ」なんて毎日のように思ってたけれど、仕事が終わりに近づくと「仕事まだやっていたいなぁ」なんて思うようになってた。
 最初のころはゴールばっかり考えていたけれど、ゴールが見えてくるとまだゴールはしたくない。そんな気持ち。
 さらに、仕事が終わっちゃうと急にさびしくなっちゃったりして。
 ふふ。なんか RPG みたいだね。
 機会があったらまたやってみたいなぁ、って思ってしまった。





 12 月。
 東京。
 パズル作家さんの忘年会があって、楽しんできた。
 その翌日。
 この仕事でお世話になったO編集社へ顔出しに行ってきた。
 すると、なんと!
 オレのつくった漢字パズルの本が発行されて、その本がO編集社にも届いたと聞いてビックリ!
 できあがった本をしげしげと見るオレ。
 あぁ〜。これが、これが……。
 喜びが胸の中で満ちていく。

 やっぱりうれしいもんです。
 自分の頭をしぼってしぼって考えたものが現物となってできあがると。
 漢字パズル。6冊。『パズルで特訓! ◯年生の漢字』(くもん出版)。
 オレの大処女作。
 この仕事を与えてくださったO編集社に感謝です。






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管理人:E坂もるむ