First update:2000.7
33.みみ(耳)のオアシス 宮前2-12 |
平成3年に建築家六角鬼丈氏とサウンドスケープ・デザイナーの鳥越けいこ氏の
共同企画で作成された公園です。
知る区ロードの4つのオアシス(とき「時」<杉並百点12参照>・みみ「耳」・はだし「裸足」・はな「鼻」のオアシス)の内の一つで、
竹林と風が奏でる自然の音を拡音器で聞く耳が7個あります。
どれも身体の一部を使って拡音器に耳を近づけるように設置されています。
身体の一部分を不自由な状態にすると聴覚は研ぎ澄まされるのだそうで、
どの器具も登ったりしゃがんだりしないと聴けないようになっています。
写真のブルーの器具が拡音器で階段を数段上ってから少しかがんで耳を挟むようになっています。
これらの拡音器は宮前中学校の裏手の公園の竹林の中にあって、
以前行った時にちょうど竹林の枝払いをしていました。公園管理も大変そうです。
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32.中央線横断環八地下歩道 荻窪5-15 |
荻窪駅西口を出て環八に突き当たったところでJR中央線をくぐる地下歩道です。
2004.3.18に都市開発計画の一つとして整備され緩やかな階段とスロープになります。2004.2現在、この急な階段はすでに取り壊されていて見ることはできません。写真は1999年3月22日にお散歩途中で撮影したものなので、ほぼ5年前。当時、初めてくぐった私はとてもビックリしたのでした。その時のお散歩の様子はこちらをご覧下さい。ページ内にある赤い手すりの階段も2004.2現在工事中で、たぶんバリヤフリーのスロープになると思います。
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31.気象神社 高円寺南4-44-19 |
『気象神社由緒(画像:こちら) |
30.千歳の松(千寿の松) 阿佐ヶ谷南1-12-1 「(合資)苅田商店」 |
青梅街道に面したビルの間に何の説明も立て札もなく立派な松があります。この黒松は苅田家所有(昭和2年より)のもので、根の形状によると通常の黒松ではなく盆栽が大きくなったもので、樹齢はおそらく400年以上と推定される古木なのだそうです。枝はうねり、中が空洞になってしまっていて樹木医の先生も難しいとおっしゃっているそうです。青梅街道から拝見した時より、松の樹の下に行ってみると抱えることができない幹の太さで、その大きさを写真でもお伝えできないのが残念です。また、2000年の苅田ビル建設の際の水平移転(西方向へ4m)を初め、移植後の樹木保存管理すべてを苅田さん個人でされていると伺ってそのことにも大変驚きました。 |
29.妙正寺体育館の御衣黄桜 清水3-20-12 |
Photo |
28.荻窪税務署の鬱金桜 天沼3-19-14 |
地図(東京都国税局より) |
27.環状7号地下調節池 和泉4〜環七地下 |
神田川環状七号地下調節池は、水害が頻発する神田川の中流域に計画された「環七地下河川」
(環七地下に白子川を上流先端として石神井川、神田川、目黒川、善福寺川、妙正寺川など
10河川の洪水を合流させ東京湾にポンプで排出する総延長30kmの地下河川計画)の一部分として整備された調節池です。
地下調節池建設事業は神田川から善福寺川を経て、妙正寺川までが計画されていますが
2003年2月現在、延長4.5km、内径12.5m、神田川及び善福寺川の洪水約54万立方mを貯留できます。
環七の地下42mに巨大なトンネルがあって、洪水の時はほぼ満杯になることもあるそうです。地下6階まで階段が220段以上ありました。内径12mというと東京湾アクアラインとほぼ同じで底に立ってみると唖然としました。
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26.美人横丁(天沼八幡通り) 天沼3-1 |
『荻窪風土記』の作者井伏鱒二さんによると、荻窪八幡通りは戦前、通称美人横丁と呼ばれれいたらしいです。そのころ天沼八幡神社の裏手あたりは軍人住宅が多く、美人の奥さんやお嬢さんが駅までここを通り、三越などに買物に出かけていたせいではないかということです。現在は、駅から徒歩数分のところなので、旧天沼出張所・都営住宅・一般住宅マンションなどになっています。また、青梅街道から八幡通りに抜ける短いカギ型の商店街は寿通りと呼ばれていています。商店街の角の<つるかめ>や100円ショップの入っている荻窪勧業ビルの場所に、大正11年に営業を開始した杉並区で最初の銭湯<寿湯>があったことから、その名前から付けられました。現在は<グリーンロードことぶき>と呼ばれていますが寿湯は残念なことに現存しません。 |
25.かるた資料館 永福4-32-22 |
村井かるた資料館は村井省三さんの個人の収集によるもので、
研究者や愛好家からの要請で昭和58年に自宅の一部を改造して作られた、日本で最初、世界で3番目のかるた専門の資料館です。事前にアポイントメントを取ってうかがうと、かるたの歴史や移り変わり、禁令や地方札(各地独特のかるた)などについてお話を聞く事ができます。住宅街の普通のお宅なので見つけるのがちょっと大変かもしれません。地図、携帯電話を持ちになるとよいと思います。 |
24.天沼山蓮華寺 本天沼2-17-8 |
桜がきれいな真言宗室生寺派のお寺です。ご本尊は如意輪観音で、開山は不明ですが墓石や過去帳などから室町時代と伝えられています。寺内には昭和19年より山形県の漁村出典といわれる厄除け不動尊が安置されています。村政・貢祖関係を記した所蔵文書544点は区の文化財に指定されています。 |
22.玉川上水烏山分水口 久我山1-6 |
玉川上水は江戸時代(1654年)庄右衛門、清右衛門兄弟が突貫工事で完成させた水路です。上水は水を江戸市中に供給する為に作られたもので、多摩川の水を西多摩郡羽村で取水し、杉並区の南端を通り内藤新宿までは開水路、そこからは四谷までで暗渠となって全長48kmに達します。写真は岩崎橋から見た分水口跡ですが、両岸に樹木が生い茂りかつての面影が残り季節を感じさせてくれます。現在区内ではNHKグラウンド南の浅間橋から上流1.4kmを残し、下流は和泉1丁目まで公園などになっています。庄右衛門、清右衛門兄弟はその功績で江戸幕府から<玉川>姓をもらい「玉川上水」と名づけられたそうです。この時代に江戸は世界的に見ても上水道が整備された都市で、土木工事技術も優れていたことがわかります。 |
21.新堀用水開削跡と須賀神社 成田東5-29-3 |
新堀用水(荻窪3〜阿佐ヶ谷南1)は天保11年(1840)に完成した、区内で最も古いトンネル式灌漑用水路です。この用水は善福寺川から馬橋・高円寺・中野の三ケ村へ分水され、水路は田端神社裏から共立女子大学寮東わき、成宗弁天池、馬橋への2.5km。地下4m、高さ1.2m、幅1.2mのトンネル方式でした。現在はすべて埋め尽され、須賀神社西側の弁財天前に開削部分の一部が残るだけとなりました。 |